ダブル罵倒の一席①
姿だけは式典の折に見ていたけれど、こうして間近で話すのはコンティエラの街での邂逅以来となる。
かつては顔色悪く痩せ細り、今にも折れそうなほどか弱く見えた少年だったが、食事や運動面の改善でもあったのだろうか、しばらく顔を合わせない間に若木のような成長を遂げていた。
歳はリリアーナとそう変わらないはずなのに、身長はすでにレオカディオと並ぶくらいまで伸びている。次に会う時には背丈を追い越してやろうと思っていたのが、今となっては何だか懐かしい。
「……何か?」
「いや、ノーアも大きくなったなと思って。ふたりとも成長期だからか? わたしだって背が伸びたのに、お前たちと比べるとあんまり変わってないような気がしてちょっと悔しいな」
「あんた、この世には鏡ってものがあることを知ってる? 顔面と中身がソレなんだから、背格好くらいは年相応にしてなさいよ。今日のお披露目で余計な虫が増えたのは確実だし、あと数年もしたらもっと面倒なことになるわよ、断言するわ」
素直に羨んだだけなのに、クストディアとノーアのふたりから揃って渋面を向けられたリリアーナは意味がわからず首をかしげた。その拍子に髪につけたガラスの飾りが軽やかな音をたて、あどけない仕草を彩る。
「イバニェス公もよくこれを表に出そうと決意されたものだな。この前の領主会合で少し話す機会があったけれど、賢明ながらも子煩悩が透けて見えたから、十歳記ギリギリまで隠しておくのかと思った」
「そこでいきなりお披露目よりは、牽制を兼ねてお偉方もいる場で先に晒しておこうって魂胆でしょ。うちの式典を緩衝材にしたのよ、ファラムンドおじさまらしいやり方だわ」
「確かに、末娘の十歳記にわざわざ国端のイバニェスまで足を運ぶなんて、近隣領でもなければ何らかの下心を抱えての参列に決まっている。そうでなくとも、噂の一人歩きではないことが今日明らかになった。一生閉じ込めているわけにもいかないし、これがこのまま成長するとなると彼も頭の痛いことだろう」
「まったくだわ。政務以外はボンクラの長男に、容姿と中身に問題しかない次男と末娘じゃあ、おじさまも苦労するわね」
「……いや、さすがにわたしでも、謂れのない悪口を言われてるってことくらい、わかるんだぞ?」
正面と横手から、父や兄まで巻き込んだ遠慮のない物言いをされて不機嫌そうに眉根をよせるリリアーナ。
だがそんな苦情もどこ吹く風、クストディアとノーアは口々に「これだけ直截に言えばわかって当然」「社交の場ではもっと含みのある言葉が横行するのに、どうせ意味を汲み取れないだろう」「賢さの方向性を誤った馬鹿」……等々、好き放題に罵倒を降らせてくる。
これまであまり悪し様に罵られるという経験がないため、途中からは怒るよりもむしろ呆れに傾いてきた。よくここまで尽きることなく他人の悪口が湧き出てくるものだと感心するくらいだ。
「なんだか、ふたりとも仲が良いんだな。気が合うとは思わなかったから、少し意外だ。もしかして前からの知り合いだったのか?」
「別に親しくなんてないわよ、初対面からまだ二日だもの」
片手を翻して嘲るような流し目を送るクストディアに、ノーアの方はぐっと言葉に詰まった様子で苦い顔をする。
そこでトレイを手にしたシャムサレムが芳香を漂わせながら戻ってくる。低いテーブルへそれぞれの茶器を並べ、淡い色彩の砂糖菓子が盛られた籠を置く手つきはすでに慣れたもの。カップに添えられた取り皿らしき小さな皿は、愛らしい花型をしていた。
先にカップを手にしたクストディアがひと口含み、それぞれへ優雅に促す。
「……ん、おいしいな、この菓子。桃に近いがもう少し甘酸っぱい」
「ふふふん、貧乏舌でもそのくらいは理解できるようね。せいぜい味わって食べるがいいわ、南海から取り寄せた珍しい果実を特別に王都の高級菓子店で加工させた、ちょっとその辺じゃ手に入らない品よ!」
「きみが好きそうな お菓子をたくさん調べて、喜んでもらえるように、ディアが頑張って手配した」
「余計なこと言わなくていいって言ってるでしょ!」
威嚇の表情でシャムサレムをソファの背後へと追い払ったクストディアは、そのまま二、三口ほど飲んでから気を取り直したように足を組む。
「それで、話は戻るけど。そこの大祭祀長様とは二日前に顔を合わせて、身元確認だの何だの色々あってね。その時にあんたやあんたの所のカミロとは知己だってことを聞いたの。前回と同じ事情でサーレンバー領へ来たとか言って、裏手の林で遭難してたのよ。あっは、笑っちゃうわよね」
「前回と同じって……、あっ、まさか?」
周囲をふわふわと漂う金の光。普段よりも密度を増した精霊たちの瞬きは、珍しい相手に興味津々のようであり、はるばるやってきた賓客を歓迎しているようでもあった。
リリアーナの視線で言いたいことは理解したのだろう。憮然としたままのノーアは何かを諦めたようにカップを手に取り、「そうだよ」と短く肯定する。
「気がついたら、森のような場所にいた。この屋敷の裏手だそうだけど、コンティエラの時とは違って周囲には誰もいなかったし、こっちはローブ姿の丸腰だ。そこの従騎士の彼に見つけてもらえなかったら、どうなっていたかわからない」
「ふふふ、おかげで面白い相手に良い貸しができたわ」
「あー……、なるほど。それで急に式典へ参加することになったのか。中央から大祭祀長が来るなんて一言も聞いていなかったから、壇上に出たノーアを見て驚いたんだ」
「宣言式に箔をつけたことで借りは返したはずだぞ。……それよりも、君が驚いたのはそこなのか、リリィ? 僕の正体なんてこれまで一度も話した覚えはないけど?」
怪訝そうに膝の上で指を組むノーアに、問いを向けられたリリアーナは苦笑いを浮かべる。
「確信と言えるほどではないが、前々から察しはついていた。精霊に見せられた五歳記の幻視に、コンティエラで会った時のこと、サルメンハーラでの対話。その中でいくつもヒントは貰えただろう? 大きくて高い塔に住み、高位と思われる聖堂関係者で、『精霊の宣託』を受けている。そこまでくれば中央の大祭祀長と関わりある人間だろうと推測はつく」
それくらいの立場でもなければ、聖句の原典について答えるなんて断言は難しいだろう。
それにコンティエラで初めて会った時、カミロはノーアの顔と名前を知っていた。イバニェス領外の聖堂関係者なんて知る機会はあまりなさそうだけど、前々回の領主会合にファラムンドの代理で参加していたから、その時に紹介を受けたのかもしれないと後々考えた。
すでにずい分な高齢だと聞いている中央聖堂大祭祀長の後継者。リステンノーア。
(こちらからの捕捉はできないが、おそらく彼のそばにはパストディーアー並の大精霊がついている……)
リリアーナの真っ直ぐな視線を受け、何かを見透かすように目を細める少年の考えは読めない。
「自分でお前のもとまで辿り着くという約束だろう。……だから、今日のこれはサルメンハーラの時と同じで例外。ちゃんと五年後に正々堂々と会いに行くから、あの塔で待っていろ」
「祈念式で君が驚く様を見てやろうと思っていたのに、バレていたのは残念だ。まぁ、お言葉通り大聖堂で待っているから、せいぜい中身の成長を伴ってから来てくれ」
そう意地悪く笑って見せるノーアは、籠に盛られた砂糖菓子をひとつ摘まんで口へと放り込む。乾燥果実を溶かした砂糖でコーティングした菓子は見目も華やかだが、少年の舌にはいまいち合わなかったらしく、「甘い」と言って顔を顰めた。




