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先約の主


 薄化粧の眦をつり上げて怒るクストディアと、それをなだめるシャムサレム。立場や格好が変わっても、このふたりは相変らずなようだ。

 前と違うことと言えば、いつも兜で顔を隠していた青年が今は素顔を晒していることくらいか。目元まで及ぶ大きな古傷は、伸びた前髪で上手いこと隠している。鍛え上げた厚みのある体躯に、真新しい式典用の装備は良く似合っていた。


「シャムはもう兜を着けていないんだな?」


「私は外させるつもりなんてなかったのだけど。……衛兵じゃないんだからっておじいさまも言うから、仕方なく折れてあげたのよ。鎧や名前を変えたからってどうなるわけでもないのに、体面だの何だの面倒でたまらないわ」


「名前……?」


 瞬いて顔を上げるリリアーナに、シャムサレムはぎこちなく微笑み返す。


「大旦那様 が、家名を下さったんだ。ディアが領主になっても、ずっと一番そば で、支えられるようにって」


「従者といえど身分が低い人間を置いていると、周りが何だかんだうるさいの。まったく、生産性皆無の塵芥の分際で偉そうに、砂粒程でも役に立ってから口を開けというのよ」


「そうか……、うちはその辺がずいぶん緩いらしいから、普段あまり気にすることもなかったが。あれこれ言われるような立場になると大変なんだな」


 以前と変わらず部屋に引き籠っていれば、ブエナペントゥラが健在なうちはその庇護を受けて安穏と生きることができた。でもその生活に期限があると知ったとき、クストディアは不変を望むことなく、自ら部屋の外へ出ることを選んだ。面倒ごとを他人任せにせず、自分で背負い込むことを選択したのだ。

 もともと地頭は良いのだと、あのレオカディオすら認めていた少女。本人さえその気になれば、きっと遅すぎるということはない。


 廊下で足を止めたままリリアーナが口を開く、その言葉が音として出る寸前に。目前を金の燐光がふわりとよぎった。


「……?」


「何、言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ」


「いや……うん、ちょっと待ってくれ」


 汎精霊の淡い光など日常の中で見慣れている。普段はなるべく意識しないように、焦点をその層に合わせずにいるから特に視界を邪魔することもない。だがその精霊の光は他とは少し違うように視えた。

 ぼんやりとした淡い光、だが確かな主張を持ってそこに浮いている。リリアーナの視線を引きつけたのがわかったのか、金の光はその場でくるりと旋回すると、少しばかり速度を上げて廊下の向こうへふわふわ飛んでいく。


「何だろう、ついてこいってことか?」


「何だろうもなにも、私には全く何も見えないけど。誰かが魔法を使ってるの?」


「そうかもしれない。不用意におかしなものへ近づくのは躊躇われるが、屋敷の中は安全なのだろう?」


「そりゃあね、こんな状況だもの。うちだけじゃなく余所から来てる連中だって護衛役に精鋭を連れて来ているわ。今日この日ばかりは、たぶん大陸の中でここが一番安全なはずよ」


 それなら少しくらいは好奇心寄りの行動をしても構わないだろう。リリアーナの頭の中でそんな風に天秤が傾いたのは、誰の目にも明らかだった。

 呆れを隠そうともしないクストディアの手を引き、精霊の光を追いながら三人で廊下を歩く。道案内でもするかのように見えた光だったが、意外にも目的地はそんな案内もいらないくらい、すぐ近くだった。

 真っ直ぐ進んだ先、道幅の変わった廊下の右側、豪奢な扉の中へ光は吸い込まれていく。扉の左右には白い服を着た男がふたり立っていた。


「ここは?」


「休憩用に用意した部屋よ。あんたを連れて来ようとした場所だけど、なんだかおかしなのがいるわね。……ちょっとあんたたち、誰の許可があってここを使っているの? 来賓用の休憩室なら、別に案内がされるはずだけど?」


 苛立ちを滲ませるクストディアの問いかけに、男たちはみじろぎもせず鋭い視線を返す。


「このお部屋は先約済です」


「はぁ? 私が使うために用意したのに、誰の先約ですって?」


「サーレンバー家の方から許可は得ております。高貴な御方が休憩中ですので、あまり騒がれませんように」


 相手が誰か気づいていないのではと疑問に思うほど、その対応は素っ気ない。にべもなく返す男に、クストディアの機嫌はめきめき下がり、反対に眉と眦がギリギリとつり上がる。

 それでも一応、目の前にいるのは来賓の従者。体面を考えて怒鳴り散らしたりはせず、爆発寸前の怒りを顔面のわずかな変化に留めているあたり、少女の成長がうかがえる。


「私の指示を無視して勝手な許可を出した不届き者はあとで炙るとして。まさか、この屋敷の中で私に逆らう人間がいるなんてね。あまりふざけたこと言ってるとその舌がどうなっても知らないわよ?」


「舌をどうするんだ?」


「根元から切るなり、縦に裂くなり、引っこ抜くなり色々あるけど。廊下を汚すのも嫌だし、伸ばして結ぶのはどうかしら、シャムが」


「ディアがやれと言う ならやるけど、伸ばす前に引っこ抜けるとおもう」


「乱暴はどうかと思うが……、こう、舌の筋繊維をぎゅっと握り潰しながら少しずつ引っ張れば、多少は伸びると思うぞ」


 物騒な会話を交わす三人はいたって真面目で、その口振りから冗談ではないと悟ったのだろう、そこでようやく扉の前のふたりが顔色を悪くしはじめた。どうするべきかと目配せをして相談する。

 じり、と距離を詰めるシャムサレムに怯えを見せて一歩ずつ後退をするふたり。その間で、扉が内側から開かれた。

 中から漏れ出る金の光に、リリアーナがはっと息を飲む。


「専用に誂えた部屋でないらしいことは承知していた、彼らに代わり無礼を詫びよう、サーレンバー次期領主殿。もし差し支えなければ、少し中で話をしていかないか?」


 穏やかながら、相手に否とは言わせない不思議な強制力を持った言葉。口を開こうとした従者たちを白い手で制すると、ふたりはその場に片膝をついて頭を垂れた。

 それまで憤懣やるかたないといった様子でいたクストディアも、怒りを鎮めて正式な礼の形を取る。


「大祭祀長様がご利用中だったとは、ご休憩中に騒がしくして申し訳ありません」


「いや、無理を言って部屋を占有したのはこちらの落ち度。その件についても詫びさせてくれ。……そちらの従騎士と、客人の令嬢も良ければこちらへどうぞ」


 一度クストディアと目を合わせたリリアーナは、促されるまま室内へと足を踏み入れる。

 質の良い調度品で整えられた部屋はこざっぱりとしており、クストディアの私室とは大違いに整頓が行き届いていた。

 広い部屋の窓側にはゆったりとしたソファセット、食事をとれるテーブルや寛げるカウチソファなど焦茶の木材で造られた家具はいずれも品が良く、刺繍の衝立の向こうには揃いのベッドや小さな書棚も設えられている。


「……いい部屋だな」


「でしょう、あんたが気に入りそうなものを取り寄、こほん、……まぁ多少の見る目があればどれも質が良いってことくらいわかって当然よね、この私が用意したんですもの、品質も配置も完璧、どこぞの田舎娘とは培ってきたセンスが違うのよ!」


 腕を組んで顎を上向かせたクストディアは、得意げに鼻息を荒くする。その場で部屋を見回すリリアーナとそばに控えるシャムサレム。

 招き入れた当人は扉を閉めるなりそんな三人には見向きもせず、奥のソファへ歩み寄ってどかりと座り込んだ。


「ちょっと。大祭司長様ともあろう御方が、態度悪いんじゃありませんこと?」


「ああ、申し訳ないね、次期領主殿。態度と口が悪いのは生まれつきなんだ。部屋を勝手に使ったことは詫びるから、少し静かに休ませてもらえないかな。廊下への往復で無駄な体力を消耗した……」


 ソファの背もたれに体をあずけてそう悪態をつくが、本当に顔色が悪い。指先を動かすのも億劫だと言いたげにそのまま目蓋を閉じる。

 シャムサレムにお茶の準備を命じたクストディアは、所在なげに佇んでいたリリアーナを伴ってソファの対面側へ腰を下ろした。


「侍従医でも呼びましょうか?」


「いや……もう少し休めばどうにか。ここから直に帰れれば一番なんだが、たぶん一度聖堂へ戻らないと無理だろう。……ったく、本当にろくなことをしない」


 額を押さえて何とか上体を立て直し、毒づきながら正面へ目を向ける。その赤い瞳を見返しながら、リリアーナは迷い続けた第一声をようやく放つことができた。


「久し振りだな、ノーア。こうして直接会うのは二年ぶりか?」


「あぁ、そうだね。再会はずっと先だろうと踏んであんな別れ方をしたのに、上手くいかないものだ」


 儀典用の帽子も祭服も脱いだその姿は、壇上にいたときよりも一回り小さく感じる。具合悪そうに白い顔をした少年──リステンノーアは挨拶を返すと、皮肉気に肩をすくめて見せた。



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