領主権移譲宣言式
柔らかな春風が吹く、蒼天の下。灰色の石を積み上げた荘厳な大聖堂は、静かな熱気に包まれていた。
最高品質の石材をふんだんに使用した造りとその規模は、さすがはサーレンバー領という感想を来賓たちへもれなく抱かせる。そこかしこに飾られた早咲きの生花と愛らしいリボン飾りが、研がれた石面の与える冷ややかな印象をやわらげていた。
町の中心部南に位置する大聖堂は早朝より多くの領民たちに囲まれ、そのざわめきは厚い石壁越しに内部へも伝わってくる。大通りには天幕を張った出店も多く並んでいたから、この式が終われば町中が祝賀の祭りで賑わうのだろう。
「あれ? リリアーナ、もしかして緊張してる?」
「わたしだって緊張くらいする、こんなに大勢の前へ顔を出すのは初めてなのだから」
「挨拶とかはお屋敷へ戻ってからが本番だし、それまではすまし顔で座ってればいいんだよ。式が始まれば、この二階を振り返ってるバカ共も大人しくなるでしょ」
隣の席でよそ行きの顔を見せている次兄は、口を開けば相変らずの調子だ。その言葉へ曖昧にうなずきながら、リリアーナは眼下に設えられた壇へと視線を向けた。
並んだ座席の中央に通路が敷かれ、最奥に精霊像と卓が据え置かれている。花と布で彩られている以外は、これまで見たことのある他の聖堂と造り自体は同じ。ただ、その規模には少しばかり圧倒されるものがある。
座席についている来賓は優に百を越え、自分たちのような特別招待客は二階のテラス席に豪奢な椅子が用意されていた。この場所から仰いでも天井は遥か遠く、色ガラスの嵌め込まれた天窓が外光を透かして見事な模様を描いている。
単純に建物の大きさだけを比べても、コンティエラの聖堂の二倍以上はあるだろう。
「優れた石材の産出領ということは知っているが、建築技術も見事だな。剛毅な意匠は、ここの領主邸とも似通っている」
「サーレンバーは大きい箱モノが得意だからねぇ、例の大劇場も……って、リリアーナはまだ行ったことなかったっけ」
「わたしが悔しがると思って、わざと言っているだろう?」
おそらく半分は緊張を見せる妹を気遣っての軽口。それをわかった上で、リリアーナが『優雅な微笑み』を維持しながら横目で睨みつけると、次兄は片目を閉じるだけでそれに応えた。
早くから社交の場へ出ていたレオカディオは自分へ注がれる視線の雨も、その扱い方にも手練れている。あえて衆目を集め、挙動や表情のみでそれを操り、自身への印象を思うがままに操るのだ。
もともと目立つ容姿をしているため注目を浴びやすかったが、成長にともない幼さが抜け、代わりに最近は危なげな色香を纏うようになってきた。リリアーナには未だよく分からない分野の話だが、その方面での成長に対し、父と長兄が頭を痛めているのは知っている。
実際、この一年と少しの間にレオカディオはずいぶん背丈が伸びた。少年から青年へと変わる狭間、羽化の時間。毎日間近で見ていると成長を実感しづらいけれど、着実に歳を重ね大人に近づいている。
「なに、僕に見惚れちゃった?」
「わたしもあと数年したらこんな顔になるのかー、と思っていた」
「兄としては微妙な気持ちになる感想だねそれ……」
小声でそんな取り留めのない雑談を交わしていると、席の後ろに立ったまま従者たちと何か話していたファラムンドが戻ってくる。目が合うと無言のまま小さく笑い、指先だけで壇上を指す。
リリアーナが再びそちらへ視線を向ければ、横の扉から燭台を手にした女官や官吏たちが出てくるところだった。来賓たちのさざめく声も止まり、聖堂内が静まりかえる。どうやら式が始まるらしい。
レオカディオの言った通り、階下からの値踏みするような視線も途絶えた。リリアーナが顔面を神妙モードに切り替えて居住まいを正し、壇上を見守っていると、しんとした堂内に車輪のまわる音が響き渡る。
車椅子に座した正装のブエナペントゥラと、それを押す鎧姿の青年。続いて深緑色のドレスを纏うクストディアがゆっくりと歩き、設置されたスロープを経て壇上へ。
飾り気の少ない装いのためか、一年半ぶりに見る少女はずいぶんと大人びていた。
サーレンバー領主権の移譲宣言式。
長引く病に引退を決意した現領主ブエナペントゥラは、その権限の全てをただひとりの直系である孫娘、クストディアへ譲り渡すと公布した。
本来であれば根回しや準備などもっと期間を設けるそうだが、彼の病状が思わしくないため、クストディアの十五歳記を間近に控えたこの春のうちに宣言式だけでも、という運びになったらしい。
一昨年の騒動により領主の椅子を狙うような近親者は一掃されており、分家などからも強い反対の声は出なかったと聞く。年齢や性別を理由にいくらかの反発はあったものの、残った叔父夫妻が支援側についたのが大きかったようだ。
また、クストディア自身も交易の方面に強みを見せてここ最近は表へ出るようになり、後継教育を受けながら降り積もった悪評を自ら塗り替えている最中だとか。その目利きの確かさと痛烈な手腕は、商人経由でイバニェスへも伝わってきている。
物だらけの私室に引き籠り、癇癪を起こしていた少女もまた、殻を抜け出し成長しているのだ。
ブエナペントゥラが述べる長い長い挨拶と移譲宣言の間、化粧に彩られた鋭い眼差しが二階席にいるリリアーナたちを捉える。
大勢の来賓の前へ晒す、自信と威厳に満ちたその姿。数多の視線を浴びながら、背筋を伸ばしサーレンバー領主後継として堂々と立っている。
止まった時間の中で怯えていた少女の面影は、もうどこにもない。
(少し見ない間に、立派になったな。見直した)
想うだけの声は届かずとも、気高い少女が見慣れた顔で嘲笑った気がした。




