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間章・とある王国の片隅で④

(※流血表現注意)



 こみ上げる感情に息が詰まり、余計なものが漏れて出ないように力を込めた。それでも、内側で膨らむ何かは胸を焦がし続ける。膝をついてみっともなく声をあげて、涙と鼻水を垂らしながら物心つく前のガキみたいに泣き喚きたい。

 悔しいのか悲しいのか、それとも羨ましいのか、自分の感情なのによくわからない。視界が潤むけど、目の前で横たわる天敵には格好つけたくて精一杯の虚勢を張った。

 きっと、今、自分はひどい顔をしている。


「……エルシオンといったか。お前はまだ若いのだから、未来と呼べる時間はたくさん残っている。役目以外に何もないなんて悲観せず、これからは好きなように生きるがいい」


「そんなこと、言ったって……」


 どうして殺そうとした相手とこんなこと話してるんだろう。

 そもそも、どうしてこいつを殺さなくちゃいけないんだっけ?

 別に放っておいたって人間に害があるわけじゃないし、噂で聞くみたいに凶悪な怪物でもなかった。理性的で賢くて話も通じる。いきなり居城に押し掛けて殺しにかかっている自分のほうが、よっぽど悪いヤツみたいじゃないか。『勇者』って肩書きを盾に、とんでもない迷惑行為をしている悪者だ。


 なんだか急に馬鹿馬鹿しくなって、首元へ突きつけていた剣を下ろそうとすると、不意にひどい頭痛が襲ってきた。……これは、知ってる、頭蓋が押し潰れる痛み。視界が歪み、切っ先がぶれる。

 奥歯を噛んで耐えようとしても、ガンガンと金属を叩きつけるような音が鼓膜の奥で反響して、絡みつく声が何重にもなって頭の奥に響き渡る。


殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ魔王を殺せ魔王を殺せ魔王をその手で殺せお前が殺せ役目を果たせ!

「ああああああああぁァ、おオぁァァァァァァァッッ!!!」


 喉の奥から絶叫をあげ、肺腑を絞り、また勝手に動きそうになる体をあらん限りの意思の力で繋ぎ止める。痛い。痛い。痛い。額に脂汗が浮かんでは流れ、目に入り込む。視界が明滅する。

 ぎゅっと目を瞑って頭の中の大音量を追い払いながら、それまで固く握りしめていた剣の柄を手放した。

 意思に反し握り込む筋肉と、無理に開こうとする力に耐えかねて、指の骨が何本か折れる。その痛みが意識を繋ぎ止めてくれるから、今はむしろ有難い。

 がらんと音をたてて床に転がる聖剣をこじ開けた目の端にとらえ、「ざまぁみろ」と内心で毒づいた。


「おい、お前、こら、無茶をするな! 役目に抗おうとすれば耐え難い苦痛に苛まれる、そんな事とうに知っておろうに!」


「知ってる、けど……いいじゃん、別に今でなくても。オレが『勇者』なのは仕方ないよ、わかってる、……でもさ、役目を果たすのは、何も今じゃなくったって、いいでしょ」


「何を……」


 とても立っている余裕がない。でもこのまま倒れて目の前に仰臥する相手を押しつぶすのは何だから、男のそばに両膝をついて耐えた。

 ひどい頭痛も、脂汗も、頭蓋の中でガンガン鳴り響く声もぜんぜん止まらない。胃がせり上がり今にも吐きそうだ。それでも精一杯強がって、不敵に笑って見せる。


「あんたが、今言ったんじゃん。役目のついでにやりたいことやってきたって。だったら、オレも、まだお役目の途中ってことにしてさ……あと何十年か、このまま『勇者』してたっていいじゃ ぅ、ゲァッ」


 肺が引き攣れ、逆流した胃酸を吐き出したと思ったら真っ赤だった。

 内臓をやられたらしい。口の中が酸っぱさと苦さと鉄臭さでめちゃくちゃ不味い。床に広がった黒いマントを汚してしまって、なんだか申し訳ない気持ちになる。


「やめろ、言葉にするな、逆らう意思を持つな!」


「せ、っかく、言葉通じるんだし……。オレ、初めてなんだよ、わかって(・・・・)くれる相手と会えたのも」


 見えざる意思に逆らえばどうなるか、身をもって知っているということはこの男も同じ目に遭ってきたのだ。この痛みを、責め苦を知っている。やっぱり同じなんだ、自分と同じ。


「やっと……、初めて、アンタだけ、が、」


 割に合わない運命を押し付けられたと落胆し、ひとりで悲劇の主人公気取りをしていた。

 自分ばかり、世界で自分だけがこんな辛い思いをして、ずっと死にたいと願いながら死ねなくて、毎日が嫌で嫌で仕方なくて、孤独に狂いそうになってるのはひとりだけ。そう思い込んでいた。

 でも、そうだ、自分だけじゃなかった、『勇者』と『魔王』は対なんだから。

 ひとりぼっちじゃなかった。オーゲンやペッレウゴに知られたら笑われそうだけど、自分はずっと「寂しかった」のだと今頃になって自覚した。


 やっと見つけた嬉しさと手遅れになる前に気づけた喜びで、全身の激痛も気にならなくなる。

 こっちのロクでもない人生と違って、ずいぶん楽しそうに過ごしてきたっぽいのは羨ましいし、正直だいぶ妬ましくも思うけど、きっと自分の性根が腐っていただけなんだ。

 本当は、もしかしたら、オレだってこんな風に満ち足りた人生を歩めたのかもしれない。


「……っ、が……ァ!」


 喉が灼けてうまく声が出せない。でも精霊の加護が宿る聖剣は手放したんだから、もうデスタリオラには敵意がないことは伝わっているだろう。

 視界が赤くかすむ。

 鼻の奥があつい。

 血がこぼれる。

 殺せと蠢く。

 イヤだ!


 ブチブチとこめかみの奥で何かの千切れる音を聞きながら、気合いだけで笑顔をキープする。もう戦意はないのだと、対話の姿勢を見せなければ。

 意識がふわついてちょっとまずそうだから、ひとまず口をゆすいでくる時間を貰って、場を改めて話し合いをしよう。

 城外で響いていた爆発音はいつの間にか止まっている。もしまだオーゲンやペレ爺が無事なら和解の方法を探って、みんなで今後のことを話し合って、どうにか王都の奴らをごまかすか黙らせるかして、それで、それから、その後は――……


 出血に濡れて霞む目をこすりながら、これからのことで頭が一杯になっていた。浮かれていた。

 だから無言でいたデスタリオラが素早く腕を伸ばし、自分の腰に差している短剣を抜いたことにすら、気づくのが遅れた。


 鞘と刃の擦れる高い音。煌めく白刃。

 止める間もなかった。

 細い喉に、銀の刃が突き立てられて、抉りながら真横に引き裂く。


「――――っ」


 目の前が真っ赤に、赤く、全身に噴き出る血を浴びて、何もかも赤くなる。

 体温そのままのぬるい液体で顔面を濡らし、口内へ入った自分以外の血の味を感じ、そこでようやく何が起きたのか理解した。

 動けないままでいる愚か者を嘲笑うように、頭痛も吐血もそこでぴたりと止まった。


「なん、で、なんで、……っ!」


 自らの喉を裂いた血塗れの短剣を手放し、デスタリオラはこちらを見て、微笑む。

 噴きでる鮮血の向こう。すべてに満ち足りたその笑みは、本当に、心底ほっとした穏やかな顔をしていた。初めての笑顔がこれなんてあんまりだ。動けない、言葉も出てこない。

 そして、ゆっくりと目蓋が閉じられる。

 安心しきった白い顔を、ただ見ていた。


 ……だめだ。だめだ、まだ、死なせてたまるか!

 硬直からとけた体を突き動かし、斬り裂かれた首を折れたままの手で押さえて止血する。

 鮮血の溢れるその奥、骨と管の断面が覗いていた。太い血管どころか気管も頸椎もまとめて断たれている、この馬鹿力が!

 急いで【治癒】を上回る、【修復】の構成陣を描いて全力でぶん回す。開いた肉や皮は後回し、首の骨とその中身と重要な血管を優先して繋ぎ合わせて、溜まった血液を抜いて肺に空気を送り込んで、肩口からの傷もちゃんと塞ぎこれ以上の失血を防いで――


「っ――、待って、くれ、待って、なんで……なんでだよっ! いやだ、やだ、待って、だめだ嫌だぁ……っ!」


 自分の手も患部も全てが赤く染まって境界がわからないほどぐちゃぐちゃに濡れた中で、涙と鼻水を流して嗚咽に震えながら壊れた部分を繋ぎ、やれるだけ精一杯の治療を施しても、首の脈拍は戻らない。呼吸をしていない。心臓が止まったまま。

 もう、二度と動くことはなかった。

 魔王デスタリオラは死んだ。

 役目は終わった。

 これで終幕。

 ハッピーエンド。

 どこかで主演を嘲笑う声が。

 カーテンコールの喝采が聴こえる。


「あぁ……、あ、……ぁ……、ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!!!」



 頭を抱えてその場に蹲り、喉が裂けるまで叫び声を上げる。天井が消えて吹き抜けと化した広いホールに、ひとり取り残された男の昏く深い絶望が響き渡った。







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