遺物
半ば崩れている建物ではあるが、一度入って西側へ向かえば壁にひびもなく、少し大きな突風に見舞われた後というくらいの荒れ具合だった。
たまに置物が倒れたり、廊下に書類が落ちていたりと、目に映る異変はその程度。半壊した外観を知らなければ、そしてアルトからの報告がなければ、崩れ落ちる可能性のある建物とはとても思えないくらいだ。
「さて、カミロたちはどの部屋にいるのか……」
<ふたりとも、二階の一番奥の部屋にいるようです。それ以外、この西側にはヒトの気配はありませんね。崩れた東側は、瓦礫を掘ったりと作業をしているのが何名か>
「ふむ、上か」
歩みを進める間にも警戒を続けていたが、天井から砂が零れたり破片が落ちたりということもなく、屋内はしんと静まり返っている。どうやら今すぐぺしゃんこになる心配はなさそうだ。
階段を上がり、道なりに広い廊下を進む。しばらく行くと小さな物音とともに、男の話し声が聞こえてきた。
「カミロ、そこにいるのか?」
「っ、……お嬢様?」
ひと声かけて開け放たれたままの重厚な扉から中を覗くと、こちらに背を向けて屈んだカミロが首だけで振り返っているところだった。いつも通りの無表情でも、その声に驚きが混じっている。
室内で一体何をしているのだろう。部屋へ足を踏み入れようとしたその時、「止まれ!」という妙に甲高い声が響いた。
「どこの子どもだ、こんな所にまで入り込んで。危ないから入って来るんじゃない!」
その声の主はカミロと同じように体を屈め、片手に大きな布袋を持っている。
よく肥えた体躯に、耳元まで繋がった濃い髭と眉毛。紹介を受けなくとも、この人物がサルメンハーラの後継者だということがすぐに分かった。
そっくりとまではいかなくても、彼の面影がある。たしか商団の中に息子をひとり連れていたが、年代的に彼の子どもだろうか。
武装商団を率いるサルメンハーラに自分たちがどれだけ世話になったか、持ち込まれた品々を元にどれほど住民の暮らしが豊かになったか。かつての思い出話を聞かせてやれないのが残念だ。
「お嬢様、足元にお気をつけください、破片がその辺りまで散らばっております」
「破片?」
カミロの言葉に、明りが消えて暗い足元をよく見てみると、砕けたガラスの破片がいくつも落ちていた。透明度が高いせいで気づけなかった。その中には割れた陶器のような欠片も混じっている。
これを拾うために、ふたりとも屈み込んでいたようだ。額に汗を浮かべた頭領は、布袋を片手にせっせと破片を拾い集めている。
「ひと欠片でも踏んだらただでは済まさんぞ! 危ないから下がっておれ!」
「何だ、状況を理解しているのかと思えば、危ないと言っているのは破片のことか……」
床に散らばった欠片を踏まないように気をつけながら、カミロの近くまで歩み寄る。
途中でサルメンハーラの頭領が肉のついた顔を上げて睨みつけてきたが、破片のない辺りで足を止めると何も言わずに作業へ戻った。
その姿を横目に、膝を立てて体勢を直したカミロが自分とトマサを順に見上げ、声をかけてくる。
「表で、何かございましたか?」
「いいや、外は大丈夫。空から攻撃してきた白竜は、えっと……イバニェス家の長子が退治したと商人たちが噂していて、次男殿が正しい情報を広めるよう指示に出たところだ。あちらには新入りの自警団員もついているから人手は問題ないだろう」
そんな歯に物の挟まったような曖昧な説明の中から、的確に情報を受け取ったらしいカミロは納得にひとつ頷いて見せた。
「なるほど。アダルベルト様は竜退治の猛者として密かに名を轟かせる程の御方ですから。此度の騒動を予感し、先んじてサルメンハーラ入りを果しておられたのですね」
「そんな馬鹿な、あのうらなり瓢箪の若造が竜退治なぞ! そもそも奴は無様に気を失っていた所を、」
「何です? 先を続けてください」
「いや……うむ……、彼がここへ来ていたのか、それは知らなかったな。ひとこと言ってくれれば良かったものを。今晩にでも改めて歓迎の場を設けるとしよう」
そう言葉を濁すと、わざとらしく咳払いなどしながらまた作業へ戻る。カミロが言っていた通り、ここでアダルベルトを保護した晩に行方が掴めなくなったことは隠したいらしい。
それならそれで、こちらも好都合。アダルベルトは飛竜に誘拐されたのではなく、自ら竜退治のためこの町へ乗り込んできたという筋書で通すことができる。レオカディオが狙っている風聞の操作もおそらくこれだ。
「ともかく、町のほうはもう大丈夫。だが、今はこの建物の方が危ない、風雨などの衝撃でいつ崩れてもおかしくない状態なんだ」
「それは……、いえ、わかりました。では今すぐここを出ましょう」
カミロが飲み込んだのは、なぜそんな危ない場所へ自ら入り込んできたのかという言葉だろう。
引き止めるトマサに無理を言ってここまで来たのは自分の責任だから、小言はあとでたっぷり頂くことにしよう。
手にしていた破片をハンカチにまとめ、立ち上がろうとするカミロを上擦った声が遮る。
「馬鹿を言うな、手を止めとらんでさっさと拾え!」
「どの道、この破片を全て集めたところで元通りにならないことは、もうお分かりのはずです。もう諦めて避難しましょう」
「だとしても、このまま放置などできるものか! これは我がサルメンハーラ家の宝、欠片のひとつたりとて手放すことなどできん!」
今にも地団駄を踏みそうな顔でそう声を荒げると、頭領は掴んでいたガラス片を端のほうへ投げ捨てた。唖然と見る間にも、一箇所に溜まっていた大きめの破片を次々と放り投げてしまう。
てっきりガラスの欠片を拾っているものとばかり思っていたが、どうやら違うようだ。
「細かな破片もありますし、あとは清掃道具を使って集めたほうが早いですね……。トマサ、下の階の西端に物置があります、そこから箒とちり取りを持ってきて下さい」
「なんだと、貴様、我が家の至宝をゴミ扱いする気か! それよりも人を呼んでこい、手分けして集めれば良い話だ」
「今の状況では、呼んだところで招集に応える方はいないでしょうし、人が増えるほど踏み砕いてしまう可能性も高い。今すぐに、ひと欠片も残らず拾い集めたいのでしたら他に手はありません」
ぴしゃりと言い切るカミロに反論を封じられた男は、顔を赤くしたまま体を丸めて手を動かす。部屋中に散らばっている破片を、ヒトの手で集めるのは難しいと納得したのだろう。
目線で促されたトマサはこちらに一礼し、エプロンスカートを翻して廊下を戻って行った。
「それで、これは一体何を拾い集めているんだ? 断片を見るに、陶器の壷のようなものだろうか?」
「ええ、壷というか水瓶だそうです」
「水瓶……?」
その言葉に、ちりりと記憶の隅が焼けるような感覚を覚えた。
サルメンハーラの宝。水瓶。指先大の破片をひとつ拾って間近で観察してみれば、ありふれた素焼きのような色合いにはどこか見覚えもある。
「これはかつて本物の『魔王』より下賜された我がサルメンハーラ家の家宝。他の宝物はほとんど王家に徴収されてしまったが、日用品を装ってこれだけは残ったのだ。このままにしては祖父にも父にも顔向けできん!」
「これを……こんなただの瓶を、家宝に?」
「フン、なんとでも言うがいい。私とて目利きくらいできる、コレが金に替えられる代物ではないと分かっているさ。それでも、父たちが後生大事にしていた『魔王』との繋がりの証だ、これを失っては町の存続にも関わりかねない!」
「……」
怯えすら滲ませる男の独白に、言葉を失う。
これは決して宝などではない、自分たちの悔恨のかたまりだ。
ウーゼを失った怒りのあまりサルメンハーラ一行を疑い、この瓶に満たした水で彼らを試すようなことをしたデスタリオラの後悔。
危険物と知りながら相手の素性も確かめずに譲り渡し、結果あの事件を招いたサルメンハーラたちの後悔。
「お前の祖父らがその瓶を手元に置き続けていたのは、決して宝だからという理由ではないし、ここに捨て置いたところで譲渡した主も何とも思うまい」
「はんっ、貴様のような小娘に何がわかる!」
「わかるとも。渡した側と受け取ったサルメンハーラ、互いにとって苦い思い出の籠った品だ。帰路に水瓶としての用を終えたら破棄してしまっても良かったのに……。あえて目の届くところに置くことで、長く自身への戒めとしていたのだろう」
言葉にならない思いがうずまき、片手で目元を覆う。
あれからも度々キヴィランタを訪れたサルメンハーラたちは、以降あの件については一切ふれることがなかった。
こんな瓶を懐に抱え、自分と同じように悔恨まで抱え続けた。豪快に笑うあの男の髭面がぼんやりと浮かび上がる。
「お嬢様、お加減でも?」
「いや、大丈夫だ。……それよりも頭領殿、この非常時にやるべきことは他にあるだろう。いくら破片を集めたところで、ここが崩れては元も子もない。大きな欠片だけ浚ったら外へ出よう」
「勝手にするがいい。今すぐ崩れるわけでもないなら、私はここを動く気はないぞ」
カミロと顔を見合わせ、肩を竦める。
頑なにうずくまったままの男は何を言っても聞く耳を持たないようだし、本人の望みで留まりたいと言うなら仕方ない。せめてカミロだけでもここから連れ出そう。
その腕を引いて立たせるべく、薄暗い中で一歩を踏み出す。
「おい、そこにも破片がある、踏むなっ!」
片足を出しかけたところで、蹲っていた男が叫びとともに腕を伸ばす。
反応が遅れてそれをまともに喰らい、軽い体は容易く突き飛ばされる。
体勢を崩した頭領がつまずいて柱にぶつかり、尻もちをつくのが横目に映った。
「っ!」
<リリアーナ様!>
咄嗟に低い位置から飛び込んできたカミロに腕を引かれ、その胸に抱き込まれる形で床へ転がった。二転、三転して机の手前で止まる。
お陰で転倒による痛みも怪我もないが、自分を庇ったカミロの背が心配だ。ガラスの破片が刺さったりはしていないだろうか。
腕の中から上体を起こそうとしたところで、すぐ目の前にぱらぱらと砂や小石が落ちてくる。
いやな予感がして顔を上げるのと、部屋の支柱に大きな亀裂が走るのは同時だった。
やがて微細な振動が大きな揺れになり――
ズン、と腹に響く音をたて、建物全体が大きく揺れた。




