瓦礫の城
何度か背負われたことのあるカミロの肩よりもずっと華奢だが、トマサの足取りは疲れを感じさせないしっかりとしたものだった。
一緒にいたアイゼンの様子を見る限り、自分たちの落下地点を追ってずいぶん走ったようなのに、今こうして背負いながら早足に移動していても息切れひとつ見られない。
やはり、日頃の鍛錬の積み重ねがいざという時にものを言うのだ。トマサと比べてあまり成果は感じないけれど、寝る前の運動はこれからも続けていこう、と決意を新たにした。
「シオが落下地点について何か言っていたのだが、トマサたちが受け止める準備をしてくれていたんだな。お陰で怪我もなく着地することができた」
「何もせず空を見上げているだけというのは耐え難く……、私も彼のように追いかけられたら良かったのですが、とても真似のできない速度で屋根の上を駆けて行くのを見て、追随は諦めました。リリアーナ様がご無事で本当に良かったです」
「あぁ、極楽鳥を呼びに行ったんだな。あれはここへ来る途中ではぐれてしまったんだが、お前たちが見つけたのか?」
昨晩、塀の外に繋がれているのを見かけた薄紅の鳥。窓から飛竜に攫われ、それを極楽鳥に乗って追いかけて……と、何だか数日前にアダルベルトが連れ去られた時と全く同じことを繰り返す羽目になった。
「はい。コイネスを出たあたりで、岩に挟まっている所をレオカディオ様が発見しまして。落ちているのを拾ったのだから、もう自分の物だと」
「レオ兄らしいなぁ、あの極楽鳥も災難なことだ」
テルバハルムの山奥でひっそりと暮らしていたのに、エルシオンと出会ったばかりに羽毛を毟られ、召喚されて乗り物扱いを受け、さらには墜落して岩に挟まって助けられたと思えば縄で繋がれて私物化。
あまりに憐れだ。次に会ったらアルト伝いに好物を聞き出して、うまいものでも食べさせてやろう。
<長閑な山暮らしに退屈していたようなので、ここ最近の刺激の連続は意外と楽しんでいるそうですよ>
「っ?」
いるとは思っていなかったアルトの声が思念に割り入り、驚いて体が跳ねた。
何事かと訊ねてくるトマサには何でもないと伝え、片手で上着をまさぐる。ポシェットはあの時に外れたままだし、ポケットだろうかと手を突っ込めば、指先に慣れた感触。ぬいぐるみの外布に包まれたアルトバンデゥスの宝玉だ。
<リリアーナ様を追うように伝えた時も、ノリノリで「さっさと乗りな、旦那ァ!」とか言ってましたし。赤毛野郎が飛び移ったあとは、また元の場所に戻ったようです>
「……」
<あっ、私は、先ほどあの男が外套のポケットへ移してくれました。肩下げ鞄はリリアーナ様が攫われる際に破損し、精輝石もそのときに散らばったままです。此度も力及ばず申し訳ありません……>
自己評価の低い宝玉はそう言って何度目になろうかという謝罪を向けてくるが、十分な働きをしてくれた。
エルシオンと極楽鳥の意思疎通を手伝い、そして自分の言葉をエルシオンに伝えてくれた。そのお陰でセトを沈静化し、無事に降りてくることができたのだ。アルトの助力がなければどうなっていたのかは想像したくもない。
これまで優位性のためにと隠してきたアルトの存在が、奴に知られてしまったことについてはまた後で考えよう。
ポケットの中で宝玉を握り込み、無言のまま労いと感謝を伝える。
「リリアーナ様、領事館が見えて参りました、が……建物が、崩れて……?」
「先ほど、あの白い竜の攻撃を受けて半壊したようなんだ。カミロが一緒にいるからレオ兄は無事だと思うのだが、」
「はい、急ぎます!」
短く応えたトマサは速度を上げ、ほとんど駆けるようにして領事館の敷地へと踏み入った。
あたりは未だ騒がしく人の出入りが多い。崩壊による砂埃もおさまりきっていないようで、吸い込む空気が少し煙たい。
整然としていたであろう石畳には建物の破片などが散乱し、所々に大きな瓦礫も落ちている。
傍らに落ちている灯篭には、障壁用構成の一角が見て取れた。並みの攻撃であれば埋め込まれた精白石によって、半ば自動的に防御が成されていたのかもしれない。
見上げる領事館の主棟は、空から見た通りその半分を破壊され上階の部屋の断面が覗いていた。重厚な石壁も、太い柱も、用意された防衛手段も、セトの攻撃の前では何の役にも立たなかったようだ。
一度空から見て知っていたはずなのに、間近で見上げる損壊具合に圧倒され、しばし言葉を失った。
「これは、酷いな……」
「あちらに人が集まっているようですね」
トマサが指し示したのは別棟だろうか、同じ色の屋根をした建物へ出入りする中には、自警団員の黒い制服姿も見えた。
もしかしたらレオカディオたちもあそこにいるのかもしれない。
トマサの背中から下ろしてもらい、急いで別棟へ向かう。そうしてしばらく足を進めたところで、全く別の方向から声がかかった。
「あれ、リリアーナにトマサじゃん、いつ来たの?」
「レオ兄っ?」
振り向いた先には、少しばかり前髪が乱れている以外、朝に別れた時と全く変わらない様子のレオカディオが立っていた。
近づいてあちこち触って確かめるが、どうやら怪我はしていないようだ。不思議そうに見返してくる顔も、気遣わしげに肩へふれてくる手も、いつも通り。
それまで意識の外に置いていた緊張が一気に緩み、足から力が抜けてその場にへたり込んでしまう。
「ど、どうしたのさ、大丈夫?」
「いや……安心したら、力が抜けた……。良かった、カミロも無事か?」
「うん、無事だよ。今ちょっと野暮用で離れてるけど」
それを聞いて、地面に座り込んだまま深く息をつく。
トマサが手を引いてくれて何とか立ち上がることはできたけれど、緩んだ気力と消耗しきった体はもうどうしようもない。今すぐベッドに飛び込んで、このまま眠ってしまいたいくらいの疲労感が押し寄せる。
「はぁ、心配したぞ……。領事館が半分吹き飛んだのを見たから、中にいれば無事では済まないだろうと……カミロがいるから大丈夫だと、何度も自分に言い聞かせてここまで来たんだ」
「それは悪いことしたけど、まぁ、その通りだね。カミロがいなかったら全員どうなってたか分からないよ」
不穏を滲ませる次兄の言葉に顔を上げれば、レオカディオはどこか皮肉気な表情で口元を笑みに歪めた。
「空の竜に気づいたカミロが、腰を抜かして役に立たないオッサンに代わってここで防衛の陣頭指揮を執ってくれてね。建物の中と、周辺にいた人たちをみんなホールに集めて、防御の魔法を集中させたんだ。まさか本当に攻撃されるとはね、音と揺れがすごくってさ、おさまってから外に出てみたらアレだもん。お陰でサルメンハーラにでっかい貸しができたよ」
そう軽い口調で語るレオカディオだが、あんな攻撃を受けるさなかに身を置いていたなら、生きた心地はしなかっただろう。結果的に無事で済んだとはいえ、兄の豪胆さに改めて舌を巻く思いだった。
そして、敵の正体も攻撃手段もわからない中でよくぞと、カミロの的確な判断に感動すら覚える。自分がその状況に置かれていたとして、果してそんな行動が取れただろうか。
レオカディオの口振りからも、人的被害はほとんどなかったことが伺える。おそらく『でかい貸し』なんかで済まないことは、政治に疎い自分でも察することができた。
「リリアーナたちが向かおうとしてたのは仮設の指令所だよ。本館があの状態だからね、あそこで町中の被害報告とか集めて、今は状況把握にてんやわんやって感じ」
「そうだったのか……」
「それで、リリアーナの方は、トマサとふたりだけ? アダル兄とか他の人は?」
平気そうに見えて本当は動転しているのかもしれない、長兄に対する呼び方が元に戻っている。
そのことに気づいたレオカディオが頬を搔いて視線を逸らす中、自分たちが飛竜となったエトに攫われ空でひと悶着起こしたことは丸々省き、町の広場でアダルベルトが白い巨竜討伐の英雄として祭り上げられていることを簡潔に伝えた。
途端、レオカディオの目が爛々と輝きだす。
「何それ、すっごい面白い! 聖王国中から商人が集まってる中でそんなことになってんの、ちょっと、こんなとこでぼやっとしてる場合じゃないよ、情報は鮮度と操作権が命なんだから! 僕も行ってくる!」
「いや、待て! その前に、カミロはどこにいるんだ?」
すぐにでも駆けだしそうな次兄の袖を掴んで引き止めると、レオカディオは半壊した領事館を指さした。
「さっき、家宝を持ち出すとか言って頭領のオッサンが中に戻ってさ、それを呼び戻しに入っていったよ」
そう伝えるやいなや、レオカディオは裾を翻して破片散らばる通路を走っていってしまう。まだアダルベルトたちがいる広場の場所も教えていないのに、大丈夫なのだろうか。
その背を見送り、さてどこでカミロの戻りを待とうかと視線を巡らせていると、アルトから焦りの滲む声が届いた。
<リリアーナ様、ちょっとまずいかもしれません。あの半壊した建物は基礎も柱も相当ダメージを受けております。あと少しの衝撃で崩れかねない、今はかろうじて壁や柱が支え合ってバランスを取っているような状態です>
「何……?」
見上げる石造りの建物は、断面となった部屋のあちこちから今もぱらぱらと破片が落ちている。
よく見れば無傷に見える西側も厚い壁にはひびが入っており、アルトの言葉が逼迫したものだとわかった。
「崩れるのか?」
<今すぐというわけでは。ただ、強風や地震など、何らかの衝撃次第で連鎖的に状況が悪くなる可能性もあります>
咄嗟に踏み出した足が、肩を掴まれ一歩目で止まる。
いつになく強い力の籠った手。それを柔く掴んで視線を上げると、表情を硬くしたトマサがこちらを覗き込んでいた。
「リリアーナ様……、まさかあの半壊した建物へ入るとは仰いませんよね?」
「カミロに、建物が崩れるかもしれないことを伝えないと」
「私が向かって、おふたりへすぐに外へ出るようお伝えいたします」
「わたしが行かねばカミロと頭領の居場所はわかるまい。……わかった、トマサも一緒に来てくれ。それでもし何か危険があれば、またわたしを背負って走ってくれるか?」
なおも留めようとする言葉を、トマサがぐっと飲み込むのがわかった。侍女は一度目を閉じ、小さく息をついてから承諾の返事を返す。
自分のわがままに否と言えない大人に対し、悪いことをしているという自覚はある。無茶を命じるのではなく、お願いをすれば彼女たちは決して断れない。
内心ですまないと謝りながら、逸る心を押さえつけ、トマサと手を繋いで瓦礫の積もる入口へと向かった。




