サルメンハーラ空中戦②
全身に薄雲を纏わせながらゆっくりと移動をはじめた白い巨竜の姿は、とっくに町からも視認できているだろう。高度がありすぎて住民の様子まではわからないが、防御用の構成らしきものがいくつか浮かび上がって視える。
物理法則を自在に操るような相手に対し、果してあれらの盾はどこまで通用するのか。
「もしかして、セト殿は町に向かっているのか?」
「サルメンハーラを通り過ぎれば、その先はイバニェス領になるな」
「怖いことを言わないでくれリリアーナ、まるで順に蹂躙していくつもりのような、」
そこでセトの眼前に光輪が浮かび、一瞬で集束したそれは一筋の矢となって町を襲った。
これだけの高度があっても爆音が轟く。
威力の大半は荒野を削るが、その余波で外壁の一部と南側の倉庫が吹き飛ぶ。ちょうど一昨日の晩に自分たちが侵入した辺りだ。門からは距離があるから、せめて誰もいなければ良いと願う。
「エトはこっちにいるのに、なぜ町を狙う……?」
「翼竜というのはあんな風に狂暴なものなのか? このままじゃ本当に町が壊滅しかねない。エト、どうにかやめさせてくれ、お前の母君なんだろう?」
<うー、おれはここだ、こっち見ろ! こっち見ろ!>
空を滑るように旋回しながらセトの気を引こうとするエトだが、どういうわけか白竜はそれに構う様子もない。そうする内に、再び先ほどの光輪が浮き上がる。
再度、空から放たれる一条の矢。
白線を描いた一閃が、町の東側のひらけた場所を横薙ぎにする。爆発と水しぶきが上がり、近くにある建物がいくつか倒壊するのが見えた。
先ほどの一撃は狙いをつけるための試射だったのか、今度は的確に壁の内側を射抜いてきた。……だが、まだ軽い。もしこの二発で照準を掴めたのなら、次こそ致命的な一撃がくる。
「や、やめろ! エト、すぐ追いかけろ、町を攻撃させるな! 体当たりでもなんでもいいから止めてくれ!」
<アデュー、おれ、やるぞーやるぞー! やっつけてやる!>
そう応えるエトは急降下して白い背に突っ込むが、不可視の壁に跳ねのけられた。反発は大したダメージにはならなかったらしく、少し距離を取って体勢を整えると、再び顎を大きく開く。
先ほど撃っても効かなかったのに、また同じことをしても通用しない。無駄撃ちで消耗しまいかと伺う中、エトは波動のブレスを吐き出しながら前傾姿勢で白竜へと突進した。
先行する光砲が障壁にぶつかり霧散する。その間隙を縫うように、鋭い鏃と化したエトが頭から突っ込む。
セトの障壁が瞬間防御に特化していると見抜いたゆえの二重攻撃。戦法としては悪くないが、今ばかりは勘弁してほしかった。
「――――っ!」
空気の断層越しにも衝撃は伝わってくる。体に毛布を巻きつけて、そのまま床へ倒れ込んだような鈍痛が全身を襲う。
どうやら障壁は抜けたようだが、セトの体表強度に弾かれたらしい。激しい揺れに頭がくらくらする。
もし意識を失えば展開している魔法も長くはもたない。自身だけならまだしも、今はアダルベルトもいる。町への攻撃を止めさせなくてはならないが、身の安全も同じくらい大事だ。
「ぐっ……、う、エト、こっちの身がもたないから、体当たりはもう勘弁してくれ」
<あれ、リリもいる?>
「いる! 最初からいる! お前に兄上はやらんぞ!」
「エトがあんまり激しく動くと、俺もリリアーナも苦しいんだ。難しいかもしれないが、なるべく穏便に母君を止めてくれないか?」
自分の声は届かないのに、どうやらアダルベルトの言うことだけは素直に聞くようだ。エトは考えるように旋回しながら高度を上げ、そこからブレスを二発立て続けに放つ。
先ほどと同じ理屈なら、二発目は障壁を抜けるはず。だが、白竜の尻尾のひと振りでエトの攻撃はすべて霧散した。
あまりにも力量差が歴然すぎる。
翼竜の繁殖は、つがいとなった二体が力を半分ずつ出し合い、新たな個体を生み出すというものらしい。
その話が本当なら仔であるエトに対し、母竜のセトは現在、二分の一しか力を持っていないはず。
だというのに現実はこの通り、半分どころか力の差は倍以上にも感じる。容量が目減りはしても、セトのほうが長く生きている分、力の扱いにも長けているということだろうか。
それにしてもセトは一体どうしてしまったのだろう、文字通り半身を削って生み出した仔なのに、まるで見向きもしないだなんて。
かつて交流のあった竜の様変わりに対して抱いた、憂いと疑問。
それを、新たな光輪がかき消した。
「リリアーナ、あれは、まずいんじゃないかっ?」
「まずいどころじゃない、あっちの地面を抉ったのよりも大きいのが来るぞ!」
セトの周囲に浮かんだ無数の光球が巨大な輪となり、それが二重、三重にと厚みを増す。
自分が円柱陣を描くときと同じ要領だ、重ねるだけでなく、自ら効果を乗算している。
あの一撃で町をすべて吹き飛ばす気なのか。
「ああああー、もうーっ! 兄上、すまない、わたしをしっかり掴まえていてくれ、余力をぜんぶ使い切ってしまうかもしれない」
しっかりと視界へ収めるためにアダルベルトの腕の中で身じろぎ、体勢をわずかに傾ける。
せめて精輝石がひとつでも手元に残っていれば。今度からはもう少し身に着けやすい形にしておこう。そうしよう。
焦りでまとまらない頭の中を落ち着け、冷静に、息を整えながら集中する。
材料はたくさんあるのだから、うまくいけば今の力だけでも何とかなるかもしれない。
セトが出現する際に纏ってきた雲。朝からだんだんと天気が陰っているように見えた雨雲は、セトが自身を分子レベルまで分解して強制転移をする間、それを核にして大気中の水分子が集まってできたものだろう。
周囲に残る霧を集めて加工するだけなら、負担もそこまで重くならずに済むはず。
「拡散、分散……そして角度、厚みをもっと……!」
周囲に漂う水分を集め、セトとサルメンハーラの町の間にレンズを作り出す。
照準が済んでいる分、照射角の予想がつけやすくて助かる。おまけに滞空する白竜はその場から動く様子もない。
かつて、魔王城でエルシオンと対峙した際には相手の動きが素早すぎて通用せず、この前サーレンバー領でやり合った時には氷柱を作るのに使い切ってしまい咄嗟の防御ができなかった。
ようやく活用できるのは良かったけれど、まさかセト相手に使うことになるなんて。
想定威力が大きすぎて、拡散するだけでは町に被害が及ぶ。
なるべく細かな光に分散させ、大半を海へ放つように角度を変える。
これだけの高度がなければとても無理だったろう。エルシオン相手に一度試用したことが幸いし、セトの予備動作よりも早く構成を描き終えた。
「これで、どうだ……っ、【水鏡】!」
発動とともに、雷光のような激しい光に襲われ目蓋を閉じる。
その瞬間、セトがわずかに光線の軌道を変えたのが見えた。
作り出したレンズから漏れた一条の光が、拡散もされずそのまま目標地点めがけて降り注ぐ。
腹膜を震わせる振動、響く轟音は左手側の海と荒れ地、そして町の方角から聴こえた。
眩しさのあまり目に痛みを覚えて、ぐっと歯を食いしばって余波に耐える。
大半は外洋へ向けて角度を逸らせたはずだ。漏れた分も直撃よりは威力が弱まっている、多少の被害は出たとしても町が丸ごと吹き飛ぶほどではない。
やれるだけの対処をし終えたとばかりに、そんな安堵があった。
「なんて……ことだ……」
頭上から聞こえるアダルベルトの呟きに、恐る恐る目を開ける。激しい閃光に灼かれた視界が戻ると、町の中央が爆ぜていた。
一際大きな建物が半壊し、煙を上げているのが遠目にもはっきりと見える。
もうもうと上がる粉塵の向こうで石造りの屋根が崩れ、広い前庭との境がわからないほどに抉れている。
やはり魔法による防御は用をなさなかったのか。町にいる皆は無事だろうか、位置的に聖堂やコバックの店でないようだが――
震える胸に抱えられたまま、兄の顔を仰ぐ。
「兄上、あの建物は?」
「あれは、領事館だ……、こんな、どうして……っ!」
アダルベルトが上げた絶望の叫びに、頭の中が真っ白になった。




