夜更かし兄妹談義③
いやなことを思い返したせいだろうか、首筋を通り抜ける夜気が妙に冷えて、首をすくめるように体を包む毛布へ埋まった。
寒がっている様子が背後へ伝わり、外套の中で前に回されていたアダルベルトの腕が強く抱きしめてくれる。こうしているだけでも十分に温かいので、回していた暖気の魔法を少しだけ弱めた。
「レオカディオ、ちゃんと謝りなさい」
「なん、」
「悪いことをして、それを悪かったと思っているなら、ちゃんと謝るんだ」
「……」
あからさまにばつの悪そうな顔をする次兄を見上げ、別に構わないと言いかけた口を寸でのところで噤む。
先ほどのカミロの件と同じだ。相手が謝罪を口にしたいと思うなら、それを受け入れておいた方が互いのためにも良い。
「……悪かったよ、今さら言ってもしょうがないけど、そんな酷いことになるなんて知らなかったんだ。ちょっと怖がらせてやりたかっただけで」
「妹へのイタズラにしたって悪質だろう、お前らしくもない。なぜそんなことをしたんだ?」
「ああ、そこはわたしも気になっていた。ずっと好かれていない自覚はあったが、あの栞による危害は一体何を目的としていたのかよくわからなくてな。わたしを怖がらせて一体どうなる?」
疎ましい相手に嫌がらせをして、それで気分がすくとかいう性質の兄ではない。自分を怖がらせることに何か別の目的でもあるのだろうか。
この際だから訊いてしまおうと直截な疑問を投げかければ、なぜかレオカディオはぽかんと口を半開きにして、呆気にとられたような顔をする。
「好かれていないって……」
「物心ついた頃からいつも、レオ兄はわたしと対面したときだけ作り笑いばかり浮かべて、わざとおどけて見せるだろう。感情の機微に疎いわたしでも、さすがに好かれていないことくらい察せる」
アーロン爺やアダルベルトと話す時は、もっと自然な笑顔でいるのを何度も目にしている。気心の知れた相手の前でだけ見せる顔なのだとしたら、自分はその枠外なのだ。
確信を得た当初はそれなりにショックも受けたが、それでも普段は面倒見の良い兄として接してくれるし、憎しみまでは感じなかったから、まぁ別にいいかと割り切っていた。
たとえレオカディオからどう思われていようと、自分はこの厄介な次兄のことを家族として好いている。
……だから、もし自分が思っている以上に嫌われているとしたら、そこそこ落ち込むかもしれない。
こんな場でもなければ、さすがに本人を前にして言うことはできなかったな、なんて思いながら次兄の答えを待つ。
「はぁ……。もう今さらだから全部言っちゃうけどさ、正直なとこ邪魔だったんだよ。リリアーナのことが。早く屋敷からいなくなってほしかった」
「そ、そこまで嫌われていたのか……」
「別に、嫌いとか、リリアーナが悪いとかじゃないけど! 父上はリリアーナのことベタ甘に可愛がってるし、このまま行くと嫁には出さず屋敷に残すとか言いかねないと思ったから……」
横を向いたまま口元をとがらせて、不貞腐れたようなレオカディオはずるずると腰を落として座り込んだ。
「だからっ、屋敷での居心地を悪くして、さっさと自分から嫁に行ってもらうためにも色恋に興味を持たせようと流行りの恋愛小説を読ませたり、街へ出る予定をリークして歳の近い相手と話す機会を作ったり、好条件の縁談がたくさん来るようにあちこちの茶会で妹自慢を吹聴したり、ほんっと自分でもどうかってくらい頑張ってきたのにさぁ――っ!」
「お、落ち着、」
「これが落ち着いてられるかー! 年頃の娘らしくちょっとは色気づくようにって僕が散々手を尽くしてきたのに、まるっきり全然だもん、恋愛のレの字もない、っていうかリリアーナの見目と賢さと立場に釣り合うような男がそこらにいたら最初っから苦労しないってのー! なんでこんなに出来が良いんだようちの妹は! だって僕の妹だもんね当然だよね! あーもぉ~~~っ!」
目線の高さが近くなったレオカディオは顔を真っ赤にしながら、吠えるような声をあげて髪を振り乱す。
次兄がここまで感情を露わにするのは生まれて初めて見た。きっとすごく貴重だから、この熟れた林檎のような顔は末永く覚えておくとしよう。
「……ふむ、そもそも嫌ってないなら、なぜそこまでしてわたしを屋敷から追い出したかったんだ?」
「だから、リリアーナが嫌で追い出すとかそーいうんじゃなくて、妹が嫁にも行かずいつまでもウチにいたら、必然的に僕が屋敷を出ることになるじゃん!」
「いや、そうとは限らないだろう?」
「そうなるんだよ。いくらあの父上だって子どもを三人とも手元に置いたままなんて外聞も悪いし、後々継承権で揉めないように、跡を継がなかった方は家を出て名前を改めるか婿に行くしかないんだから!」
まさに今、領主の後継争いをしているさなか、自身の将来を決めつけたその言葉にすとんと納得として落ちるものがあった。
「薄々そんな予感もしていたが、やはりレオ兄は最初から領主を継ぐ気はなかったんだな?」
「あぁ、それは俺も思っていた」
立て続けに納得を返す長兄と妹を前に、レオカディオは乱れ放題な髪のまま目を見開く。
「え、なんで……?」
「もしお前に本気で競うつもりがあるなら、外で俺の評判を下げるなりこちらの支援者を抱き込むなり、やりようはいくらでもあったはずだ。なのに屋敷では俺から仕事を奪いもせず、外では俺の苦手な顔繋ぎや商人たちの折衝を進んでやっていたから。次第にそういうのが全部『下準備』に見えてきたんだよ」
アダルベルトが自分の頭にあごをつけたまま喋るので、少しくすぐったい。体勢を横にずらし、外套と毛布に包まったまま椅子代わりにしていた兄の顔を見上げる。
「下準備とは、一体何の?」
「この先の将来の。つまり、何て言うか……、レオカディオは領主ではなく、カミロのような補佐役になりたいんじゃないかって、何となくそう思っていた」
「うぅ……」
「あー、レオ兄はアダルベルト兄上のことが大好きだからなぁ、なるほど。領主となった兄上のそばで補佐をしながら暮らしていくためには、『三人目』であるわたしが邪魔だったというわけか」
レオカディオから疎まれる原因に心当たりがなく、ここ数年来の疑問だったのだが、理由がわかってスッキリした。
手掛かりを繋げて考えれば見当のつきそうなことなのに、氷解まで今少し想像力が足りなかったようだ。
「そういえばアダルベルト兄上とふたりで話していると、書斎でもサンルームでもいつも唐突に現れて話しに加わってきたものな。兄上を取られるとでも思ったんだろうか?」
「ははは、昔からお兄ちゃんっ子で、小さい頃なんか毎日「あでゅーにいちゃ」って呼んで後ろをついて回って、雛鳥みたいで可愛かったんだよ。だから幻聴でもエトからアデューって呼ばれるのが懐かしくて、すごく嬉しかったなぁ。どうも幻聴じゃなかったみたいだが」
「うううぅぅ……」
「あでゅーにいちゃ、なるほど、だから自分のこともレオ兄なんて呼ばせたんだな。これからはアダルベルト兄上のことも、アデュー兄と呼んだほうが嬉しいか?」
「今からそう呼ばれるのは何だか照れるけど、リリアーナの呼びやすいように呼んでくれれば良いよ」
「うううううううううううぅぅ~~~……っ」
湯気でも噴きそうなほど真っ赤になったレオカディオは、兄と妹の和気あいあいとした声に反論するのも諦めた様子で、膝を抱えて丸くなったまましばらくひとりで唸っていた。




