行商人の述懐
食事を済ませても長兄の顔色は優れず、部屋で休むと言い残して一足先に居間を後にした。
食器類の片付けをしていたマグナレアも、書類仕事の続きがあるからと言って自分の部屋へ戻ってしまう。
疲労の色が抜けきらないアダルベルトはともかく、マグナレアの方は席を外すための口実というように感じた。もしかしたら気を遣わせてしまっただろうか。すでに八朔の件を聞いた後だし、あの伯母になら込み入った話を聞かれても問題はないように思うのだが。
「リリアーナ様も香茶でよろしいですか?」
「いや、寝る前だからやめておこう」
了解を返したカミロが厨房で用意を済ませると、湯気をくゆらせるカップが三つ載ったトレイを手に戻ってくる。
窓際のソファセットには満腹の腹をさする八朔と、姿勢を正して微動だにしないアイゼン、そして眠気をこらえるリリアーナの三人がくつろいでいた。
魔法の酷使による疲労と体力的な消耗、それに兄の無事を確かめられた安堵と食後の満腹感が足されれば、目蓋が重くなるのも当然というもの。
今すぐにでも温かいベッドへもぐり込みたい所だが、男三人はこのあとアイゼンの住処へと移ってしまう。明日には代わりの官吏が着くそうだし、カミロの予測では後発隊も到着するかもしれない。
自警団員たちが合流すればアイゼンと八朔は身柄を押さえられるわけで、それを考えると自分が話に加われるのは今この場しか残されていないのだ。
「八朔も連れて移動してもらうことになったが、寝具に余裕はあるのか?」
「まぁ客間とソファもありますし、三人くらいならあったかく眠れますやろ」
八朔はこのソファでも眠れると言うのだが、罪人をこの聖堂に残していく訳にはいかないとカミロが許さなかった。少年の人となりは多少知れたとはいえ、カミロの立場的にその判断は仕方ないだろう。
そんな訳で、男三人は急場の宿としてアイゼンの住処へ移動だ。
「そろそろ眼鏡も仕上がってる頃やないです? 途中であれ受け取って、ついでに朝飯なんかも仕入れてから帰りますか」
「眼鏡って、カミロの?」
「ええ、腕の良い職人がおるんで預けてきたんです。レンズの交換と曲がったフレームの修理くらいならそうかからんですやろ。にしても、このとっぽい兄さんがあのおっかない侍従長だなんて、全然気づきませんでしたわー」
「知己と出くわしても気づかれないよう、風体を変えていたわけですからね」
カミロが配るカップをそれぞれが受け取り、ささやかな食後のティータイムとなる。
そんなリラックスした空気の中、未だアイゼンだけが背筋に緊張を走らせていた。言葉は軽妙なのに、どうも態度がおかしい。
「大人しいのは結構だが、何だか様子が妙だな。カミロに何か言われたか?」
「いやー、まぁ、釘を刺されただけです。このまま大人しく出頭すれば、侍従長さんの口利きで罪科も軽減されるいうし。おまけにウチに隠してた商工許可証を丸ごと没収されてますんでね、アレないと行商人としてはお手上げですわ」
その話を聞いて、リリアーナはなるほどとうなずく。
アイゼンは身柄を拘束し力で脅しつけるよりも、商人として立ち行かなくなる手段を取る方がよほど効果的なようだ。その許可証を押さえるために住処まで案内させたのか、とカミロの行動に納得した。
もう反抗や逃亡の危険はないと見て、自身とアダルベルトのことも教えたのだろう。
「ならばもう栞についての聞き取りも済ませたのか?」
「いえ、その件はまだです。魔法について理解の浅い私が聞き出すよりも、リリアーナ様に同席して頂いたほうが宜しいかと思いまして」
マグナレアだけでなくカミロにまで気を遣わせたな、と思いながら口には出さず、ちびちびとお茶を啜る八朔を眺める。
そういえばウーゼや銀加も熱い飲み物は苦手だった。金加はよくお茶を飲んでいたから、たぶん種族的なものでもなく個人の好みだろう。髪色だけでなくこんなところも似たのだなぁと、何だか不思議な感慨が湧いてくる。
そうしてしばし懐かしさに浸っていると、大人ふたりの視線を感じて我に返る。
「ん、……あぁ、そういうことなら手早く済ませようか。後日、自警団でも同じことを聴取されるだろうが」
「構いやしません、自分もやったことの責任は取るつもりです。けど、先に言うておきますけど、アレ作ったの自分と違いますんで、何でも答えらるってわけやないですよ?」
「知っていることを包み隠さず話せばそれで良い。まず、お前は栞に害があるとは知らなかった、と言っていたが。一体誰からあれを仕入れたのだ?」
知らなかったからこそ、『良い夢が見られる』という効能だけを鵜呑みにして、親交のあるイェーヌへ黄色の栞を渡していたアイゼン。
そして自分の元には、睡眠中の精神状態の低迷を招く――『悪夢を見る』効果のある赤い栞が。
「あれは、森の向こうから来たいう魔法師が作った物なんです」
「キヴィランタから?」
「ええ、紙や布を使った、精白石のいらない安価な魔法具をテスト中だとか何とか。おまじない程度の効果いうから自分は軽く見てたんやけど、金払いは良いもんで、ヒエルペ領の魔法師会を通して工房と渡りをつけたり、紙束運んだりと色々協力してやったんです」
話を聞きながらカミロを見ると、返す視線とともに小さくうなずく。
栞に使われたのがヒエルペ領で作られた紙であることや、向こうの魔法師会の架空名義を通して発注されたことは、秘密裏に調査された内容だ。それらを知っているということは、アイゼンが栞の関係者だという証拠でもある。
「それで、試作品として貰ったのを、良い夢が見られるならええなと思って、こっそりイェーヌばあさんに……」
「その魔法師というのは、一体誰なんだ、名前や特徴は?」
「それが、お嬢さんと会ってからずっと考えてたんやけど、どうも頭の中がふんわりして……名前も顔も、どういうわけかちっとも思い出せんのです。あ、嘘と違います、ほんとに!」
「思い出せない?」
確かに会ったはずなのに、相手のことを思い出せない。それは、少し前にも聞いた話だ。
見上げるカミロは眉間にしわをためた難しい顔をしている。
……誰との関連を疑っているのかは明らかだが、おそらく違う。エルシオンではない。
あの男は魔法の研究を好いていると言っても、あくまで自身で行使する範囲のもの。魔法具の代用品なんていう迂遠なもの、しかも夢見を操作するなんて、そんなことに労力や時間を割くとは思えない。
それに、この四十年は生まれ変わるデスタリオラを求めて大陸中を探し歩いたと、そう言っていた。
あの言葉を信じるなら、そんな妙な研究に費やす余裕はないはずだ。
寒い夜、ガラス越しに見た切実さの滲む顔を思い出す。
かつて相対した『勇者』。決して心を許しているわけでも、信用しているわけでもない。けれど、あの時向けられた言葉に嘘は含まれていないと、それだけは確信できる。
(……だが、対面した相手の忘却については、奴と同じ術を使った可能性は高い)
栞に関してアイゼンの知っていることを粗方吐かせ、配られた香茶が空になったところで今晩はお開きとなった。
真新しいマントを着込んだ八朔は、フードを被ってしまえば種族も顔もわからない。
高価そうな生地からして、おそらくアダルベルトのために買ってきた外套なのだろう。罪人と呼びながらも八朔にそれを与えてくれたカミロに、内心だけで感謝を向ける。
そろそろ眠気も限界に近いが、外出の支度を済ませた三人を聖堂の扉まで見送ることにした。
彼らと次に会うのは明日の昼辺り。代理の官吏と鉢合わせないよう、朝食を済ませたあとにマグナレアが他の宿へ案内してくれることになっている。そこでカミロたちと落ち合い、後発隊がサルメンハーラに着くのを待つ予定だ。
先に出て付近に誰もいないことを確かめるカミロと、それに続き扉をくぐる八朔。そしてアイゼンも外に出ようかというところで、細身の男はくるりと反転しこちらに向き直った。
「どうした?」
「ひとつ、お嬢さんにこれ渡しておこう思いまして」
そう言って懐から取り出したのは、小さく丸めて糸で留めた、紙筒のようなものだった。
淡い青色で、独特の風合いを持った厚紙。受け取ったその手触りには覚えがある。
「これ……っ」
「試作品は一枚ずつ貰ったんで、それが最後。安眠のお守り。お嬢さん、相当お怒りやから燃やしてしまっても構いませんし、どう使うかはお任せします」
「どうしてカミロではなく、わたしにこれを?」
それを問うと、アイゼンは口の端を持ち上げて初めて会った時のように食えない笑みを浮かべて見せた。
「欲しいと思わせる品物を用意してくるのが商人、ですやろ?」
それは、以前コンティエラで会った時に何が欲しいか問われ、自分が答えた台詞だ。……元を辿れば、デスタリオラであった生前にサルメンハーラから言われた言葉でもある。
商人である彼の矜持であり、口癖のようなものだった。その言葉通り、あの男はいつでも自分が欲しいと思うものを取り揃え、キヴィランタの魔王城を訪れてくれた。
「アイゼン、お前は……、もしかしてこの町の創設者とは血縁か?」
「や、それどこで聞いた話です? ほとんど勘当中なもんなんで、あんまり知っとる人もおらんのですけど」
「何となく、そう思っただけだ。ほら、もう行け、カミロが怖い顔でこっちを見ているぞ」
「……って、こわっ、ほんと怖っ!」
何もしていないと首をぶんぶん振りながら弁解し、門まで駆けて行くアイゼン。扉の内側からその背を見送るリリアーナは、すっかり闇に暮れた空を見上げる。
いつか四角く切り取られた窓から見たのと同じ色。絶えず吹く風、続く大地と変わらない空。
世界も、命も、すべてが繋がっている。




