夕餉の食卓インターバル②
幸いと言うべきか、八朔がやらかした事件はことの大きさの割りに深刻な被害と言えるものが出ていない。
打ち合った護衛や自警団員らに負傷者こそいるものの死者はなく、奪われた武器類はいずれも無事だそうだし、屋敷のほうも前庭が荒らされた程度で済んだ。このままコンティエラへ向かい、大人しく自供に応じればまだ情状酌量の余地くらい見込めるのではないか、と思っている。
なんせ単純な罪科の重さで言えば、エルシオンのほうがよっぽど上だ。
この場ではどうともできない法的な話はさておき、なぜ八朔がそんなことをしたのかは自分もずっと気になっていた。
ベチヂゴの森を抜けてこちら側へ渡り、たったひとりで商人らの馬車を襲っては武具を蒐集して、結果的に一族をまとめる黒鐘から勘当同然の扱いまで受けて。なぜそんなことをしたのか、相応の理由があるはずだ。
ここで洗いざらい吐けと言って喋らせるよりは、カミロからひとつずつ質問してもらったほうが八朔も答えやすいだろうか。
リリアーナがそんなことを考えていると、食事の手を止めて微笑を浮かべたマグナレアが興味深そうに対面に座る少年の顔をのぞき込む。
「名前はさっき聞いたわ、八朔くんっていうんでしょう? 昼間も来ていたようだけど、本当にきみがウチの領を騒がせていた武器強盗の犯人なの?」
「えっ?」
八朔を匿った時にはいなかったアダルベルトが、初めて聞くその情報に驚きの声を上げた。
自警団が手を尽くしても捕らえられず、行方を追うさなかに突如屋敷を襲撃してきたことは未だ記憶に新しい。まさか同じテーブルで夕食を囲んでいる異種族の少年が、その犯人だとは思いもしないだろう。
「本当に? 彼が、強盗? その、一味だとか利用されていたとか、そういう訳ではなく?」
「強盗つっても、ちゃんと真っ向からサシでの仕合いを申し込んで勝ち取った戦利品だ。ぐだぐだ言われる筋合いはねぇ」
アダルベルトの狼狽に、頬張っていた肉を飲み込んだ八朔が口を尖らせて顔を背けた。
そんな悪びれる様子もない態度を窘めるように、カミロが質問の先を続ける。
「力で脅し取っている訳ですから、立派な強盗行為ですよ。そうまでして武器を求めたあなたが、なぜ突然イバニェス領主邸にまで襲撃をかけたのです? 確かに銘品も多数置かれていますが、捕まる危険と天秤にかけたら割に合わないでしょう?」
「あれは、別にっ、……知らなかったんだよ。もっと強くていい武器持ってる奴を探してただけで、ちょうどあそこに立派な馬車が向かったから、そういう奴がいると思ったんだ。弱っちい奴ばっかで期待外れだったけど、あのヒゲ男だけはなかなか強かったな。逆にじっちゃんの剣を取られちまったから取り返しに行かねぇと」
「馬車……あぁ、バレンティン夫人の乗っていらした黒い馬車ですか。タイミングが良いのか悪いのか。それで、どうしてそこまでして武器を集めたかったのです?」
カミロの問いとともに、食卓の視線が八朔へ集中する。それを受けて居心地悪そうにしながらも、八朔はぼそぼそと話し始めた。
「俺は、頭悪ぃから、あっちで大人どもがゴタゴタやってるの意味わかんねぇし、だから自分にできることでじっちゃんたちの役に立ちたかったんだよ。腕っぷししか自慢できることないからさ、だから一番の元凶を俺がぶっ殺してやればいいと思って、それで」
「元凶? その相手をどうにかするために、たくさんの武器を?」
「ああ。どれが良い物かわかんねぇから、たくさん集めればひとつくらい俺にピッタリのが見つかると思ったんだ。向こうでもじっちゃんの剣を振ってたら、身の丈に合ったもん使えって叱られたし。なのに鍛冶の連中は忙しくて俺の相手なんてしてくんねーしよ……」
「……」
話しながら悔しさを思い出しでもしたのか、顔をめいっぱい顰めながら八朔は俯いてしまった。
質問をしていたカミロの方も、困っているのか何か考えているのか、全く思考の読めない顔のまま無言を挟む。
そこで、発言権を求めるようにアダルベルトが小さく挙手をした。
「ええと、訊いても良いかな。その元凶っていうのは誰なんだい、人間が君のご家族に何か悪さでもしたのか?」
「あいつだよっ、『勇者』エルシオンだ。まだ生きてるって大人たちが話してるの聞いたんだ!」
「…………」
そーこーにー繋がるか~~。
呻き声が出そうになったところを何とか堪える。昼に会った時にも『勇者』を殺すとか、敵討ちがどうとか話していたが、まさか強盗の動機自体がそれだったとは。
そっとうかがうように顔を上げると、無言のカミロと視線がぶつかった。きっと同じ相手のことを思い浮かべているのだろう、線のように引き結ばれた口元から微妙な心情が伝わってくる。
偶然の結果ではあるが、昨晩からエルシオンと別行動になっていて本当に良かった。どこかで合流してくるだろうけれど、奴もこの町にいることは八朔に知られないようにしなければ。
まったく、一体どこで何をしているのやら。
サルメンハーラまで来た自分たちには同行者がおり、それが『勇者』本人だなんて知る由もないアダルベルトとマグナレアだけは、八朔の告白に揃って素直な驚愕を見せていた。
「『勇者』を狙っているだなんて、豪気な子ねぇ。まぁ恨む気持ちもわからないでもないけど」
「でも『魔王』の討伐から数十年も経っているし、生きていると言ったってもうかなりの老齢だろう? 敵討ちなんて不毛なことは……いや、事は根深いのだろう、部外者の俺なんかが口出しすべきではないかもしれないが」
「違う、そんだけなら俺だってあんなことしない。魔王様がやられたのは悔しいけど、正々堂々サシで戦った結果なら何も言うこたねぇよ。……でもあいつは、あいつはっ、殺したあとの魔王様の死体を攫ったんだ! 埋葬もさせずにモノみたいに扱うなんて、絶対に許せねぇ、俺がぶっ殺して取り返してやるっ!」
「ごっほ、けほっげほっ!」
息を飲んだ拍子にひどくむせてしまう。
空咳をするとすぐに隣のマグナレアが背中をさすってくれた。気管が苦しい。差し出されたグラスを受け取り、少しずつ水を飲み込んで深く呼吸を繰り返し、ようやく落ち着く。
「し、したい、って……『魔王』の遺骸を、持ち去ったのか? エルシオンが?」
「そうだよ、です、信じられない変態野郎だ。足の先から切り刻んでどこに隠したのか吐かせてやる!」
「ちょっときみ、仮にも食事中にする話じゃないでしょう、せめて言葉を選んでほしいわ」
マグナレアが叱りつける声もどこか遠く、聞いたばかりの衝撃的な話に思わず額を押さえる。
自分の死んだあとのこと、死体の処遇なんて知らなくても当然だが、それでも何となく、臣下たちが燃やした灰を海や土に撒いたかなーとか、どこかに埋めて墓でも建ててくれたかなーとか、そんな風に思っていた。
あの男が死んだデスタリオラの遺骸を持ち去っていたなんて、初耳だ。奴と再会してからもそんな話は一度も出たことがなかった。
もっとも、本当に『隠している』のなら、それも当然か。
数々の権能も死によって失われる。放っておけば腐りもする死体を一体どこへやったのか、そんなことを考えかけてから、おあつらえ向きの隠し場所があることに思い至る。
――生き物ではない『物体』ならば、収蔵空間へ収納することが可能だ。
あの男は、もしかしたら、今も後生大事にデスタリオラの死体を持ち歩いているのかもしれない。
「いや、大丈夫……、極めて悪趣味だなと思っただけで……」
「全然大丈夫じゃないわよっ、この話はもうここでお終い! いいわねカミロ?」
「ええ、異存はありません」
本当に気分を悪くしたわけではなく、少しばかり動揺しただけなのだが、とてもそんな言葉が受け入れられる雰囲気ではない。
諦めてスプーンを手に取り、冷めかけのスープを口にした。とろみのある舌触りは熱が失われてもおいしい。
あと少しおかわりが欲しいなと思っていると、ふと向かい側からの視線を感じて顔を上げる。アダルベルトと間を空けた隣席、気まずそうな表情の八朔がこちらを見ていた。
「……悪かったよ、です、変な話をして」
「話を訊きたかったのはこちらだから、別に構わない。気にしないでたくさん食べろ、ちゃんと栄養を摂らないと怪我だって治りが遅くなる」
「そうね、さっき包帯を巻き直したけれど、傷口はもうほとんど塞がっているから。あとは清潔に保ってよく食べてよく寝るのが大事よ?」
マグナレアから笑顔を向けられると、八朔は途端に首まで赤くなって食事をとる手が速くなった。
伯母は稲穂とは全く似ても似つかない容貌だから、自分のように母の面影と重ねているわけでもないだろうに、一体どうしたのだろう。ともあれ、食が進むのは良いことだ。
そのまま、しばらく静かな時間が流れる。別に物欲しい顔をしたつもりはなくとも、スープのおかわりを所望していることはカミロに筒抜けだったらしく、席を立つ男が八朔とアダルベルトの分も合わせて三つの皿を手にテーブルを離れた。
手首にも皿が載るとは器用なものだ、と思いながら横目でそれを見送る。
「……なんか、俺まで、すいません」
「おかわりくらい気にするな」
「そうじゃなくて。こんな家族団欒の場に、俺みたいなのが混ざって」
「家族?」
確かにアダルベルトは実兄だが、マグナレアは会ったばかりの伯母だし、カミロは屋敷の侍従長だ。身内とは言えても、家族という括りになるかは微妙なところだと思う。
そういえば八朔にはまだこちら側の紹介をしていなかったな、と気づいたところで、少年がどこか照れくさそうに手の甲で口元を拭った。
「こんな風に、あんたの父ちゃんや母ちゃんと話せるなんて思わなかった。みんないいヒトみたいだし、ほんとに幸せそうで良かったよ」
「と、父ちゃん、……ッ、プフッ!」
たまらないといった風にマグナレアが噴き出す。
背後でも一瞬だけ足音が止まったけれど、すでに数度目の勘違いだからダメージは少なかったのだろう、何の訂正も入れることなくそのまま厨房へと去って行った。
……まぁ、この組み合わせで食卓を囲んでいれば、そう思うのも仕方ないかもしれない。
八朔の隣では、律義な長兄が「俺はリリアーナの兄でアダルベルトという。間にもうひとり次男がいるんだが、そっちはリリアーナにも似てて可愛いんだよ」なんて妙に嬉しそうな様子で自己紹介をしており、少し離れたソファでは、すっかり存在を忘れ去られているアイゼンが空になった皿を前に置物のようになっていた。




