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崩落①


 周囲がこうも気遣いのできるヒトばかりだと、そういった面での自分の到らなさが気になってくる。これまでの言動などを振り返り、本当に正しかっただろうかと思うと胸の内がそわつく。

 まだ生まれて五年だから粗が目立つほどではないだろう、たぶん。礼儀作法の授業は今後より一層気を引き締めて受けなければ、と手に力を込めると、ブニェロスの具材がぶにゃりと飛び出てきた。こぼれる前に慌てて口に含む。


「……にしても、さっきのあの店主の野郎、ぜってー妙な誤解をしてたろ。何が「がんばりな」だっての」


「今はリリアーナ様のお忍び中なのですから、余人にどう思われようと構う必要はありません。元々、親子連れに偽装するための人選でしょうし」


 未だ食べ終わらないためもぐもぐと口を動かすリリアーナの頭上で、キンケードとトマサがそんな会話を交わす。

 たしかにブニェロスを買う時、中年の店主はリリアーナたちを見比べた後、キンケードへ向かって憐れみを含んだ視線とともに「まぁ、がんばりな」と激励を送っていた。その時はてっきり知り合いなのだと思ったが、どうやら違うらしい。


「似てないのも織り込み済みってのか。ったく、お前さんは不貞の妻や後妻扱いされても平気なのかよ」


「全く気になりませんね。亭主役には不満しかありませんが」


「へーへー、すいませんね娘とは似ても似つかなくて」


「……親子か、なるほど。ふたりと一緒にいると、親子連れに見えるという話だな?」


 年の頃でいえばたしかに、違和感のない組み合わせだ。先ほどはキンケードに抱き上げられていたから、余計にそう見えたに違いない。

 街ゆく親子連れという設定で人々に紛れるために、あえて従者と護衛の数を限定したのだろう。誰の差配かは考えずとも容易に想像がつく。お陰で、ぞろぞろと連れ歩くよりも気軽に街中を見て回ることができた。


「うん、こういうのも良いかもしれないな」


「も、申し訳ありません、わたくしなどがリリアーナ様のお母上役など……」


「いや、構わない。母上はいないし、父上は忙しくて一緒に歩いたこともないしな。今日はふたりのお陰でとても楽しかった、礼を言うぞ」


「「……」」


 リリアーナが素直な礼を述べると、左右の大人は揃って黙り込んだ。

 ようやくブニェロスを食べ終えて満足の息を吐く。手に持った食料を屋外で食べるというのも、これはこれで中々おつなものだ。小腹は満たされ、体温が上がっているのもわかる。おまけに辛味があったから内側からほかほかとする、きっと頬のあたりは薄く色づいているだろう。

 包み紙をくるくると丸めていると、不意にその紙ごとトマサの手で覆われた。


「リリアーナ様、他にどこか見て回りたい場所はございませんか?」


「ん? だがそろそろ時間では、」


「おう嬢ちゃん、見物も買い物もまだ物足りねーだろ、赤煉瓦通りの方にも寄ってみようぜ!」


「寄るのは構わないが時間は、」


 突然勢いづいた大人たちはリリアーナの意見を取り入れる気などないらしく、トマサはいそいそと広げていた敷布を片づけ、キンケードは再び腕にリリアーナを抱き上げた。

 そのまま踵を返し、先ほどまでよりずっと早足に移動を始める。時間があまり残っていないことは理解しているようなので、とりあえず行き先などはコンティエラの街に詳しいふたりへ任せることにしよう。

 リリアーナとしても、せっかく街へ出てこられたのだから、もうしばらく滞在し見学をしたいというのが正直なところだ。


「そうだな、あと少し見て回るか。何か食べたいものがあれば言え、買ってやるぞ?」


「いや、待って、その台詞、オレに言わせて……」




 キンケードに抱えられたまま装飾品や化粧品などを扱う店をいくらかひやかし、もう一度衣類などの露天が並ぶ賑やかな通りを眺めてから帰路についた。

 予定よりも少しだけ時間を過ぎてしまったかもしれない。言い訳はともかく、早く戻らなければ帰りを待っている侍女たちが心配をするだろう。馬上の揺れには往路で十分に慣れたから、帰るときはもう少し馬足を速めてもらったほうが良さそうだ。


 別邸の門へたどり着くと同時、帰ってくる時間を見計らったようにエプロン姿の少女が姿を現した。挨拶もそこそこに門扉を開けてもらい、すぐに預けた馬を連れてくるようキンケードが依頼をしている。

 その間、トマサは数歩離れた場所で別邸の方向を眺めていた。馬に乗ってよく街へ下りるという話だったから、この屋敷が珍しいという訳でもないだろう。何を見ているのかと視線を追ってみても、特に変わったものは見受けられない。窓に人影でもあるのかと思ったが、さすがに遠すぎて今の目では視認ができなかった。


「すぐに馬を連れてくるってよ。中で休憩の準備もしてたんだろうが、戻りが遅れて悪ィことしたな」


「過ぎたことは仕方ない。二時間などあっという間だが、実に有意義なひとときだった」


「へへ、楽しんでもらえたなら案内のしがいもあるってモンだぜ。いや、護衛だったか」


 馬を待つ間にキンケードとそんな話をしていると、おもむろに門扉の方から慌ただしい声と物音が聞こえてきた。

 複数の男たちの声、それも叫び声に近いひどく慌てたようなものと、門扉を叩く音。その異様な雰囲気に一体何事かと振り返ると、制止しようとするトマサよりも早くキンケードが走り寄って門を開けた。


「勝手に開門など……っ」


「ウチの奴らだ、問題ねえよ。それよりお前らどうした、何があった!?」


 開け放った外門からなだれ込むように入ってきたのは、揃いの服を着て腰に剣を差した、若い男たちだった。その衣装は五歳記の日にキンケードが着用していたものと同じ、おそらく自警団に所属する者なのだろう。

 見たことのない顔がふたりと、先日キンケードと共に護衛をしていた童顔の青年、いずれも息を切らせてひどく顔色が悪い。


「あれ、副長、なんでこんなとこに?」


「そんなこたぁどーでもいい、おいナポル、連れ立って別邸に来たってことは何かあったんだろ、わかるように説明しろ!」


「あっ、はい、それがっ、」


「一体何事ですか! 無断で敷地へ入り込むなど、あなた方は何をしているかわかっているのですか!」


 自警団の若者が口を開こうとしたところで、屋敷からベルナルディノが走り寄ってきた。その厳しい叱責の声に対し、キンケードは手で制するだけで口を噤ませる。実際は睨みつけられた眼光にベルナルディノが怯んだのだろう。そのまま街中では見せなかった厳しい表情で再び部下らしい男へ向き直り、説明の先を促す。


「それで?」


「はい、あ、朝に出たトジョが、頭からすげー血を流しながら馬で戻ってきて、ついさっき、西の領道の境坂で、ばし、ば、馬車が……っ!」


「落ち着け、ちゃんと聞いてるから、ゆっくりでもいい。馬車って旦那たちが乗ってったヤツだな、馬車がどうしたって?」


 一度顔を俯けて荒れた息を整え、唾を飲み込み、ナポルと呼ばれた男はくしゃくしゃの顔を上げて、叫んだ。


「崩落が、起きました! 山が突然崩れて……旦那様の乗った馬車が、護衛で出たみんなと一緒に下敷きに、なって……トジョ以外、全滅ですっ!」


 頭の奥が、きんと鳴った気がした。体の内側がぜんぶ張りつめて、内臓が突然冷たくなった。

 息が詰まる。肺の奥が苦しい。話しながらとうとう涙をこぼし始めたナポルの顔を見上げ、その言葉を反芻した。


 崩落。


 山が崩れて、馬車が。


 その馬車に乗っていたのは、旦那様と呼ばれているのは、……一体誰だ?

 

 鼓動がおかしい。いつも一定のそれが痛むほどに強く脈打っている。心臓の機能が壊れてしまったかのように膨張を繰り返し、どくどくという音が耳の奥にまで聞こえる。

 体も頭部も異常なほど冷たいのに、血液を送る器官だけが熱く拍動を続けて、その温度差で中身が破裂してしまいそうだ。冷たい、熱い。呼吸もままならない。


 ――――誰が?


 自分の精神状態が平常なものではないと、心の端では理解している。だがあいにくと、ヒトの体は精神に左右され過ぎるのだ。まともな思考もできない中で、片隅から見つめている自分が冷静になれと言う。息を、しろと。


 息を。

 忘れていた呼吸を、意識して再開する。

 吸って、吐いて、喉を通過する空気を意識し、肺まで届くようまた吸って、吐いて。心臓が破裂しないように、ひどく痛む胸元を両手で強く押さえた。


「詰め所にいる奴らは!?」


「残ってる馬使って、ひとりはお屋敷に報告に出して、残りは全員で現場に向かってます!」


「トジョは、まだ生きてるのか?」


「後衛についてたらしくて、落ちてきた石が当たったんだと言ってました、みんなを掘り出してやってくれって……、遺体の確認を、っ」


 肉と骨を打つ、重い打撃音。それと同時に横にいたトマサがこちらへ向かって膝をつき、きつく抱きしめられた。せっかく温まった様子だったのに、また冷たくなってしまった体が小刻みに震えている。その背をさすってやろうとして、自分の手も、膝も、がくがくと震えていることに気づいた。歯の根も噛み合わない。

 回された腕の隙間から、殴り飛ばされたナポルが仰向けに転がったのが見える。キンケードは固めた拳をさらにきつく握りしめ、そこへ罵声を飛ばす。


「馬鹿野郎! 滅多なこと言うんじゃねぇ! ここに誰がいると思ってやがるっ!」


 そこで初めてキンケードの後ろにいるリリアーナたちに気づいたナポルは、始めは不思議そうな顔をしてから、息を飲んで驚愕に目を見開いた。


「まさか、なんでお嬢様が……」


「ベルナルディノ、馬はまだか! ナポルともうひとりはここに残って連絡の中継をしてろ、他は一度詰め所へ戻れ、空にするな。オレは現場に行く!」


 鋭い声音で各自への指示を飛ばすと、キンケードは侍女たちが引いてきた馬の手綱を受け取った。


「……トマサと嬢ちゃんは、落ち着いたらでいい、こいつに乗って屋敷へ戻れ」


 一拍前までの大声が嘘のように、街で買い物をしていた時のように、……何も起きていなかったさっきまでのように、こちらへ優しい声を向けてくる。


 ほんのつい先程まで、笑いながらブニェロスを食べていた。街を見て楽しく歩いていた。侍従長に用立ててもらった金銭でレオカディオの誕生日プレゼントを購入して、アーロン爺から花壇の苗を分けてもらおうと。自分の誕生日が嬉しかったから、皆に祝われ、受け取った髪飾りもペンも鍵も……用途の分からない巨大ぬいぐるみも。

 まだ会話が叶ったばかりだ、これから大きくなったら父の力になって一緒に水路を完成させたいと願ったばかり。共に同じ夢を目指せる相手に出会えたばかり。何も始まっていない、何もできていないのに。まだ話したいことはたくさんある。ファラムンドもカミロも自分には必要だ、大事な相手だ、そばにいてほしい、もっと話をしたい、一緒にいたい、まだ失われていいはずなんてないのに――…………


 弱い。ヒトは、本当に。


 ……すぐに死んでしまう。



 深い呼吸を繰り返すことで、異常な拍動はいくらか落ち着いてきた。未だ頭の中心が鈍く霞がかっている思考でも、今やるべきことだけはわかっている。

 死者は、見送らねばならない。この眼で。


 震える体で抱きついたままのトマサの肩をそっと叩き、顔を上げさせる。目の周りも鼻も真っ赤で、溢れ出そうな涙を必死にこらえているしかめっ面を、その目を間近から覗き込んだ。


「トマサ、よく聞いてくれ。これから屋敷へ戻ったら、まずアダルベルト兄上に、リリアーナは護衛のキンケードに守られていると報告を。それからフェリバたちにも、大丈夫だと伝えてくれ」


「リリアーナ、様……? 何を……」


「オイオイ、嬢ちゃん、まさかとは思うが、ついて来るなんて言わねーよな?」


「我がついて行くのではない、お前が連れて行くのだ」


 その場で片膝を折ったキンケードは、大きな手をぽんとリリアーナの頭の上に乗せた。表情を引き締め、苦い顔をしながら掴んだ頭の主を見据える。

 顔も頭も、何もかもが小さい。見た目にそぐわない不遜な口調と態度を見せるが、まだ五歳を過ぎたばかりの子どもだ。普段であればいくらでも構ってやりたくとも、今だけは無茶なワガママにつき合う余裕がない。場の分別はつく子どもだと信じて、その目を見ながら語りかけた。


「嬢ちゃん、詳しいことは後でちゃんと説明してやる。絶対にのけ者になんかしねぇって約束するから、今は大人しくここで待っててくれや」


「父やカミロが死んだと言うなら、その死体をこの目で確認する。頭が潰れていようが内臓が出ていようが構わん、気遣いは無用だ」


「構わんって、あのな……」


 絶句する大男の手を頭から外し、自分の何倍もあるその太い指を握った。


「キンケード、お前は言ったな、何でも言うことを聞くと。ならば我が命に従え、今すぐ馬を駆って崩落現場まで連れてゆけ!」


「嬢ちゃん、遊びじゃねぇんだぞ」


「遊びなものか。時間が惜しい、早くしろキンケード」


「……クッソ、あーっ、もう、知らねぇからな! おいナポル、肩の紐よこせ!」


 頭を押さえて立ち上がったキンケードは、リリアーナを抱き上げながら器用に乗馬した。鞍の後ろにずれて跨り、足の間へ小さな体を置く。そしてナポルが自分の制服から抜き取った組紐を馬上で受け取ると、それをリリアーナと自分の体へ回してきつく結び、固定する。


「紐か馬のたてがみにしっかり掴まってろ、途中で吹き飛んでも責任取んねぇからな!」


「リリアーナ様……っ!」


 トマサの悲鳴を打ち消すように高い(いなな)きが響く。蹄を打ち鳴らし、首を持ち上げ、キンケードの烈破のかけ声と共に尻を蹴られた馬が門から勢いよく駆け出す。

 街へ向かっていた時とは比べようもない激しい揺れの中、舌を噛まないように、余計な声が漏れてしまわないように、リリアーナはきつく、歯を噛み締めた。




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