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夜の番人 ✧


 カミロに庇われるような形で体勢を低くしながら、リリアーナは夜闇の中で素早く立ち回る両者を観察していた。

 嵐の夜を思わせる空気の唸り声。振り回すだけで異様な音をたてるそれは、長い槍状の武器だ。力にものを言わせる振り回し方ではなく、遠心力をうまく使った速度重視の槍捌きは実に手慣れている。

 ひと所に留まらず、常に移動しながら片時の隙も許さない豪雨のような連撃。覆面のついた帽子を被っているため誰なのかわからないが、壁と倉庫に阻まれたこの狭い空間、視界の悪さをものともせず長物を扱う様は見事なものだった。


 だが、軌跡も穂先も視認できないような攻撃の中、それらを全てかわしきるエルシオンの方もそれなりにどうかしていると思う。

 すれ違いざまに大振りの一撃を飛び退いて回避した足を、その動作を見越していたように反転した槍の柄が狙う。

 危ういところでもう一段飛んで避けたエルシオンは、距離が空いた隙を使って背中側の鞘から短剣を引き抜いた。


「あっぶないなぁ、いくらなんでも問答無用すぎない?」


「貴様ァ……、よくものうのうと再びこの町に足を踏み入れたものだな。今度こそ串刺しにしてその首引っこ抜いてくれる!」


「いや、ほら、人違いとか? 暗いから間違えたんでしょ、こんな黒髪のナイスガイとは初対面じゃない?」


「愚弄するな! 我らは貴様のその顔も匂いも決して忘れん!」


 激昂の叫びをあげた大柄な男は槍を一振りし、腰溜めに構え直した。

 エルシオンが余計なことを言って怒らせたせいで、気迫がさらに一段上がる。夜の冷え込みも北風も、男の纏う怒りをはらんだ熱気にあてられてどこかへ消えてしまったようだ。深く被ったフードの中、こめかみの辺りに汗がにじむ。

 別に、槍を携えた巨躯に怯えているわけではなく、いくら手練れだろうとこの程度で『勇者』に敵うはずもないからエルシオンの心配すらしていない。


 そんなことよりも、突然現れた大柄な男が『何』なのか、自分にはわかる。その気づきに混乱する。

 まさかという思いは消せなくとも、見えているものが確かなら間違いないと傾く確信。

 槍の大男が履いているブーツは膝のあたりが反対方向へ曲がる癖がついていて、被っている覆面つきの帽子は不自然に膨らんでいる。

 そして動くたびに長い外套の裾からのぞく、ふさふさとした毛束。


<リリアーナ様、この衛兵はヒトではありません……人狼族(ワーウルフ)です>


 やっぱり、という声は飲み込み、かわりに胸元で握っていた手に力を込めた。

 男の携えている槍と外套は、正門の衛兵たちが身に着けていたものとほぼ同じだ。ということは、この男――人狼族(ワーウルフ)は、サルメンハーラが擁する衛兵のひとりということになる。

 一体どういうことなのか、混乱と思考で頭の中が渦巻く。

 狙われているから町には近寄りたくないと言っていた理由は判明したが、この際ヤツの事情なんてどうでも良い。

 空いた手を挙げて「悪さをするつもりはないから見逃してほしい」なんて説得力のまるでない説得を試みる声に重なり、そう離れていない場所から警笛の音が鳴った。


<同じ服装の人狼族(ワーウルフ)たちが三名、こちらに近づいております>


 すっかり侵入者の捕り物という雰囲気だ。壁を越えて到着したばかりなのに、彼の言葉から察するにエルシオンの匂いのせいで侵入がばれてしまった。

 相手が鼻の利く人狼族(ワーウルフ)ならそれも当然、髪の色と服を替えた程度では何の変装にもなりはしない。先に言ってくれれば対処のしようもあっただろうに……!


 接近する気配に気づいたらしいエルシオンが「うげ」と口元を歪める。

 その憎らしい顔を睨みつけていると、リリアーナを庇っていたカミロがおもむろに立ち上がる。そして倉庫並びの奥から走って来る応援の三名を見つけ、そちらに向かって手を高く掲げた。


「不審者はこちらです! 助けて下さーい!」


「えぇぇぇーっ、そーいうことする? ……うわ~ん!」


 驚愕に目を見開いてこちらを見たエルシオンは、非難の声を漏らしはしてもそれ以上の弁明をせず、わざとらしい泣き声をあげながら向こう側へと走り去った。


「くっそ、俺は靴をやられた、ここは良いからすぐに追え。あっちは巡回もいるから追い込んで殺っちまえ、遠慮はいらん!」


「了解!」


 同時に到着した三名の人狼族(ワーウルフ)に、槍を携えた男は素早く追跡の指示を出す。

 靴をやられたという言葉に履いているブーツへ視線を向けると、暗がりでよくわからないが踵から靴底が浮いている。先ほどのエルシオンが大振りの一撃を回避しながら、すれ違いざまにわざと踏み抜いたようだ。

 速度が売りの人狼族(ワーウルフ)には手痛い足枷だろう。野を駆ける彼らは靴なんて履かないほうがずっと速いのに、町の中では衛兵の格好を崩せないのかもしれない。

 指示を受けて素早く走り去る三名を見送り、槍を携えた男はこちらを振り向く。

 覆面のついた四角い帽子から、鋭い視線を向けられているのを感じる。その口元が動き誰何の声をかけられるよりも早く、前に歩み出たカミロがにこやかに礼をした。


「お疲れ様です! あなた方に来て頂けて助かりました。旦那様からの使いで用事を済ませた後だったのですが、突然塀から飛び降りてきたあの男に絡まれてしまって。いやはや、さすがお強い!」


「おー、そいつは災難だったな。だが、こんな夜更けに小さい子を連れて出歩くのは感心せんぞ」


「ええ、ごもっともです。いくら治安の良い町だからって迂闊でした。すぐに宿へ戻ろうと思います」


挿絵(By みてみん)



 今まで見たこともないような笑顔で対応するカミロに唖然として言葉が出ない。

 だが、この場は事情をよく知らない自分が口出しするよりも、カミロに任せておいたほうが無難だろう。朗らかな謝礼に毒気を抜かれたらしく、目の前の人狼族(ワーウルフ)からは先ほどまでの気迫がきれいさっぱり消えている。

 会釈を返して場を後にしようと促すカミロをまねて、ぺこりと頭を下げてから踵を返す。

 そのまま何食わぬ顔で離れられればと思ったのだが、「いや、ちょっと待て」という低い声に引き止められ、揃って立ち止まる。


「最近は移住者も増えたからな、念のためどこの商家の者だか確認を取らせてもらえるか。そうだ、話ついでに宿まで送っていこう、夜道に足の悪いあんたと子どもだけじゃあ何があるかわからん」


「ご親切にありがとうございます。ですが、そこまでして頂くわけには、まだお仕事もおありでしょうし。我々は大丈夫ですからどうぞお気遣いなく」


 笑顔で遠慮を返しても、親切心あふれる衛兵は首を振ってそれをはねのける。

 靴底がはがれているせいで近寄ってくる足音がおかしい。自分たちに構わず、早く詰め所へ帰って靴を直せば良いのに。

 夜目の利く人狼族(ワーウルフ)なら、さして近づかなくともこちらのことは観察できているだろう。

 どうやらカミロとは初対面のようだから、捨て駒にしたエルシオンのことはともかくとして、この場を切り抜けさえすれば身元は知られずに済む。

 何か言うべきか、それともカミロに任せておいたほうが良いのか。

 そんな短い逡巡の間に、男は前屈みに顔を近づけてすんすんと鼻を鳴らした。


「……って、さっきからなんか妙な甘い匂いがすると思ってたら、お嬢ちゃんあれか、そのミミ、もしかして猫人族かよ。珍しいなぁ」


「え?」


 明るい声でそう言われ、思わず頭の上を押さえる。フードについているのは勿論、ただの飾りだ。


「兄さんの方は混じりモンか? なんだ、アンタらもあっちから来たのか、それならそうと早く言ってくれや」


「ははは、お騒がせをいたしまして」


「そんなら大丈夫かね。まださっきの奴がうろついてるかもしれないから、気をつけて帰んな」


 何かを勝手に納得した様子の衛兵は、槍を肩にかけてすっかり気を抜いた様子で指をにぎにぎ動かした。

 身元や宿を追及されなくて済んだのは助かるが、これはこれでわけがわからない。

 隣のカミロは思考の読めない笑顔を貼り付けたまま、身なりの良い好青年のふりをしている。杖をついて体の向きを変え、リリアーナの手を取ると、思い出したように顔だけを向けてひとつ問いかけた。


「あの若者は犯罪者か何かで?」


「あー、まぁ、そんなとこだ。あんなナリしてとんでもない凶悪犯でな、あんたらに何もなくて良かった。もしまた町の中で見かけることがあったらすぐに通報してくれ」


「はい、ありがとうございました」


 重ねて礼を言い、手を振って見送る衛兵にリリアーナも小さく振り返しながら、手を引かれるままゆっくりと足を進める。

 倉庫をひとつ分通り過ぎ、少し明るい方に向かって角を曲がり、しばらく歩く。


「さすが、サルメンハーラの守衛は頼りになりますね。急に変なヒトが現れてビックリしたけれど、彼らに助けてもらえて良かったわ」


 口元に人差し指を立てながらそう言うと、カミロはすぐに得心したようで、歩みを止めないまま取り留めのない会話に乗ってきた。



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