領道×花畑
あまり変わり映えのしないなだらかな景色を眺めていると、次第に土の色が変わってきていることに気づいた。まばらに生えていた草も減り、周辺に石が増える。
領道は整備されているため転がる石によって馬車の揺れが大きくなることはないが、大きく迂回するような曲道を経ると途端に見上げるほどの巨岩がいくつも現れる。
それらを過ぎた辺りからは、切り立った岩山の麓だ。キンケードが補強工事をしたと言っていた通り、要所が塗材で固められ、土砂防止の柵が連なっている。
馬車だからこうして迂回をしているものの、以前キンケードと来た時には岩場を避けず、真っ直ぐ駆け上がって行った覚えがある。そうして高台へ出て、崩れた山と埋まった領道を目の当たりにしたのだ。
「……」
窓枠に手をついて岩場の様子を眺めていると、隣に座るエーヴィも同じように外へ目を向けているのが窓のガラスに映り込んで見えた。
屋敷で共に行動していた同僚が、人為的な事故によって命を落とした場所に近づいている。多くは語らない侍女でも思う所はあるだろう。
何か話したいと思ってもかける言葉は見つからず、そのまま黙って外を見ていた。
たまにサーレンバー側から来る荷馬車や旅人らとすれ違いつつ、岩山を迂回しきってしばらく進むと、若干ひらけた場所に出た。
これまでよりもずっと道幅が広く、補強の為された山沿いには木製の家屋が建っている。反対側の窓を見ると、外は草がまばらに生えた広場のようになっており、岩のひとつも転がっておらずやけに見晴らしが良い。
「……ああ、そうか」
その広い平地に多くの精霊たちが舞っているのを視て、ようやくここが三年前の崩落現場だと気づく。
あの時は岩場の上から見下ろしていたせいで、すぐにはわからなかった。道へ降りてからも潰れた馬車やファラムンドたちのことで頭がいっぱいで、周囲に気を配る余裕など微塵もなかったと思う。
広々とした道には、あの惨事の爪痕はもうどこにも残っていない。
「着いたな」
「休憩ですねー、お疲れ様です。リリアーナ様が安心して使えるように、休憩用の小屋もバッチリ改装したそうですよ。水場を使って一息ついたら、旦那様たちとご一緒に昼食を召し上がっていただきます」
フェリバが外套などを準備する間に、列を成して進んでいた馬車は順に停止し、御者からも休憩だと声をかけられる。
魔法で暖めた馬車内に慣れてしまった分、外気は冷たく感じるだろうと覚悟してステップを降りたのだが、意外と寒くはなかった。もう昼時だから気温が上がっているのだろうか。空を仰いでみても、相変わらず雲に覆われて一面真っ白だ。
エーヴィの先導で木造の小屋へ立ち寄り、手早く水場での用事を済ませる。
まさか娘のためだけにファラムンドが改装を指示したわけでもないだろうが、小屋の中はこんな所に建っているとは思えないほど整った造りをしていた。昼食もここで取るそうだから、皆が寛げそうな場所で良かった。
「ファラムンド様の本気がうかがえますわねぇ……」
「私たちが乗ってる馬車も特注の最新型らしいですよー、揺れなくて助かりますけど」
女性専用だという部屋の椅子を借り、足を伸ばして一息つく。フェリバがこちらの足を揉もうとしてくるのを断ったため、今はカステルヘルミとフェリバがそれぞれ自分の足を熱心に揉みほぐしている。
窓の外では従者や自警団の者たちが馬の面倒を見たり、車輪の点検をしているようだ。彼らにも休憩を取らせなくてはならず、火を起こすところから始める昼食の準備も少し時間がかかるらしい。
馬車が快適だったためさほど疲れてはいないし、ここで時間を持て余すくらいなら『領地』の様子を見に行きたいと思った。
「なぁ、エーヴィ。昼食の前に少しだけ外を歩きたいのだが、構わないだろうか?」
「あまり小屋から離れないで頂けるのでしたら。念の為、私と魔法師の先生がお伴につきます」
「じゃあ、私は旦那様にご報告してきますね。昼食の準備ができたらすぐお呼びしますから、皆さん見えるとこにいて下さいよ?」
「わかった。すぐそこのひらけた場所にいる。冬の季が明ければ、あの一帯が花畑になるのだろう?」
年間の大半を枯れずに咲き続けるという噂の、ナスタチウムの花畑。その大元の原因は自分にあるものの、巷に広まった噂はいずれも好意的に解釈されたものばかりだから、さして問題はないだろう。
一面が鮮やかな赤に染まるという光景を見られなかったのは残念だが、せっかく設置した『領地』を三年ぶりに訪れたのだ。この機会にやっておきたいことがあるし、状態維持に努めてくれている精霊たちも労いたい。
寒いだけで何もない場所に出ることを渋ったカステルヘルミを引きずり、礼を向けてくる従者らに手を振ったりしながら、領道脇の草がまばらに生える辺りまで歩いた。
主の来訪を歓迎してか、光の粒が土の中から湧くようにして空気中へと飛散する。
一斉に浮いてはうねり、竜巻のようにくるくると舞って上空いっぱいまで燐光に満ちる様は、圧巻の一言だ。
この美しい光景をフェリバやファラムンドにも見せてやりたいが、精霊眼を持っておりソレを視ようとする者の目にしか彼らの光は映らない。
隣に立つカステルヘルミを見上げてみると、口も目も大きく開けて呆然としていた。
これを初めて目の当たりにするなら無理もない。裏庭の『領地』を上回る精霊たちの輝きに圧倒されているのだろう。
生憎と花畑のほうは見られなかったが、見物するだけならこれでも十分すぎる。歓待に応えて片手を差し出せば、何かをねだるように燐光の束がまとわりついてきた。
「……そうだな。ではカステルヘルミ、ここでお前の練習の成果でも披露してみるか?」
「成果、ですか? とは言っても、わたくしまだ輪っかを浮かせるくらいしか……」
「それでいい。ちゃんと彼らに認識されるか試してみろ」
ここしばらく練習を続けさせている構成の基本、何の効果も描いていないただの円。精霊に対する指示が書き込まれていないのだから、もちろん効果を実行させる力はない。
だが、精霊たちから見てもそれがちゃんと構成円だと認識されるかどうかというのは重要だ。ないとは思うが、もし素通りされるようなら特訓方法を考え直す必要もある。
「本当に、ただの輪っかですわよ?」
「大丈夫だ。わたしが教え、あれだけ繰り返し訓練をしておいて何の成果もなし、なんてことはまずないだろう。成長具合を確認する試験だと思って気軽にやってみろ」
「それぜんっぜん気休めの言葉になってませんからねお嬢様ぁぁ!」
半泣きの顔になりながら、カステルヘルミはその場にしゃがみこんだ。どうも裏庭の地面に丸を描き続けた期間が長すぎたらしく、座っていないと上手く集中できないらしい。
少し離れたところに立っているエーヴィの視線を背に感じながら、両手を握りしめ微動だにしない弟子を見守る。
呼吸をおさえ、虚空を見つめること数秒。カステルヘルミの前にふわふわと淡い円が浮かび始めた。
両手の指を合わせて丸を作ったくらいの大きさで、視線によるブレも少ない。位置の固定がちゃんと意識できているようだ。
「そんなに息を詰めなくていい。もっと力を抜け、もたないぞ」
「は、はい……、あっ!」
宙に浮いている謎の円を見つけた精霊たちが、周辺から集まってくる。
何か命じられると思ったのか、それともただの興味本位か。しばらく様子を見るように漂っていたと思ったら、瞬く光の粒は列を成し、空中で停止している円の中を次々にくぐり抜ける。
それに戸惑ったカステルヘルミは固定していたはずの円を上下に動かしてしまうが、それがまた面白いのか、構成の輪をくぐる光の粒子はどんどん増えていく。
「わぁぁ……あわわわ、お嬢様、あの、どうしたら?」
「遊んでいるんじゃないか?」
「遊ぶ? これは、このままでよろしいんですの?」
「ああ。精霊たちを楽しませることができたなら上出来だ、やはりお前は筋がいい。ここらの精霊には以前世話になったからな、しばらくそうして遊んでやってくれ。構成を維持する鍛錬にもなるだろう」
「ひぃぃ~……!」
掠れた悲鳴を上げながらも、律義に円を動かして踊る精霊たちに付き合うカステルヘルミ。
外周だけの構成円なんてものを長く浮かべたことはないから、こんな風に精霊が輪をくぐって遊ぶとは知らなかった。
ともあれ、きちんと認識はされているようで安心した。このまま段階的に効果の編み方を教えていけば、魔法師として着実に力をつけていくことだろう。十年後、二十年後が楽しみだ。
周囲を喜び舞い踊る精霊たちは、こちらにも何かせがむように寄ってくる。
面白いこと、目新しいものを寄越せと微かな光の瞬きが訴えてくるが、従者に混じって守衛部所属の魔法師もついてきていると聞くし、あまり大きな魔法を使って応えるわけにはいかない。
魔法以外で、何か。
そう思って口から漏れた音階は、このところしばらく唱える機会のなかった、聖句の歌だ。
『唄え 唄え 光の子ども――』
裏庭の『領地』を前に、カステルヘルミが唄っていた調べは耳が覚えている。その音階に聖句を乗せると、詞に含まれる音も自然と変わる。
『昇れ昇れ 夜のきざはし――』
未だに原典も、精霊語での意味もわからないままだから、単純に近い音をあてた翻訳未満の詞ではあるけれど。
小声で紡ぐ歌に合わせ、集まっていた精霊たちが周囲を駆け回る。目を開けていると光の渦に目眩を起こしそうだ。
波のように、風のように、空をたゆたう流れはパストディーアーの黄金の髪を連想する。
『駆ける 駆ける 風と踊るのは愉しい――』
習い始めの経緯のせいで、聖句自体にあまり良い印象は抱いていない。それでもこうして音階に乗せる音はすべらかで、口ずさむのもなかなか楽しい。きっとフェリバなら更に美しい調べで歌い上げることだろう。
歓びを体現しながら踊っていた精霊たちは、そのまま緩やかに回りながら上昇し、噴水のように不可視の奔流となって降りてくる。
物理的な影響は何もないが、そばでカステルヘルミが「ひぇぇ」と細い悲鳴をあげた。ここだけを視たら光る雲の塊が落ちてくるかのようだ。
そんな歓び浮かれる精霊たちの集団は、地面にふれる手前で一斉に霧散した。
眩しさに手をかざして目を覆っていたけれど、落ちてきたように視えるだけ。突風が起きたわけでもないのでそのまま目蓋を開ける。
あとにはちらちらと、元通り仄かな燐光が舞っているのみ――
「あ」
思わず短い声が出た。
背後からも、従者たちの上げるどよめきが聞こえる。
わずかに目を閉じている間に、眼前の風景は一転していた。
「花……?」
「わ、お嬢様、すごいっ、お花畑ですわ! こんなにたくさん、なんて綺麗!」
呆気にとられて佇む自分とは裏腹に、カステルヘルミは無邪気な笑みを浮かべて座ったままはしゃいでいる。
その周囲にも、自分の足元も、見渡す限りが一面の赤い花――裏庭の花壇で毎年見ているから知っている、小さな花弁を持つこの花は、ナスタチウムだ。
屋敷の中庭よりももっと広い範囲、周辺一帯が全て華やかな赤色に覆われている。甘いには届かない、それでもどこか清々しい花の薫香が辺りの空気を満たす。
白い空とは対照的に鮮やかな花畑。色彩のコントラストが激しすぎて、直に見ているのに現実味が薄い。
以前であれば、命じてもいないことを勝手にしでかす現象に悩み、なぜこんなことが起きたのかと花など顧みず思案に暮れていたかもしれない。
しかし今は、素直に素晴らしい光景を楽しむ情緒を得た。花の香りが心地よいと知っている。そして精霊たちが見返りや命令を求めるわけでもなく、ただ歓迎と返礼の意図でもってこれを見せてくれたのだと、すんなり納得することができる。
「歓ぶのはいいが、何もここまでしてくれなくとも……。だが、まぁ、良い景色だな」
自分の周囲を舞う精霊たちが、どこか満足そうにきらきらと瞬いた。




