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馬車×領道


 侍女たちと一緒に馬車へ戻り、またこっそり足元に暖気の構成を置いておく。そしていつものように雑談に興じながら出発を待つことにした。

 場所がどこであれ、フェリバとカステルヘルミがいれば話題に欠くことはない。食べ物に衣服に化粧品、デザートの話をしていたと思ったらなぜか爪の手入れの話に飛んだりもする。毎日よくそんなにしゃべることがあるものだと感心するほどだ。

 部屋でのティータイムにカステルヘルミが同席するようになり、最近は侍女を交えて会話をする機会も増えたが、このふたりは知らない間にずいぶんと打ち解けていた。出身も立場も異なるが、年齢が近いせいだろうか。不思議なほど波長が合うらしい。

 生前見てきた印象では、女性同士が集まるとなぜかいがみ合うものだと思っていたが、ここではそんなこともなく何よりだ。


「それで、しばらくトマサさんは守衛部のほうで何かお勉強するらしいんですよ。ね、リリアーナ様?」


「……え? ああ、トマサのことか。本人の希望だからな」


 構成に気を取られてあまり聞いていなかったが、今度は同僚の話題に移っていたらしい。振られた話へ簡単に応えると、フェリバはカステルヘルミに向かって先輩自慢を繰り広げる。

 トマサが専門外の部署へ呼ばれたことで腹を立てるかと思っていたが、むしろ侍女でありながらそれ以外の実力も認められたことが誇らしいようだ。それと、お付きを離れるのはサーレンバーへ向かうこの期間だけ、とはっきり明言してあるのも大きい。

 屋敷に残り勉強をしているトマサに、帰ってからきちんと報告ができるようこの旅路ではしっかり頑張るのだと張り切っている。


 自己鍛錬を欠かさないトマサは、教えた運動も訓練も全て日課としてこなすため、以前にも増して全身の筋肉が引き締まっている。

 動作に無駄がなく勘の鋭い彼女には、前々から闘術の才があるとは思っていた。だが、実際に掌底でキンケードをのした場面を目の当たりにしたことのある自分はともかく、守衛部は一体どこでそれに気づいたのか。

 ともあれ、隠れた才能を見出され、本人も護身の(すべ)を磨きたいと望んでいるなら止める理由はない。

 元々サーレンバー領へ同行する侍女はふたりでいいということだったから、それならこの機会にと、トマサに屋敷へ残ることを勧めたのは自分だ。

 守衛部からの誘いに興味を持っている様子だったし、侍女働きをしながら掛け持ちするのは難しくとも、こうしてまとまった期間を鍛錬にあてられれば身につくものも多いだろう。


 コンコン、と外から車窓が叩かれる。

 下りているカーテンを捲ってみると、すぐそこにファラムンドが立っていた。カステルヘルミの声にならない悲鳴を聞き流しながら、またエーヴィに窓を開けてもらう。


「待たせてすまないね、リリアーナ。荷物の積み込みも終わったからじきに出発するが、もう準備はいいかい?」


「ああ、こちらは大丈夫だ」


「それと、キンケードからこれを預ってる」


 そう言って窓から差し出される手に乗っていたのは、先ほど案内役にと預けたアルトだ。


<ただいま戻りました、リリアーナ様。やはり出所の怪しい武具だったようで、積み荷は馬車ごと押収、乗っていたふたりの男もキンケード殿に捕縛され、応援に駆けつけた自警団員らに連れていかれたようです>


 念話による報告にうなずいて見せ、父の手からアルトを受け取った。またおかしな動きをする前に、さっさとポシェットへ収めてしまう。


「そのぬいぐるみ、今も大事にしてくれているんだな」


「うん、手に程よくなじむ」


「ふふ、そうか。ああ出発の準備が整ったようだ。もし途中で気分が悪くなったら、すぐに侍女に言うんだよ。時間には余裕を持たせているから、途中でいくら休憩を挟んでも構わない」


「はい」


 優しさの透ける忠告に殊勝な返事を返すと、ファラムンドは微笑みを見せて自分の馬車へ戻って行った。

 窓からその背を見送っていると、そう離れていない場所に騎乗したキンケードがいるのに気づく。部下らしき自警団員に囲まれ、「さすが副長!」「何でわかったんすか?」と声をかけられているが、面倒そうに手をはためかせ持ち場へ戻るように指示をしている。

 そして苦い顔のままこちらを振り向き、目が合う。今は職務中であり、周囲の視線もあるためだろうか、胸元に右手をあててわざとらしい敬礼なんて向けてくる。

 てっきり事後処理で手が塞がっているのかと思ったが、定位置について馬上で姿勢を正す様子は、ただ出発待ちをしているようにしか見えない。


「ならば、どうして父上が持ってきたんだ……?」


<さぁ……。先ほどキンケード殿が報告へ上がった際、上着のポケットに私が入っているのを父君に見つかり、無理矢理ふんだくっ……ゴホン。丁重にお受け取りになられたのです>


「ふむ、まぁいいか」


「あぁ……ファラムンド様、今日はまた一段と麗しく、公用の出で立ちも素敵ですわねぇ……」


 夢見心地といった顔で窓の外を見つめているカステルヘルミを一顧だにせず、エーヴィが留めていたカーテンを閉めた。


「街を出て領道へ差し掛かりましたら、またカーテンを開けさせて頂きます。外の風景をご覧になられたほうが馬車酔いもしにくいでしょう」


「うん、遠出は初めてだから景色を眺めるのも楽しみにしていた。丘陵地を抜けると、領境の辺りはしばらく岩場が続くんだったな」


 三年前、キンケードの馬に乗せてもらって崩落現場へ向かった時は、周囲を眺めるどころではなかったため途中の景色はほとんど覚えていない。

 道程を短縮して登った高い岩場からの凄惨な光景とて、あまり思い出したいものではないし。

 おそらく三年という時間を経たからこそ、こうして心穏やかに同じ道を行くことができるのだろう。もう少し前の自分だったら、おそらくあの事故の記憶に悩まされ、同じ場所を通るのがもう少し辛かったろうと思う。

 ファラムンドもカミロも無事でこれなのだから、もしどちらかでも失われていたら、リリアーナとして生きる限りもう二度とサーレンバーへ続く領道は通れなかったかもしれない。


 安全な馬車と、長閑な風景。何より今回は自分がついているのだから、決して皆を危険な目に遭わせはしない。この旅を良いものにして、領境に焼き付いた印象も上書きしたいものだ。




 しばらく平坦な道を進み、とりとめのない会話がひと段落ついたところでエーヴィが再びカーテンを開けてくれた。いつの間にか街の西門を抜けていたようだ。

 窓の外には広々とした平野が広がり、領道の柵の向こう側には羊の姿が点々としている。もう少し大きな影は牛だろうか。

 この辺りになると家屋はほとんど見当たらず、土地も手つかずに見えた。


「このあとは例のお花畑がある小屋で休憩して、領境の関所町で一泊ですね。寒い季節じゃなければ一面のお花畑が見られたのに、残念ですねぇ……見たかったなぁ~」


 こちらに向けて言っているのに、自身のほうがよほど落胆しながら肩を落とすフェリバ。

 かつての崩落の際、力を揮うために自らの領地とした岩場の一帯だ。

 従属を承諾した土着の精霊らに「もっと他にやることはないか」とパストディーアー経由でねだられ、天災にしろ人為的なものにしろ、もうあの場所で山崩れが起きないようにという状態の保持と、殺風景だからナスタチウムでも咲かせればいいなんて適当なことを伝えていた。

 その結果、冬の季以外は一面に咲いた花が枯れることもなく、領道を往く商人らの目を楽しませる名所となっているらしい。

 あの場所がどうなったのか自分も興味があったから、噂の花畑が見られないのは確かに少しばかり残念だ。機会があれば、またいつかサーレンバー領へ向かう用事もあるだろうか。


「そういえば、先生はイバニェス領へ来る途中に花畑を見たんだろう、どうだった?」


「い、いえ、それが……、ちょっとよそ見をしておりまして、見たような気もしますがあまり記憶になく、おほほ……」


「よそ見? 馬車を停めて休憩はしなかったのか?」


「うう、休憩はしていましたが……その、わたくしひどく気分が悪くて、正直それどころではなかったと申しますか……」


 どうやら酷い馬車酔いをして、景色を楽しむ余裕がなかったらしい。

 酔いやすいのであれば、道中は少し注意してカステルヘルミの顔色を見ておこう。この馬車には酔いを軽減するハーブティーも用意しているし、ファラムンドが言った通り途中のどこだろうと言えば馬車を停めてもらえるだろう。

 保温ポットを傾け、フェリバが小さなカップに冷たいお茶を淹れてくれた。アーロン爺が庭で栽培しているという香料ハーブだが、鼻腔を通り抜ける清涼感は眠気も吹き飛ぶ。


「おふたりとも、ご気分が悪くなったらすぐ言ってくださいね? ルミちゃん先生ならそこの窓から顔を出して、えれえれーってしてもいいですし」


「全然良くないですわー! 何言ってますのぉぉ!」


「リリアーナ様だったら私が責任もって受け止めますから!」


「いや……わたしは平気だ。馬車も改良がされて揺れにくくなったしな、こうして話しながら景色を楽しんでいれば、目的地まですぐだろう」


 今のところカステルヘルミに変わった様子はなく、むしろ顔色は良いほうだ。フェリバと楽しそうに話している間は大丈夫だろう。

 足元の構成には暖気に加え、適度な加湿と外気の循環も編んでいる。それでも馬車内の空気が悪くなるようならアルトが警告をしてくれるだろうし、長時間の移動でも環境面の問題はない。


 すっきりとした冷たいお茶を飲みながら、白い曇り空を見上げる。隙間なく空を覆っている雲はさきほどより薄まっているのか、陽光は差さずともそれなりに明るい。

 手すりに両手を置き、またぽつぽつ見える丸い家畜を遠目に眺めていると、あれは野羊だとエーヴィが教えてくれた。それから行商などの馬車とすれ違う時だけ、窓から顔を離すよう注意される。

 あまり顔を見られないほうが良いと兄たちに散々言われて理解しているし、何より行儀が悪い。頭の中でバレンティン夫人から叱咤の声が飛んでくるが、車内には気心の知れた相手しかいないから、まぁいいかと肘をつく。

 そうして隣に座る侍女へちらりと視線を向けてみるが、その顔には相変わらず何の感情も浮かんでいない。

 街へ出た時とは違い、いつも通り特徴の掴みにくい化粧をしているエーヴィは、こちらの視線に気づいても微動だにせず窓の外を見ていた。


「……何か気掛かりでもございますか?」


「わたしの方ではない。お前が何か、訊きたいことでもあるんじゃないか?」


「いいえ、何も」


「そうか。ならいい。これからしばらくトマサの分まで苦労をかけると思うが、フェリバの面倒をよく見てやってくれ」


 そう言うと、細い眉と口元だけ微妙に動くがすぐに元通りになる。


「トマサ先輩からも重々よろしく頼むと言われておりますから、どうぞお任せください」


「うむ。慣れない場所で放置すると何をしでかすか心配だが、お前がついているなら安心だ。使用人働きが専門でもないのに、侍女としての仕事は熟達しているからな」


 窓の外へ向けられていた色の薄い目がこちらを見た。

 ふたりの間だけ聞き取れる程度の声は、向かいの席までは届いていないだろう。フェリバとカステルヘルミは互いの毛先を触り合いながら、今度は髪の手入れがどうとかいう話で盛り上がっている。

 少し気が逸れている間に話題が移り変わるのはいつものことだ。華やぐ会話をなんとはなしに聞きながら、窓の外を見ている風を装って話を続ける。


「エーヴィは守衛部に属しているんだろう?」


「それは侍従長から?」


「いや、はっきり聞いたわけではないが。大抵のことはできるから、何でも命じて良いとは言われたな」


 中庭でエーヴィの話を聞いた時、侍女に就く前からこの屋敷で働いていたとカミロは言っていた。あまりに普段の仕事ぶりが完璧すぎて忘れかけていたが、元は別の仕事をしていたはずだ。


「そもそも、普通の侍女は、街中を走る相手に屋根を伝ってついてきたりしない」


「左様ですね」


「トマサを守衛部へ推薦したのも、お前なのか?」


「ええ、そうです」


 しれっとそう応える顔も変わりはないが、どこか愉快そうにしている気配もする。

 主張をせず、目立つことなく、影のようにつき従いながら与えられた仕事は何でもこなす。……それは一体、何と呼ばれる存在なのだろう。

 だがカミロが「お付きの侍女」として自分につけた以上、今後もエーヴィのことはただの侍女として扱うつもりだ。

 おそらく護衛を兼ねてカリナとの入れ替えになったことは想像に難くないが、何かあった際に自身の身を守り、非常時にも足が竦まず動けるような者がそばにいることはありがたい。どうしても手が足りない時には、フェリバとカステルヘルミを任せられる。


「……いや、まぁ、身の安全のためにサーレンバー領へ向かうわけだから、そう危険なことが起きるとも思えないが。能力があるのは結構だ、お前のことは頼りにしている」


「身に余る光栄です。何なりとお申し付けください、リリアーナお嬢様」


 熱の籠る囁きとともに目線を合わせ、唇の端を引いて薄く笑う。エーヴィが初めて浮かべて見せたその微笑は、自分なんかよりもずっと下手だった。



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