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馬車に揺られて


 寒い季節となるにつれ日の入りが早くなるのは、キヴィランタでも聖王国側でも変わらない。

 彩度を落とし始めた空はレオカディオの髪色のように、淡い紫に染まり始めていた。

 ずいぶん傾いた陽光は商店の屋根に差し掛かるまでになり、道行く人々の足元にも長い影が落ちている。


 そんな様子を馬車の窓から眺めていたリリアーナは、扉が閉められた振動と音で我に返った。

 景色を眺めているだけのつもりが、意識が半分ほど寝落ちていたようだ。手の中のカップはすでに空とはいえ、落としてしまう前に気づけてよかった。

 戻ったカミロにそれを悟られないよう、何でもない顔を作って振り返る。


「お待たせして申し訳ありません、リリアーナ様」


「いや、構わない。もう話は済んだのか?」


「はい」


 馬車へ乗り込んだカミロに冷水のおかわりを訊かれ、目覚ましも兼ねてカップに半分だけ注ぎ足してもらう。

 エーヴィはまだ街での仕事が残っているとかで、帰りはカミロとふたりだけだ。彼女も今日は疲れることばかりで大変だったろうに、大丈夫なのだろうか。

 焼き菓子はあまり好まないということで土産は用意していないが、今度何か別の物を用意しよう。


 御者の合図とともに、馬車が動き始めた。

 走りだしの揺れが落ち着いてから、カミロは座席に置いてあった布包みを頭上の収納部分へと移す。

 マダムの店を裏口から出た時、護衛の男に託していた土産用の菓子だ。馬車の発車位置の伝令とともに届けてくれたらしい。

 あれを抱えてたまま逃げていては中の菓子が粉々になっただろうから、早い段階で預けることができたのは幸いだった。


「中身は割れてはいないようです、ご安心を」


「うん、ポポに貰った小袋も汚れずに済んでよかった。あとは菓子屋を見てノーアを送れば今日は終わりだ、と思っていたのに、まさかあんなことになるとはな……」


 街を再訪するにあたっての当初の目当ては粗方達成することができたが、こんなに疲れる一日になるだなんてさすがに予想していなかった。

 普段の運動よりずっと長い距離を歩いたせいで、足も体もへとへとだ。


「事故のようなものとはいえ、ノーアを聖堂まで送ると言い出したのはわたしだ。色々と面倒をかけて悪かった。予定よりも帰りが遅くなって屋敷のほうでも心配しているだろう」


「滅相もない。せっかく楽しみにしていらした外出がこのような結果となり、謝罪の言葉もございません。リリアーナ様の御身を危険に晒すこととなったのは、ひとえに我々の至らなさゆえ。護衛としての信頼を頂いておきながらこの不始末は、」


「ああ、いや、事故なんだから、今日起きたことはどれもこれも予測のつかなかった出来事だ。お前がそう謝る必要はない。副会長の件も追跡者のことも、ひとまず無事に済んだのだから、良しとしよう」


 ノーアとの遭遇、ポポの店への闖入者、『勇者』からの追跡。

 いずれも直面するまで全く予想だにしなかった。

 自分に危機感が足りていなかったという自省点はひとまず置くにしても、カミロだってまさか単なる街歩きと買い物が、ここまで予定とずれる羽目になるなんて思わないだろう。

 特に『勇者』に関しては、自分の不注意が招いたことと言ってもいいくらいだ。カミロにばかり謝られてしまうといたたまれない。


 それにしても前回の領道の件といい、今回といい、自分が街に出ると大きな面倒事と遭遇するのは、何か因果あってのことなのだろうか。


「ノーアと会えたのは、まぁ楽しかったが、あれを連れていなければポポの店に長居せず副会長と会わなかったかもしれないし、菓子店へ行っても追われずに済んだかもしれない。元をただせばわたしが招いたことばかりだ。軽率な行動や言動も多かった、反省している」


「リリアーナ様に落ち度など、何も……、いえ。無益な謝罪はここまでとし、今回至らなかった点は改善に努め、全て次回へ生かしたいと思います。もし、お屋敷の外へ出るのがお嫌でなければの話ですが」


「嫌なものか。もっと街の中も、他の村だって見てみたい。……だが、こうもトラブル続きだとな。しばらくはバレンティン夫人の言う通り、何か欲しいものがあれば商人を呼び寄せることにする」


「ええ、それもよろしいかと」


 自身で店頭に並んだ品を見て選びたいという場合を除き、屋敷まで商人らを呼び寄せて頼むほうが、身分に合った作法としても正しいのだろう。

 露店などを眺めて歩くのが楽しかっただけに、物寂しくもあるが仕方ない。

 それを思うと、今日あの雑貨店を見ることが叶わなかったのは残念だ。次に店へ赴けるのは一体いつになることやら。


 リリアーナは肘かけに腕をつき、背もたれから体重を移動して息をつく。

 疲れているから楽な姿勢になりたいが、楽すぎると今にも眠ってしまいそうだ。

 何か話していたい。


「……ああ、屋敷に着く前に言っておこうと思っていたんだった」


「何か?」


「あの、副会長のことだ。推測に過ぎないが……今日はあれが屋敷へ来るから、鉢合わせないようにわたしを街へ出してくれたのだろう?」


 ぼんやりしだした頭で何か話しておくことはないかと考え、出てきたのがそれだった。

 カミロは隠し立てする様子もなく、少し間を置いてから素直に首肯を返す。

 こちらがほぼ確信しているのを見て取ったか、元々隠すつもりもなかったか。

 別にどちらでもよい。朝に見せたファラムンドとのやり取りからして、大した秘密でもないのだろうと思っていた。


「ですが、彼らが訪れるからという理由ではございません。旦那様はきちんと予定を組み立て、護衛の手配可能な日取りを選ばれました。その候補日に来訪の報せが届いていたので、あえて入れ違うようにはいたしましたが」


「そうか。ま、ああいう手合いの相手をして父上の時間を無為に潰すことになるより、さっさと諦めてくれたのは良かったと思う。わたしと対面しても、さして害があったわけでもないし」


「危害には及ばなくとも、あの通り品性と人格に欠陥があるため、できることならリリアーナ様との接触は避けたかったのですが。どこで本日の予定を掴んだのかは、きちんと調査いたします」


 もう名前もあまり覚えていないし、顔はすっかり岩蛙で上書きされてしまっている。

 自分と繋がりを持つことで、領主家に取り入りたいという魂胆が透けて見えたが、父であるファラムンドがそういった決定をしない限りは縁がまとまることもないだろう。


「副会長絡みの件は、彼のご協力もありましたので明朝にでもお屋敷へ一報が入るでしょう。あの不審者についても信頼できる筋に捜索を依頼しました、何か判明次第ご報告をいたします」


「わかった。……まぁ、ノーアが言った通りしばらくこの街には来られないだろうし、無理はしないようにな」


 ノーアが帰還するための転移で『勇者』を飛ばしたが、どこに落とす(・・・)かまでは知らされていない。

 魔法による転移は、距離を無視して点と点を直接繋げるものだ。線を書いてその途中で放り出すのとは訳が違う。

 しかも精霊にやらせるなんていう自分には扱えない手段だから、構成による座標指定とは仕組みが異なるのかもしれない。

 一体どこに落ちたのか、もしかしたらノーア自身にもわかっていないのでは?


 座席の後方を振り返り、小振りな採光窓から切り取られた空を見上げる。

 街の中央通りへ差し掛かったところだから、窓からは聖堂内にそびえる細い塔がよく見えた。

 塔の上の白い部屋。

 五歳記の祈祷で垣間見た、あの息苦しさを感じる部屋にノーアは戻ったのか。

 蔦の絡まる窓からは、もしかしたらこの馬車が見えているかもしれない。

 あの時も、不思議な格子窓からは白い空が見えていた。堅牢な窓枠は絵画の額のようでもあり、縦に大きくて……


「あれ?」


 そういえば街中から何度も見上げた尖塔の窓は、とても小さくて四角い。

 遠近感を考慮しても、この馬車の採光窓と大差ないように思える。

 そもそも、この街の聖堂に建つ塔は細い。上にいくにつれ更に細くなるのだから、あの窓がある部分に居住スペースなんて物理的に不可能では?


「……ん? もしかして、ノーアはこの街の聖堂に住んでいるのでは、ない?」


「左様ですね」


「えっ、カミロは知っていたのか、そうか、ノーアと会った時から顔を知っている様子だったものな。なんだ……。では聖堂へ送り届けるという話は無意味だったんじゃ」


「明言を避けていたことは謝罪いたします。彼の口振りから推察するに、聖堂のそばのほうが転移とやらに適しているようでしたので」


 確かに、思い返してみればノーアは、「聖堂のそばまで」送れば、「精霊に転移させる」と言っていた。

 無断で外に出たことを聖堂関係者に見られないように、という意味で受け取っていたが、そもそもこの街には住んではいなかったのか。

 街の名前を聞いて驚いていたことも、ようやく納得がいく。

 五歳記の時に見たのがコンティエラの街の聖堂内だったから、てっきり同じ聖堂の塔だとばかり思い込んでしまっていた。


「む、む……。別に、怒っているわけではないが、黙っていたのは感心せんぞ。わたしが勘違いしていることは察していたろうに」


 不機嫌さを隠さずに唇をとがらせてそう抗議すれば、カミロは頭を垂れて眼鏡を押さえた。

 神妙で殊勝にも見える態度。

 ……顔は見えないがたぶん笑ってるぞこいつ。


「申し訳ありませんでした」


「それで、ノーアはどこの聖堂にいるんだ? カミロは一方的に知っているようだから、どこかで顔を見たことがあるのか?」


「彼の素性につきましては、ご本人が明かされなかった以上、私の口から申し上げられることはございません。どうかご容赦を」


「……そうか、わかった」


 共に行動している最中にも伏せていた以上は、そういうことなのだろう。

 カミロが言えないことは、無理に問い質したりはしないと決めている。これまでと同じように、どれだけ知りたくても今は我慢するしかない。


「リリアーナ様であればいずれ、またお会いする機会も巡ってくるでしょう。先ほどは事故のようなものと仰いましたが、立場の垣根なく個人同士として過ごされた時間は、とても得難いものであったと存じます」


「……ん、最後にノーアも楽しかったと言ってくれたしな。またいつか、再会が叶ったらゆっくりと話をしたいものだ」


 聖堂内で相当な地位にいる、もしくはその身内であることがうかがえる少年。

 家の事情を見る限り、どうも聖堂とは折り合いが悪い様子だし、自分が彼と仲良くするのはあまり推奨されることではないのかもしれない。

 だからカミロが言うように、個人同士として話ができた今日のひと時は、本来では有り得ないような特例だったわけだ。

 その素性も住まいも気になるし、自分にとってはそれを調べることも課題のひとつと言える。


 今日、少年とは約束を交わした。

 ノーアの許まで辿り着けたら、ふたつだけ何でも質問に答えてくれると。 


 リステンノーアという名はおそらく本名だろう、本人が名乗ったしカミロもそう呼んでいた。

 だが聖堂関係者との接触を家人に知られるのはあまり得策ではない。不用意にその名を口外するのは控えておこう。

 手がかりは名前と、年齢と、聖堂の上位者もしくはその身内だということ。あと、貴公位序列もファラムンドより上だとか言っていたっけ。

 それなりに材料はあるが、家族やカミロに訊けないとなると今の自分では調査手段が限られる。

 もしかしたら意外と長期戦になるかもしれない。


 手の中で少しぬるくなった水を飲み、細い息を吐く。

 向い合せに座席を設えられた四人がけの馬車の中で、来た時と同じように進行方向に向かってリリアーナが座り、向かいの座席の対角にカミロがかけている。

 正面に座ってもらったほうが話しやすいと思うのだが、膝がぶつかる心配でもしているのだろうか。

 大人同士ならともかく、今の自分は小さいから空間に余裕もあるのに。

 まぁいいか、と少し行儀悪く頬杖をつきながらカミロのほうを見る。

 路地で横たわるように指示したせいで顔も服も砂だらけだったのが、もうすっかり払われて汚れはどこにも見当たらない。

 ただ、度々屋外で膝をついたためか、片膝の辺りがわずかに擦り切れてしまっている。


「……足は、大丈夫か?」


「ええ、問題ありません」


「お前はそればっかりだな、問題ありのラインが自分の都合で上下しすぎだ」


「そうですね、自覚はあります」


 ずるい大人ですと自白でもするように、しれっとそんなことを言う。

 この男のことだから、足を再び痛めていようと、自分の前では決してそれを明かすことはないのだろう。

 それが性格と職務ゆえと理解していても、何だか癪だし、面白くはない。


「リリアーナ様こそ、本日はお疲れになられたでしょう。お屋敷へ着くまでにはまだ時間がかかります、少しお休みになられては?」


「そうだな、とても、疲れたし、眠い……」


「ブランケットを積んでおります、少々お待ちください」


 そう言って壁に設えられた取っ手を持ち、こちら側の座席の頭上にある収納から香茶色をした上品なブランケットを取り出した。

 折りたたまれたそれは、広げると毛布の半分くらいのサイズになるようだ。

 丁寧に広げて自分の肩をくるむ男へ向け、隙間から出した手で隣の席を指さした。


「カミロ、お前、ちょっとここに座れ」


「はい」


 リリアーナの指図に対し、従順に腰を下ろした男の肩……には届かず、二の腕のあたりへもたれかかる。

 窓側の肘かけに体重をかけているより、こちらのほうがいくらか柔らかいし、温かい。

 正直フェリバほどくっつき心地は良くないが、頭の揺れはいくらか軽減される。

 仕立ての良いコートは織りが細かく肌触りもなかなか心地良い。


「屋敷についたら、起こせよ……」


 何か応えが返ってきたはずだが、車輪や馬の蹄の音にかき消されて聞き取れなかった。

 今日は本当に疲れた。色々なことがありすぎて、考え事もたくさんしたし、疲労で全身が鉛のようだ。


 とにかく、 眠い。


 緩んだ手の中からカップが抜き取られる感触にも気づかぬまま、リリアーナはすとんと眠りに落ちた。



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