83.白い夜の誓い
『マイヤ、話があるんだが』
ある日の夕方に急に改まって切り出されて、思わず居住まいを正した。エーディクさん、話してくれる気になったのかな。わたしも覚悟を決めようっと。
夏の盛りの薄明るい夜空の下で、クヴァースの盃を片手に軒先に腰をかけて話を聞くことになった。今なら、どんな話でも心穏やかに聞けそうな、気がする……
『マイヤが、元の世界に戻る方法がないか探していたんだが』
「……はい?!」
ええっと予想外の話題が来ました! てっきりエーディクさんの過去とかに関わる話が来るかと思ってたのに。わたしのほうですか?! 不覚にも動揺してしまいましたよ。
『多くの場合、召喚の時と同じ条件が必要だったりする。先方の言うことには「冬至で、さらに満月の深夜」だったな』
「は、はい……」
『暦の計算をしていたんだが、該当する日は12年周期だ。つまり、次の機会は11年後――いや、10年と6か月後になるな』
「じゅ……」
絶句してしまった。今まで目を背けていた部分だっただけに、痛いところをつかれた。何それ、好きな時に行き来できるとか、二度と戻れないとかなら考えていたのだけれど。なんて中途半端な帰還条件なの……。
『もちろん、マイヤの〈力〉が上がったことで少し条件が緩くなっている可能性もあるし、先方が「願いを叶え終わっていない」とみなせば、逆に戻ることを許してもらえない可能性もある――そうだな、〈ズヴェズダー〉』
『仰せの通り、ですよ』
ふわっとわたし達の横に舞い降りたのは〈宵の明星〉だった。さっきから空に輝いていたのを眺めていただけに、彼女が出現したことに驚いていない。けれどエーディクさんが、わざわざ彼女を呼んだのを意外に思った。
『翁らは、貴女のやり方でゆくことを認めてくださっています。けれど、敢えて時を必要とするすべを選ばれた以上は、そう容易くは戻れぬ道であることも、お覚悟いただきたい』
「うん……ですよねー……」
既に答えは出ていたようなものだったけれど。改めて突きつけられて溜息が出た。
『それで……なんだ。もし、マイヤが、ここに留まることを考えているのなら。できれば……その、一緒に暮らさないか』
「ええっと……」
どこかおかしいエーディクさんの言いように、少しだけ考えを止めてしまった。
『今までのように、他人の同居ではなく、家族として――夫婦に、なってくれないだろうか』
真剣な琥珀色の瞳を前にして、わたしも、自分の気持ちに嘘はつけなかった。
「……はい。わたしで、よければ」
もっと考えなくてはいけないこと、相談しなくてはいけないこと。沢山あるはずだと思ったのに。それでも、わたしはそう答えを出してしまった。
その後は、いつの間にか〈明星〉の女神の姿が見えなくなっていることにも、気づかなかった。美しい白んだ夜を、ただただほんのりとした幸せに包まれて、ふたりで過ごした。
夏の盛りを過ぎた頃に、ある知らせが届いた。ヴァディーム大公の逝去――死因は不明だ――と、スヴャトザール新大公の擁立を告げるものだった。この動きに〈白〉〈黒〉と呼ばれる何ものが関与したのか、わたし達はその詳細を知っているわけではない。ただ、この報を機に国の内乱は収束に向かうであろう――と、誰もが予感した。
そして、実際にその通り、スヴャトザール大公の治世は戦を遠ざけ、法と秩序を重んじるものへと歩みを進めていった――もっとも、わたし達がそれを確信するのは、もう少しばかり後の話でああるのだけれど。
スヴャトザール大公は名君として歴史に名を遺すことになるだろう。ただし、彼は宗教政策には中立であった――以後、おもな地方はどんどんマスリーナの教義を色濃く反映してゆく中、北東部のみが旧教の拠点として扱われることになる。何でも、僻地の〈黒髪の雪娘〉だか〈冬の魔女〉だかと呼ばれる存在が、その支えになっているとのことだった。
「皆さんもう、勝手に噂してくれちゃってますね。こっちは生活するので精いっぱいなだけなのに」
『噂というのはそんなものさ――だがマイヤ、人前での薄着はそろそろ差し控えたほうがいいぞ。身体に障るからな』
「あ、はい……ありがとう、ございます」
以前より近くなったエーディクさんとの距離は、寒さが深まるにつれいっそう近くなった。寄り添った彼がそっと、わたしの下腹部に手を添える。
――そうだよ、生きていかなきゃ。自分のためにも、彼のためにも、――この子のためにも。
今年もまた、霜の降りる季節が近づいてきていた。
〈完〉




