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74.小さな足掻き

 冬の最中に即位した、ヴァディーム新大公の動向は、静かながらに着実に地盤を固めているように思えた――民会の意向を汲みつつも有力な貴族や商人に水面下で働きかけ、おもだって反対意見が表出しないように努めているようだった。その状況を聞いて思わず、知らず知らずのうちに容赦のない冷えをもたらす〈霜〉を連想してしまった。何故なら、反対派とおぼしき有力者の何人かが、不審な死を迎えているようだったから。ほんとうに、寒さと殺気が入り混じった思いを受け取って、身震いする……

 政治の場では、少なからずそういうことはあるのかもしれない、と思い込もうとしていた中でのことだった。じきに春が来る。里の皆が心もとない食糧をやりくりしつつ、草木の芽吹く時を待ち焦がれる日々。同時に戦の再開される予感と不安を抱えつつ、諸々の備えに勤しむ日々。わたしはわたしで、今まで知りえた事柄を拙い文章で書き綴っていた日々。

『セミョーン公の訃報が、届きました』

 感情の読み取りにくいデニスさんの告げた言葉が何を意味するのか、すぐには理解できなかった。

「ふほう……亡くなった、という、ことですか……?」

 え。何で。どうして。混乱する頭とは裏腹に、はっきりと、冷たく暗い霜のイメージが浮かび上がる。

『ついに排除しにかかったのか』

「え、エーディクさん。どういう、ことですか」

『そうと決めつけるなって言いたいところだけどな……』

 かぶりを振るローシャさんの横で、デニスさんが淡々と言葉を続ける。

『寝所で喉を掻き切られていたと。疑いようもなく暗殺です』

「そ、そんなことまで知れ渡っているんですか……」

『隠すことすらできないってのが、この国の現状なのかもな』

 茫然とするしかなかった。誰が、なんて聞く必要はないし。モルジを除く各地方の公らの中で、最も将来性が高いと噂されていた人物だったはず。邪魔に思う人が誰かなんて、今更言わずとも知れ渡っている。

「北東部は……どうなるんでしょうね」

『また当分、代官預かりになるだろうな』

 気まずい沈黙のまま、記録書の執筆作業を進めていると、デニスさんがポツリと呟いた。

『まだお若い方でしたのに』

「……お会いしたことがあるんですか?」

『二度ほど。温厚で、純粋すぎるのではないかと危ぶまれるほど、熱心な信者に見受けられました』

 デニスさんがひとつ、細くゆっくりとした溜息をつく。

『今回の件も、側近の方々からは充分に注意するよう、忠告を受けていたようです。ですが、彼は「兄を疑うことはできぬ、兄と争うようなことはしたくない」と……心がけは素晴らしいですが、あまりに良心に頼りすぎる』

『その言葉と態度で、側近の何人かは離れていったと聞くしな。本当に、上手くいかない世の中だ』

『全くですね。私のような不真面目な信徒が生きながらえているというのに……』

 その場でデニスさんが、祈りの際に指で示す教義のシンボルを描いて、そしてまた黙り込んだ。

 その日は、一段と冷えを感じる夜だった。


『よっしゃ、二曲できたぜ』

「ローシャさん、ありがとうごさいます」

『マイヤ、ここはこの表現のほうがいいと思う』

「わかりました、直します」

 遅々としてはいたけれど、記録のほうは進んでいた。ローシャさんがグースリで弾く歌物語と譜面を記しておくのがいいかもしれない、と思いついたので、そちらのほうをお任せしてある。『スコモローフの連中は口伝で済ませちまうから、案外貴重な資料になるかもな』という話が、もっともだと思えたからだった。

 エーディクさんは、文章の推敲に協力してくれている。最初デニスさんにお願いしていたのだけれど、彼もいろいろと忙しそうなのと、内容が土着の知識に深く食い込むものの場合、エーディクさんのほうが微妙なニュアンスの違いを感じ取れるようだったからだ。『文の組み立て方も綺麗ですし、やはり育ちが出るんでしょうかね』とは、デニスさんの談。そんなものですかねぇ。

 それはそれとして『ちょっといいか。こんなものがあると理解の助けになるかと思ったんだが』と、エーディクさんが見せてくれたのは、土着の神や精霊のシンボルや素描だった。一見粗雑に見えるんだけど上手い、というかよく特徴を掴んでる。

「いいですねこれ。ときどき挿絵があるとやっぱり、違いますね」

『とは言っても、自分の〈見た〉ものしか描けないから、それほど多くは描けないと思うが』

「見ていても描けない絵心のない人に向かってそう言われましても……とにかく、エーディクさんの無理のない範囲で、お願いしてもいいでしょうか」

『わかった。端に注釈をつけておくから、好きなように使ってくれ』

 なんて言えばいいのかな……血は争えない、かな? 従弟のミクラさんが画家なだけに、充分素質があるみたいだ。羨ましいな。

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