64.裏山に呼び出し(違
その時は、初雪の日にしようと決めていた。実際には、冬越しの準備が落ち着いた数日後だったのだけれど――いや何だかんだ言っても目の前の生活のほうが優先順位は高かったんですよ、近視眼的で申し訳ない話ですが。
場所は、わたしがエーディクさんにはじめて遭った、北の森の入り口近くで。『深入りすると、聞かれたくない相手にも聞こえてしまうかもしれない』という懸念から、あまり奥には踏み込まなかった。わたしの十歩ほど背後でローシャさんが、さらに数十歩以上後ろにエーディクさんが、何かあった時のために待機していてくれている。エーディクさんが言うには『俺が近すぎると、出て来ないかもしれないから』という理由で、こんな微妙な配置をとることになった。
持ってきていた白い毛皮を両手で捧げ持つようにして、両目を閉じる。毛皮に込められた〈力〉と同種のものを探り当て、引き寄せられるように。――どうか、来てください。お願いします……
「……わたしを助けてくれて、ありがとう。そしてできれば、もう少しだけ、力を貸してほしいんです。どうか、姿を現してくれないでしょうか。わたしのお願いを、聞いてもらえないでしょうか――心優しき冬の子、雪の娘――〈スネグーラチカ〉よ」
シンと静まり返る、薄く雪の積もった木々と大地は、変わらぬ静寂をたたえていた。わたしは再び瞳を閉じて、ただ祈った。すこしばかり時間の感覚を無くしかけていた時に、ふっと今までと違う空気の感触に気づき、我に変える。
頬に当たる冷たい感触。雪だ――ほんのわずか視界の端に見えていた白いそれは、首をめぐらす毎に、徐々に増えていった。そのうち、一筋の不自然な空気の流れが巻き起こり、それがぼんやりと白い塊を形作っていった。次第にそれは細部が鮮明になっていき、わたしの目の前で、はっきりとした人の姿をとる。わたしよりわずかに身長の低い、白い長い髪と薄青い瞳の持ち主。白いルバーハと青灰色のサラファンを纏った、人形のように整った顔立ちの美少女。間違えようもなく、かつて出会った〈彼女〉だった。
彼女は喜びとも、困惑とも違う微笑をたたえたまま、わたしにむかって両手でサラファンの裾を持ち、軽く一礼した。
〈雪娘〉スネグーラチカ。この地で絶大な力を持つ〈冬将軍〉ジェド・マロースの娘とも、孫娘とも言われている。人に危害を加えるか加えないか、一般の精霊では半々の確率といったところで伝えられている中、彼女に限ってはほとんどが友好的な話で終えられている。もっともそれ以上に、彼女より上位の存在たる〈冬将軍〉に遭遇して、不幸にも命を失う結末に導かれた犠牲者の話は溢れ返っているのだけれど――
『ご無事で何よりです』
わたしに向かって敬語ですか。なんだか畏れ多くなってこちらも慌てて頭を下げた。いや、正直冷や汗ものです。今だからわかるけれど、彼女、キキーモラよりレーナさんより遥かに〈力〉が強いよ……!
「こ、こちらこそ、最初から力になってくれてありがとう。それでその、呼び声に応えてもらったってことは、もう少しお願い聞いてもらってもいいってことでしょうかね……?」
『少なくとも、最初の頃よりはしてあげられることが増えたのでは、と思います――私の名を言い当てられるほどに、この世界のことを知ってくれたのでしたら』
あれ、そういえば『いろいろ知って欲しい』みたいなこと言ってたの、彼女だっけ……? 随分昔のことのように思えるけれど、改めて思い出した。
「とりあえず質問なんですけど、何故貴女はわたしに力を貸してくれたの?」
『それは、もともとの貴女の素質が、私の力を使うことに向いているから』
「わたしをこの世界に呼んだのは、貴女?」
彼女は静かに首を振った。
「じゃあ、誰だか知ってる?」
『何人かは――』
「え」
何人か、ってどういうこと?!
『上位の神が複数でかかりきりになる、とても大がかりな〈力〉の発動です。私はその正確な人数を知ってはいませんが、あの時主導していたふたりの〈翁〉に関してでしたら、存じています』
「え……それってまさか」
不意に今まで忘れていた、最初の光景が思い浮かんだ。スネグーラチカよりも先に姿を見せた、二人の老人。大柄な黒い毛皮を着ていたのと、少し光っていた禿頭の……
『ひとりは私の従う、寒気を司る〈霜の翁〉――貴女がたには〈冬将軍〉、ジェド・マロースと呼ばれていることのほうが多いでしょう。そしてもうひとりは――』
スネーグラチカはわたしの首に提げた護符の、淡い黄色の石を差してこう告げた。
『夜を統べる〈月の翁〉、月神メーシャツ。いずれも〈闇〉に最も近い、最上位の神々です』
……メーシャツという名は聞いていたけれど。女神という話もあったのでそうと特定はできていなかった。そっか、それで夜に弱い光が使えたんだ――あれは、月の光だったんだ。




