55.大事な休息
『外傷はないみたいだけどな。意識がぶっとぶって、何やらかしたんだコイツ……』
あの後、ローシャさんを呼びつけて(エーディクさんを引き摺りながら彼を呼ぼうと考えていたら、捜しにきていた彼と会うことができた。わたしの〈声〉を聞き取ったらしい)、彼に手伝ってもらってエーディクさんを家まで運んだ。暖炉の上はなんとなくよろしくない気がしたので、普段わたしが使っている寝床に横たえる。まだ身体全体が熱を持っているようだったので、手のひらに〈冷気〉を込めてエーディクさんの額に当ててみた。
『……〈炎〉、か。奴の得意分野だからな。だからこその〈暴走〉なのかもしれないが』
「今までに、こういうことはなかったんですか?」
『ちょいと力が勢い余って、ってことはあるもんだよ。俺だって全くないわけじゃないし。けど、昏倒するまでヤバくなるって覚えはない』
「……」
『まあでも、強いて言えば〈夏だから〉かもな。単純に日の光や熱の上がる季節だから。一般人でも、この季節は動きやすすぎてバテるってのはあるんだ。何しろ夜中も薄明るいくらいだから、休憩し忘れるとか、体調管理がかえって難しいってこともある。それがヴェドゥーンのこいつだと、ここまで極端になる、ってことなのかもしれんが……』
ローシャさんは少し引いて、わたしを見て、ちょっと力を抜いた笑みで応える。
『もしかしたら、自分が思ってる以上に気ぃ抜いてやがったのかもな。軍隊暮らしでも独り暮らしでもなくなったから。ほら、誰かがいる時に限って風邪にかかるとか、そういうやつ』
「あー、それわたしも覚えあるかもしれません……」
『ま、現場のほうには俺から言っとくから。マイヤちゃんはこいつを頼むよ。また何かあったら〈呼んで〉くれ』
ローシャさんは去り際に『せっかくのマイヤちゃんの膝枕なのに、意識がないとか勿体ねー』という捨て台詞を残していきました。
『マイヤさん、ローシャさんから伺いましたが、エーディクさんの具合が良くないと』
「あ、ええ……これでも、少しよくなったんですけれど。まだ少し熱が」
夕食時より気持ち早くデニスさんが帰って来た。彼は作業現場を見回ったり、カラノークの連絡要員と打ち合わせしたりで、ここ数十日忙しく動き回っている。
『私が少し様子を……診たら、嫌がりますかね』
「さ、さあ、どうでしょう……わたしとしては、デニスさんに診てもらったほうが心強いんですけど」
デニスさんは医術の心得があるようだから、診てもらったほうがいいと思うんだけどな。この世界の医療レベルは完全に信じちゃいけないような気もするけれど、以前見た限りではデニスさんの処置に変なところは見受けられなかったし。ただ、どうも今回のエーディクさんは〈力〉由来の不調のようなので、デニスさんに診せてどうなるってものでもないかもしれない。
少しだけ、デニスさんが近づいてエーディクさんの顔を覗き込むように身を屈めた。彼がそろっと手を頭のほうに伸ばしかけたところ、
『やめたほうがいい』
『……あ、お気づきでいらっしゃいましたか』
「エーディクさん、よかった!」
思わず駆け寄ったところ、エーディクさんがゆっくり上体を起こしてゆるく頭を振った。
『祭司の〈邪気祓い〉なら、子供の頃から何度かくらったが。どいつも拒絶の反動でぶっ倒れたぞ――軽い火傷で済めばマシなほうだ、命が惜しいならやめておけ』
『……そういうことですか。それでは、ご忠告に従って余計なことは差し控えましょう。私も命は惜しいですから』
え、ええと、もしかしてけっこう深刻な容態なんでしょうか? 夕食の支度をしつつ、どういうことなのかおそるおそる二人に話を聞いてみた。
『――私の故郷では、〈黒い精霊〉に取り憑かれた、とみなされる状態によく似ています。憎悪や殺意など、あまりよくない類の感情を司る精霊を総称してそう呼ぶのですが』
夕食の支度を手伝ってくれているデニスさんが、淡々と言葉を続ける。
『マスリーナの祭司が行う〈邪気祓い〉という秘蹟が、それらの悪霊から守ってくれるということになっていますが。当然絶対に成功するというものではなくて――失敗した場合、秘蹟を行った祭司に反動が返って来ます。それで命を落とした祭司を知っています』
エーディクさんも、デニスさんの言葉を邪魔するでもなく、静かに聴き入っている。
『単純に祭司の力不足ということもあるでしょう。ただ、エーディクさんの仰るように多くの者が失敗しているという場合、おそらくは、精霊に対しての理解不足に一因があるのではないかと』
『それは、あんたの経験なのか』
『師の見解ですが――その考えのもと、入念な下準備の末になんとか秘蹟を成功させた人でしてね――それでも遅効性の反動を喰らって死に至ったわけですが。いやはや、私はまだそこまでの境地には至れませんね。たかが赤の他人の農民の子に、どうしてそこまでできたのか』
なんだか、デニスさんの言葉がちょっと刺々しいです……
『その農民の子というのは、どうなったんだ』
『寺院に入って、司祭になる修行を積みましたが。寺院から見ればどうにも模範的な信徒とは言い難かったんじゃないでしょうかね。異教の知識を拾い集めるのが趣味の変人呼ばわりされて、誰も行きたがらない僻地に飛ばされて、それでお終いですよ』
デニスさんはその後、いつもの穏やかな笑みを浮かべて『スープは、このくらいの味でいいでしょうかね』と、わたしに味見の匙を手渡した。




