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51.不測の事態には常に備えて

「それで、レーナさん。やっぱり、どうしてももっと詳しいことが知りたいんです」

『……』

「今日はわたし独りですから。時間もたくさんあります。何を誰に話していいのか、よくないのかも、落ち着いて決められますから」

 そう、レーナさんが物思いに沈んでいることも、何か言いたそうにしていることも、ずっと気になってた。言おうとしないのは、おそらく、彼が常に傍にいるから。

 正直、この決断をするのは勇気がいった……だってこれは、彼に隠し事をすることになるわけだから。今までずっと、ずっと助けてくれた人の信頼を、裏切る事になるかもしれない。でも、それでも、見ないふりをしていたらよくない気がしている。遅くなればなるほど、取り返しがつかなくなるかもしれない――


『……あたしだってね、〈器〉が大きいわけじゃないのよ。だから、上の意志には逆らえない』

 ゆっくりと、話し出したレーナさんは、俯きがちでやはり元気がない。

『〈水〉はね、人と近すぎるの。お互いに簡単に影響され合うわ。特に、深みに嵌り込んだ精神状態を共有すると、お互いを道連れに、死の淵に沈みかねない――』

 不意に、以前ローシャさんが言っていたことが思い出された。構いすぎると〈引き摺り込まれる〉って。

『〈水〉は広大すぎて、微細に入りすぎるから、本当の本当に〈上〉の意向までは、あたしにもわからないの。ただ、この国で大きく力を持っている存在はふたつ。北と南、それぞれの〈川を統べる王〉――上位の〈ヴォジャノーイ〉』

「それって……モルジ近辺の北西に流れ込む河川と、首都や南海に行き渡る河川のことでしょうか」

『そう、大雑把にそのふたつに支配領域が分かれるの。そしてどちらも、今の人々の想いを取り込んで揺れ動いている。〈北〉は南の信仰に侵蝕されつつあることで、それに対する拒否反応が、とても激しくなってきている。〈南〉は――既に取り込まれかけているわけだから、表面上は大人しく身を潜めているわけだけれど。隠れている不満の芽から、ひそかに根を張り巡らせて機会を伺っている』

「機会……」

 何の、とは聞けなかった。暗く淀んだイメージが直接頭に流れ込んできた。

『これから、ひと波乱もふた波乱もあると思うわ――それで、それとあんたとどう関係があるかっていう話だけれど』

 その後も話は続き、夜通し聞き入ってしまっていた。いつ寝入ったのか、覚えていない。ただ、起きたときレーナさんはいなくて、作業台の上に置いておいたスープの小鉢は、空になっていた。


 何事もなければ、今日の夜にはエーディクさん達が帰ってくる。まあ、天候不順とか何かのトラブルで遅れる事も考えられるけれど。天気はいたって好調だし。

 昨夜はいろいろ聞きすぎてしまった。聞いたことに後悔はしていないけれど、気にかけなくてはいけないことが増えすぎて、うっかり大事なことを見失いそうな気もしている。『――そうは言っても、考えすぎないほうがいいかもよ。それこそ〈深みに嵌る〉かもしれないから。どっちかっていうと、何が起きても動じないように、体力気力をつけときなさいよ』という最後のレーナさんの言葉に支えられて、しっかり栄養のつくご飯を作ろうとしてるところで――いや、自分のためだけじゃないよ! エーディクさんのぶんもしっかり考えてますからね。

 でも、遅いな……冬よりもずっと日が長くなってるけれど、こんなに時間かかったっけ。もしかして、結局カラノークまで送ることになったのかな。それだと後二日帰ってこないかもしれないってことになるよね。そうなると、さすがにちょっと心細いかも……


 暗くなりかけた頃に響いた物音で、我に返った。きっとエーディクさんだ、帰ってきたんだ! 離れていたのはたった一晩だけれど、やっぱり何とも落ち着かなくて。思わず庭先に走り出た。オリガさんの家のほうから来るはずだから。すれ違っちゃうかもしれないけれど、たぶん大丈夫って言い聞かせていつも通る道を走った。

 オリガさん家を視界におさめつつ、近づくにつれ庭先の様子が伺い知れた。人が、多く集まってる……? あれ、でも、たぶん里の人じゃない。服が、なんか違う。あの裾の長い服は、確か――

 見慣れぬ人達のうちのひとりが、わたしに気がついて振り向いた。その顔は、見知った顔で。穏やかな眼差しでにっこりと微笑まれた。

『お久しぶりです――またお会いできましたね、マイヤさん』

「…………お、お久しぶりです、デニスさん」

 あの、確かにまた会うかもって思いましたけど。これは早すぎるでしょ……。

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