46.日も高いのに夜向きの話
『まーしょーがないわねー、あんた〈恐怖〉に呑まれちゃったんでしょ? 今までずっと血を見る機会に縁がなけりゃ、そういうこともあるでしょうよ……』
翌日はトーリャさん達が町に留まって商いの場を設けている間、わたしはおもに洗濯を担当していた。今回は怪我人がいるのでいつもよりまめに。他の人は楽しくない仕事だろうけど、わたしはレーナさんと話せるからそれだけで気分転換になるし。……でも、実は昨晩ほとんど寝れてないので、寝不足の瞼を無理矢理開けている状態。ちょっとですね、思うところがいろいろありすぎて……
『ま、大丈夫よ。次はたぶんもっと肝が据わってくるから。慣れなきゃ死ぬだけだし』
物騒な内容をストレートに仰ってくれるレーナさんの神経がタフすぎて素敵だ。
『あ、でも無神経になりすぎても死ねるから、まったく〈恐怖〉を追い払わなくてもいいのよ。うまく飼い殺すしかないのよー』
「む……難しそうですね……頑張ってみます」
やっぱり、頭が真っ白になって身動きとれなくなっちゃったのはまずかったなあと思ってる。あれだけの時間を〈力〉の集中に使ってたら、もっと別のやりようがあったはずなんだ。以前に教えてもらったように……あれ、何だっけ、思い出せない……
『あんたね……とりあえず今の腑抜けた状態を直す方法なら、手っ取り早いのがあるけど』
「はい……」
『寝る前にちょっといいかなって思う男の前に言って「今夜は眠れないの……」って言って寄りかかると』
「はい……え?!」
『翌朝スッキリできるわよ。ただその男に依存するやり方だから、自分の精神はあんまり鍛えられないけれど』
「待って待ってそれは無理無理絶対駄目――っ!!」
眠気ぶっとびましたよ! ああもう忘れてた、こっち関係のレーナさんの助言だけは従っちゃいけないって!!
『そんな気にしなくていいのよ。宿の大部屋なんてひと組やふた組はそんなもんよ』
「ない! ないです、わたしの常識的に」
『何を今さらカマトトぶってんのよ、あんた別に』
「! 誰か来ますから!!」
洗濯桶を抱えて立ち上がったところで、デニスさんが近寄ってくるのが見えた。
「すみません、遅くなりました!」
『大丈夫ですよ。そろそろ食事だそうです……どなたかとお話していたんですか?』
「え……ああ、地元の女の子みたいでしたよ! たいした話じゃないです、女の子の世間話ですから」
レーナさんが地元の女の子なのも、女の子の世間話で時間を潰していたのも、いちおう嘘じゃない。
お昼は、宿の人が早速仕入れた売り物を使ったらしい。トーリャさんとこの主力商品のひとつでもある、チトルースというレモンに似た果物の塩漬けが使われた、羊肉と野菜の蒸し焼き。あああこれすっごい美味しいわー。油っこくなくさっぱりいただけるし、野菜のほうに肉の旨味がものすごい沁み込んでる。魚や他の肉でやってもうまくいくんじゃないのかな。
「これ! フォークスにも持って帰りたいです!!」
『わかった、一樽取り置いてもらっておく』
『マイヤちゃんって、本当に食べてる時幸せそうだよねー……』
何ですかその、食べることしか頭になさそうな人みたいな言い方は。
「いや、そんなことばっかり考えてるわけじゃないんですけどね……この果物、たぶん北では育てられないだろうなってこととか。このタイプの食べ物が少ないと、下手すると栄養失調起こすかもしれないとか」
『おう、嬢ちゃんわかってるな。こいつは病気のときの薬代わりにもなるぜ。水や湯で薄めたり、蜂蜜を加えたりしてな。あとは、粥の味付けに入れてもいい』
あーなんかホントに蜂蜜レモンやお粥の梅干しと似た使い方なんだ、納得。
『なかなか、金を使う場所をわかってるお嬢ちゃんだな。いい嫁さんになるぜ』
「いやーそれはどーですかねー、たぶん無理ですよ、糸紡ぎ下手な娘ですから……」
あ、薄めたお酒が寝不足の身体にきたっぽい。ここの人達は弱い酒なら昼間からやってるし、自分もそのくらいいけるからって思ってたのがまずかった。瞼がまたずるずると……
『マイヤ?』
『今朝からあまり調子がよくなさそうでしたから。すこし休ませてあげてはどうでしょう』
『旦那が見張ってやれ、そのままだと襲われるぞ』
……うーん……これは自分でもやっぱり卑怯かもって思っちゃうなぁ。もう身体がほとんど思うように動かないけれど、ここで誰がわたしを守ってくれるのか、自分でもわかっていて。それに安心してしまっているのでやっぱり動けない。甘えてしまってごめんなさい……寝惚けながらも、身体を支えてくれたその人にきゅっとしがみついた。目尻から涙がすうっと一筋、流れ落ちるのを止められなかった。
夢現の中で、黒い人影が浮かび上がって来た。黒いマントを翻し、つば広の帽子を目深に被った男が、芝居がかった動きでこちらの気を引こうとしている。
振り向いたその顔は、黒革の仮面に覆われていた。彼は一礼ののち、暗闇に溶け込むように去って行った――




