45.思考を埋め尽くしたもの
自分には届かない、と解っている矢でも怖い。反らしているのはおそらくローシャさんの〈力〉で。少し前に『馬車が壊れるとあとあとキツいから、それもできるだけ防ぐ』とエーディクさんと相談していたから、彼がそこにかなりの力を割いているのがわかる。
〈風〉の力はどうしても、味方に都合良く、敵に都合悪く働きかけるという切り替えが難しいらしく、ローシャさん、エーディクさんはその切り替えの合間を見極めて矢を射かけていた。効率よく敵に痛手を負わせているようにも見える、けれど……
馬に乗った人と槍を持った人が何組か、回り込むように移動してきている。こちらの射手が多数ではないことを見てとられたんだろうか、守りの手薄なところを突こうとしているんだとわかって身震いした。だって、それはどう考えても、たいした武器を持っているように見えない、一介の村娘にしか見えないわたしに目がいくわけで――
『マイヤ!』
視界をエーディクさんの背に遮られた。彼の放った矢が騎乗している男を貫き、その身体が馬からくずおれて地面に転がり落ちる。でも、もう一頭の馬が突進してきていて。エーディクさんの次の矢が間に合わないかもしれない、どうしよう、どうすれば。わたしにできること、あったはずなのに。頭がうまく追いつかない。手が、身体が動かない――
一瞬だけ、騎乗している男の顔が歪んだ気がした。そこにエーディクさんの矢が突き刺さり、男の身体は後ろに仰け反ったのだけれど、馬はそのままものすごい勢いで迫っていて。これだと押しつぶされるかもしれない!と思った。エーディクさんが弓を投げ捨てて剣を抜いても、どうにもならないかも……!
次の瞬間、馬は吹き飛ばされるように横に転がった。ものすごい強風か、岩の塊にでも当たったんじゃないかと思える衝撃が感じられた。ローシャさんだろうか? 馬が倒れたのと逆の方向に目を向けると、棒杖を強く地面に突き立て、片手を胸の前に突き出していた長衣の人影があった。褐色のくせ毛が汗で額に貼り付いている。
『ここは私が。貴方は向こうを!』
エーディクさんが一瞬躊躇ったのがはっきりわかった――以前から稀にあったのだけれども、至近距離にいる人の迷いのない感情というのが〈伝わってくる〉ことがある――けれども、直後に『頼む!』と言い置いて、数人が固まって迫って来ているほうに向かった。デニスさんはわたしを庇うように前に出て、棒杖を両手で構え、槍を持つ男と対峙した。彼の背中越しに揺らぎのない動きと、その心が伝わってくる。
けれど、やっぱり安心はできない。怖いものは怖い。死にたくない。殺されたくない。エーディクさんも、ローシャさんも、デニスさんも、他のみんなにも、死んでほしくない。怪我してほしくない。わたし、どうすれば、いいんだっけ? こんな時は、何を。身体中が熱くなっていて、〈氷〉のイメージが描けそうにない。ただ感じているのは、紛れもない〈恐怖〉で――
気がつくと、槍を持っていた男が、デニスさんの目の前で片膝をついていた。鳩尾に棒杖の突きを喰らったようで、その部分を手で押さえたまま、その場に倒れ伏した。もうひとり近づいていた男もいたのだけれど、それも倒れていて、背中に矢が刺さっている。
後ろでザワっと大きな音がした。まだ動ける状態だったらしい数名が、遠ざかっていくのが見えた。退却したんだ。諦めて、くれたんだ――ほっとして大いに気が抜けて。その場にへたり込んでしまった。
『マイヤ。大丈夫か。怪我はないか』
『ええ、もう、わたしは。エーディクさん、は……?』
『何ともない』
『ローシャさん、みんな、……』
『ローシャは無事だ。他は、デニスが診てくれている』
『よか、よかっ……た、ごめ、ごめんなさい、わたし、何も』
『そんなことはない。大丈夫だ。大丈夫だから――』
ぎゅっと力強く抱き締められて、ぼろぼろと大粒の涙が出た。
他の人達も怪我は軽傷で、デニスさんを手伝って傷の手当もしたけれど、やはり深手の人はいなかったようでほっと一息つけた。『やっぱり、あれだけ早く見抜けたのが大きく響いたな。後手に回るほどジリ貧になるもんだからな』とみなが軽口を叩けるくらいになって、本当に安堵できた。エーディクさんには小声で『マイヤのおかげだ。だが、今のところは秘密に、な』と声をかけられ、その後口に指を当てて、内緒の約束をした。そのため今回の一番の功労者は、ローシャさんということになっている。
疲労のつのる身体を引き摺って、無事に予定の町まで辿り着いた時には本当の本当に安心できた――実はエーディクさん達は、手負い状態に目をつけられて他の賊を呼び寄せないか、ずっと心配して警戒していたから。確かにこんなの、立て続けに二度三度くらったらたまらないです。
宿はトーリャさん達も含め、いっしょの大部屋なのだけれど。再度傷を負った人の手当を手伝って、汚れた衣類をできる限り洗濯させてもらって。交代でお風呂に入りに行って、普段は雑談なんかもするもんだけれど。この日はみんな、眠りに落ちるのが早かった。




