22.朝はどの家も大変
夢を見た、と思う。買い出しの後から40日以上は経った頃だろうか。あの白い髪の女の子が出てきて、なんだかすごく心配そうにしていて、遠ざかっていく夢。声は聞けなかった……せめて何か喋っていってほしかったなー。何の手掛かりにもならないじゃない、とぼやきたくなった朝の出来事。
ローシャさんが泊まっていて、いつもよりちょっと賑やかな朝食の用意になって。水を汲みに納屋のとこの井戸まで行って……水桶に水を移そうとしたら、なんか水が変な動きをした。ふよんってたわんだような感じ。
最初は気のせいかと思って、気にせずもう一度汲んだ。やっぱり何か違う感じ。さらにもう一度汲んで水桶に入れたら、いきなり水面がずみょ――んって盛り上がって……誰かが出てきた。あまりのことに頭が追いつかなくて、思考停止したままそれを見ていた。
誰か、とすぐにわかったくらいに、それはしっかりとした人の形をしていた。滝のように水が流れ落ちた後に、濡れねずみのその人の姿形がよりいっそうはっきりする。濡れて艶々と輝く銀色の長い髪。ぱっちりしたつり目気味の瞳は、深い青緑色。薄い白いワンピースが身体にぴったりと貼り付いて、ものすっごいプロポーション抜群の身体が透けて見える、超のつく美人。
「…………」
水桶から足を出して、裸足でそのへんをぺたぺたと歩き、きょろきょろっと周囲を見渡す美人のお姉さん。ええと……これはあれかな、新しいご親戚だろうか。
「……な、なにかお探しでしょうか」
その人は、わたしをちらっと一瞥した後に、ずかずかと家に近付こうとして――ひょっこり顔を覗かせたローシャさんと、目が合った様子。
『げっ』
『あーもうローシャーぁ! 探したんだからもーぅ!! 聞いてよ聞いて!!』
思ってたよりもカワイイ系の声を響かせつつ、女の人はローシャさんの胸に飛び込んだ……びしょ濡れのまま、水の雫をふりまいて。ローシャさんはあんまり歓迎してなさそうな表情を浮かべつつ、でも彼女を宥めるようにその肩をそっと抱いた。
『ひどいのようちの旦那! 浮気してるんじゃないのかって探り入れてみたら隠そうとする努力すらしないのよ!! あーもうやだ私も不倫してやるー!!』
『……ってさ、もともとお前のほうがそういうの多いわけじゃん。意味なくね?』
『あたしはいいの、そういうもんなんだから!! でもアイツがやるのは駄目!!』
『はー、さいですか……』
話は痴話喧嘩のように聞こえるのだけれど、でも何かがいろいろとおかしかった。『とりあえずアレの相手はローシャに任せて、朝食を作ろう』というエーディクさんに促され、食卓に料理を並べていく。彼女はローシャさんの隣に座って涙目で何事か訴えていた。……あ、すこし身体が乾いてきたみたい。それでも、座ってる場所はじんわりと濡れているけれど。
彼女は〈ルサールカ〉――水の精霊――だそうだ。……そういえばメモにも書いた気がする。水の精霊は何種類かいるのだけれど、その中でほとんど人間の女性と変わらない姿をしているのが確か、この名前だったはず。人間の男を誘惑する魔性の女……確かにすんごいセクシーなんだけど、ローシャさんのあしらい方が手慣れすぎていて、かえって手玉にとられてるんじゃないかって思う……何て言うのかホスト対応?
相談内容もどうにもアレな話で……日本人のいち庶民としては倫理観がおかしく感じられる。
『そういうわけで浮気しに来たのよ!! しばらく居させてよね!!』
『知るか!! ていうか何で俺?! とっとと帰れ!!』
ローシャさんちょっとそこまで言うのはぞんざい過ぎやしませんか、と声を掛けるのすら躊躇われる、支離滅裂な動機……でもちょっと気になるかも。
「あの、旦那さんってどういう方なんですか?」
はた、とこちらを向いた彼女がまじまじとわたしを見つめる。
『〈ヴォジャノーイ〉って精霊だよ。水の精霊はどいつも根っこがちょいとおかしいから、これと似たりよったり』
呆れ果てた様子のまま朝食をつつくローシャさん。確かにそういう名前の精霊もいた……と思い返すわたしに彼女が興味を惹かれたのだろうか。
『なに? 見ない子ね。それなりに〈力〉がありそうだけど、なんか異質。このへんの人間じゃないの?』
「え……まあ、生まれは遠いところです」
『ふぅん……』
そんなじろじろ見られると気後れするなー、たいして美人でもない顔と起伏に乏しい体型ですから。
『〈ルサールカ〉、何か彼女を見てわかることはあるか?』
それまで黙っていたエーディクさんに話しかけられて、なんでか彼女は片眉をつり上げたのだけれど……
『さあね。あんたより近付きやすいってことくらいかしら』
う、む……精霊との相性ってやつでしょうか。聞いていたローシャさんは肩をすくめるような仕草ののち、残っていたスープを平らげた。




