表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界動物記 ‐あるいは、もう出会えない君たちへ‐  作者: 民間人。
第四・五章 跳躍する小鳥の刃
94/176

跳躍する小鳥の刃 11

「あら、遅かったじゃない」


 フランは僕を見つけると、腕を組んだままで目を細める。傍らには拘束されたサクレの姿があり、僕を見ると途端に表情を曇らせてそっぽを向いた。少々心が痛んだが、僕はフランに近づいた。


「そうかな。それ程遅くはなかったと思うんだけれど……」


「何かしら話してたようね。この子の事かしら?」


 フランはあえてサクレに聞こえる声で訊ねた。サクレがびくりと身を持ち上げる。僕が回答に困り、たじろいでいると、フランは鼻を鳴らして微笑んだ。


「答えないってことは、図星ね」


 僕はフランから視線を逸らす。俯くとサクレの怯えた表情が目に入るため、そっぽを向くような形になってしまった。


「そんな、大した話じゃないよ……」


「処分の話なら、私はこの子の弁護人になるつもりだけど?」


 彼女はそう言って目を細める。その表情から、その言葉はあくまで冗談である、と言うのが感じ取れる。サクレに視線を送ると、フランの裾をしっかりと握って僕を睨んでいた。


「余程仲良くなったみたいだね、良かった」


 僕は逃げるように港に視線をずらす。フランは楽しそうにくつくつと笑い、サクレの頭を撫でる。再度警笛の音が鳴り響くと、ふすぅっ、という音と共に煙突から蒸気が昇り始めた。


 甲板から歓声が上がる。舷梯を外された船は大きな音を立てながら錨を持ち上げ、巨大な雲を立ち昇らせていく。ゆっくりと港から離れる蒸気船に向けて、港の一同は帽子を振って見せた。


 蒸気船。鉄製でありながら、海上を浮かぶ堅牢な要塞。轟音を上げながら煙を立ち上げて旋回する姿はまさしく海上の怪物であり、広い甲板もガレオンなどとは比べ物にならない圧倒的な存在感がある。砲口の数は従来のそれらの倍近く、客船とは思えない威圧感がある。その一方で、思いのほか速度は出ないらしく、一定の速度を保ちながら旋回し、北東へと向かい始める。甲板から帽子を振る手が徐々に遠ざかっていくのを見ながら、黄色い煙を立ち上げるケヒルシュタインが遠ざかっていく。


 歓声を上げて陸を見る人々が徐々に船室に戻り始める中、群衆の中から突然悲鳴が上がった。階段を塞ぐ人の波の中で周囲を見渡すと、一人の女性が何者かによってスカートを引っ張られているらしかった。痴漢かと思った矢先、彼女のスカートを引っ張る何かが手を離し、彼女は転倒してしまう。僕の周囲の人々がどよめく中、状況を掴めないままで詰まる階段へ向かう人の波だけが流れていく。徐々に数を減らしていく中でも、簡単には彼女を襲った正体は見つからない。続けて船主側から悲鳴が上がる。今度は年端も行かない少女の声だ。僕は人混みを掻き分けて、悲鳴の正体を探る。紳士たちの刺すような視線を背中に受けながら船首に近づくと、晴れ上がる人の波から女性を啄む巨大な鳥の影が現れた。


 巨大で曲がった鋭い嘴、鋭い眼光と人の身長ほどもある翼長、赤褐色の冠のような冠羽、そして、鋭い鉤爪。間違いない、アドラークレストだ。

 周囲をむわりとした熱気が立ちこめる。頭を何度もつつかれた女性は腕で抵抗するが、鋭い嘴で突かれた跡は青痣となっている。周囲の人々はそれを避けるように見て見ぬふりをして立ち去る。水兵は階段前の混雑の為に近寄ることも許されない。

 アドラークレストは獲物を得るために、「弱い」人間を襲う事がある。成人女性を襲ったという例はほとんど聞いたことがないが、衰弱した子供‐丁度ゲンテンブルクでみたような‐を襲う例は確かにある。ハンザ地方最大の捕食者、空の覇者アドラークレストは、人間にとっても脅威となるのだ。そして、今の僕には彼女を救う手段がなかった。


「エル……」


 言いかけて、言葉を詰まらせる。エルヴィンはいない。見回しても、当然ルプスもいない。傭兵団員の姿も見られない、或いはもう引き揚げてしまったのか。僕は拳を握る。このまま見ているしかないのか?


 まだだ、僕はポケットの中に手を突っ込む。何かないか、アドラークレストを引き離す何かは。僕の手元にあるものは、ポケットの中のメモ帳、首に提げたインク壺、そして、碌に使えもしない護身用の石器のナイフだけだった。僕は咄嗟にナイフに手をかける。

 何者かが、その手を払った。僕が振り向くと、フランが険しい表情で首を振る。僕は強引にその手を払った。


「あのままじゃあ、大怪我してしまうよ!」


「じゃあ、貴方に何ができるの?」


 フランはそう怒鳴る。アドラークレストの猛攻に、女性は手を振り回して抵抗するしかない。周囲には傷付きたくない人々がいるばかりで、誰も助けようとはしない。


 確かにそうだ。僕が出ていったとして、大怪我をする人間が彼女から僕に変わるだけだ。フランは何度も僕の手を掴む。僕は何度もそれを払った。


「いい加減にして!アドラークレストは蒸気船がある程度陸から離れれば自然と諦めるわ!それまで我慢しなさい!」


「手遅れになったら遅いんだよっ……!」


 僕はフランの胸ぐらをつかんだ。女性の助けを呼ぶ声が響く。水兵たちはまだ来ない。いや、この人混みの中では掻き分けて進むこともままならない。ならば、動ける人が動くしかない。


「もう痣だらけなんだよ!あのまま放っておいて、大怪我して、それを見ていられるほど、僕は強くないんだよ!」


 叫び声と共に、アドラークレストの獲物が変わった。熱気が周囲に立ちこめる。気流が生まれてアドラークレストが飛び立つと、ぴぃ、と言う甲高い鳴き声が響き渡った。

 女性が身を起こす。僕が駆けよろうとすると、やはりフランが袖を引く。アドラークレストは旋回しながら、徐々に速度を上げて高度を下ろしていく。


 そして、アドラークレストは僕の頭上で一気に急降下をした。狙いは僕か、そう思い身構えた矢先に、僕の真横をアドラークレストが通り過ぎる。


「きゃぁ!」


 フランが腕に受けた衝撃に尻餅をつく。彼女の腕に付けられた拘束具の先を見れば、アドラークレストの方向転換の意図が理解できた。


 考えてみれば、当然の事なのだ。アドラークレストは「弱い獲物」を狙う。この中で一番弱いのは、拘束具を付けられたサクレに他ならない。僕は真横で振るわれる鉤爪と激しい翼のばたつきに身をそらした。

 激しい攻勢と悲鳴に身が竦む。先程までの勢いが嘘のように身がガタガタと震え始める。


「こ、このっ……!」


 僕はナイフを振り回した。アドラークレストはひょいとかわし、僕に鉤爪を突き刺した。右腕に激痛が走る。よろめく僕に対して、アドラークレストは続けざまに鋭い嘴で頭を狙う。僕はそれから身を守る事しかできない。


「……フランッ!宝石かなんか、光るもの!」


 僕が必死に叫ぶと、彼女はすぐさま体中を探り始め、首飾りを引き千切った。僕はそれを拾い、乱暴に海に向けて放り投げる。アドラークレストは一瞬その動きを緩め、首飾りの行く末を追った。

 僕はその隙に体勢を立て直してフランともども集団の所に駆け戻る。アドラークレストが首飾りから視線を戻した時、僕は集団の最後尾に張り付き、情けなく震えていた。


 ぴぃ、と言う甲高い鳴き声が響く。僕は全身に鳥肌が立つのを感じ、兎に角最後尾の紳士に張り付いた。アドラークレストは飛び上がり、自ら作った上昇気流に乗って空高く消えて行った。


「……しぬかとおもった」


 僕もフランも、開口一番にそう呟いた。僕は我に返り、サクレの方を向く。奇跡的にサクレには目立った外傷はなく、フランに引きずられた擦り傷が痛々しい程度だった。


「無事、かな……?」


「全然無事じゃないじゃない……!もう……」


 フランが息も絶え絶えに叫ぶ。水兵たちが僕と襲われた女性を介抱するためにやってきた。僕が張り付いていた紳士は、どうやらずっと僕を見下ろしていたらしく、怪訝そうに眉を顰めながら杖をつく。水兵たちが駆けつけて止血を始めると、紳士は責任者を呼び始める。


「お前達は客の一人も助けられず、鷲一匹も撃ち落とせんのか!」そう言った趣旨の批判を延々と続けながら、治療を受ける僕のすぐ横の床をトントンと叩いている。


「……すいませんでした」


 僕は治療を施す水兵に謝罪する。水兵は僕に何度も頭を下げ、傷口の消毒や止血を完璧にこなしてくれた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ