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黒と白の境界 9

 がたがたと荷車が揺れる。一頭立ての安物の馬車はノースタットの街並みを抜け、ホクホク顔の行商人は関所の列に並ぶ。片手には肉を挟んだ柔らかいパンを持ち、終始軽く頭を揺らしている。

 外は快晴であり、青空を飛び回る虹色の羽のハトは、彼の旅立ちを祝福するようであった。

 蔦を張り巡らせた古い城壁は度々修繕された跡があり、異教徒との戦いの激しさを物語っている。聳える城壁のため、むき出しの操縦席も日陰に隠れてしまい、温い風の助けもあって、太陽の熱を遮るのに一役買っている。頭髪の後退した馬面の行商人にとっては大層ありがたい事であり、念入りに手入れされた後退した頭髪も、光を反射することはない。


 彼の順番になると、馬車はゆっくりと前進する。彼は鼻歌をやめ、胸ポケットから通行許可証を取り出した。

 行儀よく足を揃えて立ち止まった馬の背を覗き込むようにしながら、兵士は彼に険しい表情を向ける。


「現在は所用で厳戒態勢を布いている。中身を確認させていただいてもよろしいか?」


 チェック用の用紙を持つ兵士が眉を持ち上げると、彼は陽気な笑みを返した。用紙を持った兵士が荷車の中へと入っていく。荷台の中身は流線形をしたエストーラの鎧や武器の数々であり、いずれも良質なものが選ばれていた。

 兵士達は鎧の数を数え、更に奥の鎧までしっかりと監視する。鎧には特に変わった様子はなく、兵士は普段通り荷物の一割を回収した。


「どうですか、変なものはありましたか?」


 商人はへらへらと笑いながら訊ねる。兵士は首を横に振り、徴集済みのチェックを記すと、彼に通行証を返した。


「ご協力感謝する。神の御加護が在らんことを」


 兵士は定型文を答える。商人は恭しく礼を返し、鞭をうった。馬はゆっくりと歩き始める。その手際のよい流れを遮るものはなく、関所には新たな馬車が入場していた。



「あい、もう大丈夫ですよ」


 彼の合図を受け、僕は鎧の中から頭を出す。

 僕の入っていた鎧は中央やや奥よりの場所にあり、関所では最も兵士が警戒を弱める場所であった。僕の体は鎧に対して二回りほど小さく、顎を引き、足を畳むことによって、兜から覗くはずの目を隠すことが出来た。

 体の殆どを折り曲げた状態のまま息を潜めていたので、非常に窮屈ではあったものの、呼吸をするにも窮屈であったために、却って兵士達から身を隠すことが容易だったと言えるかもしれない。

 僕はプレート部分だけを腹に纏ったまま、ゆっくりと鎧の中から足を出す。貴重な商品たちを傷付けないように這い出すと、鎧同士の隙間から、微かに生い茂る草木の匂いが風に乗って漂ってきた。


「大丈夫ですか、坊ちゃん。お怪我は?」


「ありません。すいませんでした」


 僕がそう答え、鎧の隙間を縫い、御者台から顔を覗かせると、彼はからからと笑いながら答えた。


「なぁに。使える者は使う。それが私の流儀ですから」


 一瞬顔を顰める。彼の言葉が、僕を商材のように扱っているように思えたためだ。一拍置いて、彼はきまりが悪そうに咳払いをする。


「なあに、高貴な人を助けたという箔を押した役得と言うものです。やましいことは御座いません」


 僕は俯く。彼の言葉には若干の齟齬が感じられたためだ。

 確かに僕は高貴な生まれではあったが、これからは何もかもが与えられない、何の信用もない浮浪者に落ちぶれるのだ。彼の言うとおりの役得を、彼は得られない。


「……すいません」


「こういう時は『ありがとう』ですよ。坊ちゃん」


 彼は御者台の下までよく響く声で笑う。僕は再び謝罪をしかけ、口を噤む。深呼吸をすると、土や草のにおい、更に独特の鉄臭さが感じられる。僕は静かに頭を下げた。


「有難うございました」


「お安い御用ですよ、坊ちゃん。疲れたら休憩しますから、暫くのんびりしていてくださいね」


 僕は彼の言葉を受け、鎧を脱ぐことから始めた。プレートはブカブカなので、難なくすり抜けることが出来る。

 鎧を整え、荷台から外を見た。

 草原を撥ねるように動く、土色の毛を持つ耳の長い生物が草むらから顔を覗かせた。


「野ウサギ?ヤト?」


 僕はその生物を凝視する。特徴的な長い耳、つぶらな瞳と愛らしい鼻の動き、それに似合わない筋肉のある太い足、いずれも、二種を特徴づけるものである。

 二種の特徴と言えば、外観上では鼻だろう。両種共に鼻をひくひくと動かす点は共通しているが、ヤトは若干鼻孔が広い。僕は目を凝らす。恐らくヤトであろうことが分かった。

 もっとも、二種には外観上よりも、更にわかりやすい特徴がある。それは、ヤトは魔法が使えるという点だ。


 ヤトのような「生物の中で、魔力を生成する器官があり、恒常的に、あるいは潜在的に魔術を行使する機能が備わっているもの」を魔法生物と呼び、巷では魔物と通称されている。人間も例に漏れず魔物なのだが、人間たちからは、他の魔物とは自然と区別されているようだ。

 魔法の定義などもあるが、魔物には魔法を使える動物ばかりではないと考えると、あまり問題にならないように思う。

 何より、これから進む先には、魔物やその他の魔法生物が入り混じって存在しているため、その区別をいちいちしている暇もないように思える。亡命の為に過酷な道を進むこともあるだろう僕としては、恐ろしい対象か否か以外の区別はあまり必要ないのだ。


 そして、目の前にいるヤトという生物は、畑に穴を掘ってしまう害獣ではあっても、基本的には人間を恐れて逃げていく、亡命中の僕には無害な生物だった。

 手帳を手に取り、その生物をスケッチする。みるみる遠ざかるおどけた生物は、風を切って茂みの中へと消えて行く。


 僕は手帳を膝の上に置き、小さなため息を吐いた。

 分かっている、野生生物なのだから。書きかけの手帳を仕舞う。行商人は僕の手帳の中身を覗き込み、感心したように声を上げた。


「ほぅ、これはお上手……」


 僕は咄嗟に身を引き、手帳を隠す。彼はきょとんとした様子で、僕の目を見た。

 草原がざわつく。砂浜に波が打ち付けるような音が響き、僕の鼓膜を震わせる。馬は真っすぐに道を行く。僕は胸元の手帳を、強く握りしめた。


「あの、ごめんなさい」


「もう少し、見て行きますか」


 彼は僕の顔を覗き込み、微笑む。吹き抜ける風の色は緑色の波となり、音を奪う。一本の大きな木の傍に、先程の個体よりも小ぶりのヤトがいた。僕は、殆ど反射的に頷いた。

今回の魔法生物

ヤト

体長30-50cmの兎型生物であり、その生態も殆ど野兎と同様である。体毛は茶色をしており、天敵から見つかりにくいように変化している。振動に敏感に反応し、少し音を響かせると逃げてしまうため、意外にもその目撃情報は少ない。

 それ故魔法の使用に関する情報も殆ど記録に残っていないものの、私の調査によれば、彼らはかなり頻繁に、風の吹く様に合わせて自身の周囲に風を吹かせる魔法を使用しているようである。

この行動の意味は判然としないが、同じ植物食性のキッチョウアオムシの誤食を避ける目的があると考えられる。また、フォクトネックなどの主要な捕食者は、キッチョウアオムシも捕食するため、彼らを振り落とすことで目立たせ、捕食者からの関心を逃す目的があるのではないかとも考えられる。


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