跳躍する小鳥の刃 6
町は魚の匂いに満たされていた。夕食の仕込みを始めた宿や酒場から、脂の乗った芳ばしい匂いが漏れ出しているためだ。港町であるケヒルシュタインでは、肉よりも魚に親しみがあるのだ。
帰路に着く貴人たちは手に手に北の産物を持ち、満足げに緩めた財布の紐を閉める。
待ちぼうけを食らった傭兵達が伸びをしながら僕達の周りを囲む。僕は彼らの顔色を窺いつつ、フランに訊ねた。
「どうする?一旦合流する?」
「一つ、見ておきたいところがあるの」
フランはそう言って、鉱山の方を見た。
「おいおい、嬢ちゃん。流石に時間がかかりすぎるぜ」
護衛の一人が言う。
「……ごめん、時間とっちゃったもんね……」
僕は頭を下げた。フランは一瞬口を噤んで、溜め込んだ息を吐き出した。
「私が少し回りましょうって言ったんだもの。何で謝るのよ」
何が琴線に触れたのか、彼女は腕を組み、足早にスタスタと市場の出口へと向かっていった。僕は文句を言った護衛と顔を見合わせる。彼は肩を持ち上げて首を傾げて見せた。
「とりあえず、ついて行こう」
フランは既に門の前に待機している。退場の為に行列に並ぶ人々の手前で、髪を弄りながら足元を気にしていた。
市場の秩序も如何にもゲンテンブルクらしい落ち着きようで、賑やかさの中で綺麗な二列並列を作った集団は、小さな声で談笑を交わしている。対照的に背後から賑やかな笑い声が聞こえてくる。
フランは僕達が到着すると視線を前に戻し、小走りで列の最後尾に並ぶ。僕達がそのまま並ぶと、門番が警笛を鳴らした。
「そこの武人と子供、二列で並びなさい」
僕は急ぎ隊列を変更する。それを確認した門番が顔を引っ込める。フランはそれを一瞥しただけで、何も言わなかった。
「おい」
護衛の一人が唐突に低い声を上げる。僕が振り向くと、彼は背の低い少女らしい人間の右手を持ち上げていた。握り潰しそうな勢いだったので、僕は思わず声を上げる。言葉にならない驚愕の声に兵士が反応し、直ぐに僕のもとに駆け付けた。
右手だけで吊るしあげられている少女は小さく呻き声を上げる。次の瞬間に僕の目に飛び込んできたのは、少女が右手に掲げているもの‐それは夕陽の光を鈍く反射していた‐だった。
兵士が駆けつけると、護衛はゆっくり少女を地面に降ろす。
「何事だ?」
「こいつの右手に持っている物を見て下さい。これは、もうナイフ以外には見えませんぜ?」
兵士は手に持ったナイフを確認すると、険しい表情で少女の腕を捻る。地面にナイフの落ちる音が響く。
「フードを取れ」
兵士が少女のフードを払う。
「あっ……」
夕日に照らされた市場は、徐々に群青に染まり始める。仄暗い中で飲食店が賑わい始める。関所に向かう人々は、僕達を通り越して行列を進める。
拘束され、フードを剥された少女に注目する。あどけなさの残るふくよかな頬は、かつて呑気に切り株に座ってお絵描きを楽しんだ少女に似ていた。
「どうして、こんなところに?」
絶望の色と憎しみのような表情を浮かべるその瞳が、僕を見つめる。兵士が拘束を強めながら、僕に視線を送った。
「お知り合いですか?」
「以前、お世話になった村で出会った少女だと思います」
僕は屈み込み、彼女に視線を合わせる。刺すような視線に胸がずきりと痛む。
「何か、あったの?事情を教えて」
「しらばっくれるな!エルド、悪魔め!!」
少女は子供とは思えない恐ろしい剣幕で喚きたてる。周囲にざわめきが起こる。僕は彼女に唾を思いきりかけられ、目を瞑った。
「ごめん、本当に事情が分からないんだ。一体、何があったの?」
恐る恐る片目を開く。彼女は兵士に抵抗しながら、剥き出した歯をぎりぎりと鳴らす。
間違いなく、「何か」を刷り込まれたのだろう。僕はそう確信し、拘束する兵士にそれを解く様に願い出た。兵士は困惑しながらも、その手を緩める。少女は余りに強く抵抗していたので、そのまま地面に尻餅をついた。
「……場所を変えようか」
僕はそう言って、姿勢を戻す。傭兵団員の一人が彼女を担ぎ上げ、抵抗する彼女に何ら動じる事もなく、さっさと出口へ向かった。




