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赤髭の王冠 11

 エルヴィンの部屋は三人が入るには流石に手狭であったため、僕達は霧雨館の客室を借りて一泊することとなった。

 霧雨館は半ば公共の施設であり、多くの人々が往来する為に、必ず巡回の守衛や警備兵がおり、夜間であっても重要な部屋には厳重な警備体制が敷かれている。ライフル銃を手に持った兵士や、斧槍を抱えた兵士がうろつく独特の緊張感は、通常の宮殿よりも際立って見えた。


 夕食はゲンテンブルクの名産品であるイモ料理とヴルスト、肉団子であり、新鮮なサラダやステーキに慣れた僕の舌には少し味付けの濃いものに思えた。エルヴィンはそれらすべてについて自慢げに解説していたが、やはり料理は洗練されたソースと香り立つパンに限るな、などと考えながら、マッシュポテトを頬張っていた。


 夕食の間も霧雨館は静けさに包まれることがなく、書類仕事をしながら食事をする者や、片手にパンを持ったままで頬張りもせずに算盤を弾く者があった。彼らは公会堂の議事録を纏める職員たちだそうで、普段から殆ど不眠不休で働き続けているのだという。霧雨館の高級料理はエストーラの高級料理には彩や繊細な味付けでは見劣りするものの、コーヒーハウスの総本山だけあって、コーヒーは非常にいい香りを立ててくれた。尤も、僕はその香り高さを砂糖で少し濁らせたのだったが。

 こうして会食の席は、滞りなく、スマートに進められた。



「ふぅ……」


 霧雨館の窓を開けて夜風に当たりながら、重苦しく立ちこめる霧の町を眺める。空には一羽のアドラークレストが旋回しながら飛び、月の輝きを独り占めしている。

 夜のゲンテンブルクには朧げなガス灯の明かりと月光が霧に乱反射し、大地を眩く照らす。相変わらず人工的な美しさに阻まれた月光は、キィ、と鳴くアドラークレストの助けを借りて、異質な輝きを放とうと足掻いていた。僕はペンを取り出す。

 アドラークレスト、『王冠鷲』『赤髭王バルバロッサ』の異名を持つ、プロアニアの空の王者である。天空を旋回するように飛ぶアドラークレストは、プロアニア北部ハンザ地方の守護者として、古くより崇められてきた。

 夫婦愛の深い代わりに壮絶な雌争いを行う事、飛行は上昇気流に乗る事で行っていること、時折弱った獲物を横取りする事など、力強さと狡猾さの奇妙な魅力は、光ばかりを見つめようとする鳥獣愛好家の貴族には簡単には見いだせないだろう。

 煤煙を切って飛行する彼らにとって、暖まった煙突の炎は魔力の節約に役立つのかもしれない。ゲンテンブルクのアドラークレストは、実に自由に、エネルギーに満ちた飛行を見せつけた。


「また、絵、かいてるのね」


 フランの落ち着いた声が響く。僕は思わず警戒心をむき出しにして振り返った。普段通り落ち着いた様子のフランは、自嘲気味に笑って見せた。


「……ごめんなさい、失礼なのはわかっていたけれど、今は一人になりたくないの」


「……そうだよね、ごめん」


 僕は力を抜いた。先程は普段通りと言ったが、フランは少ししおらしく思えた。何とか理性を保っているような虚ろな瞳が、夜空を駆るアドラークレストを認めると、申し訳なさそうに眉を持ち上げた。


「邪魔だったわね」


 僕は首を振った。フランは震えた小声で「何でそんなに……」と呟くと、僕の視線に何かを感じ取ったのか、いつもの妖艶な笑みを見せた。


「こっちにおいでよ。気休めにしかならないけど」


 僕はインク壺にペンを浸した。フランは、入り口の前で多少逡巡したが、黙って僕の隣に立った。僕はさり気なく椅子を引き、彼女に座るように勧める。彼女は一瞬ためらったが、僕がこうした気遣いでは退かない事を理解しているため、静かに隣に座った。


 アドラークレストは影となって月の前で踊る。くるくると旋回しながら、工場の群れと群れの間を彷徨っている。静寂のゲンテンブルクは伸びきった両腕でアドラークレストに手を伸ばす。届くことのない王冠に手を伸ばす。リヒャルト・フォン・ルーデンスドルフの姿が重なり、僕の手は止まった。


「止めないで」


 フランは窓の向こうを一身に見つめたまま言った。


「貴方が書くのをやめたら、私はまた一人でいる事に堪えられなくなってしまう」


 フランは一心にアドラークレストを見つめる。それは月光をひたむきに見つめ続けているようにも思えた。工場の群れは、彼女の横顔とも重なった。

 僕の手は、自然と動き始めた。

 アドラークレストは確かに、リヒャルトでは届かない。焼け落ちたアドラー宮は命と同じで、最早同じものとして残るものではない。それでも、今はもうないフランの実家から目を逸らしてはいけない。僕達は、まだ生きているのだから。その手に抱えきれないものを零してしまっただけなのだから。

 僕にだって、崩れそうな肩に手を添えることはできる。差し伸べるには余りにも白くて弱い手で、萎み切った気持ちを支えることが出来る。


「フラン。僕は、ここにいます。君がここからいなくなるまで、君は一人にならない」


 噛み殺された嗚咽が窓の向こうに響く。アドラークレストは旋回しながらゆっくりと、すっかり沈み切った空の彼方へ消えて行った。


アドラークレスト

 体長120cm前後の大型の鳥。アドラークレストを捕食する種はおらず、ハンザ地方では生態系の頂点に君臨する。ベルクートによく似た姿と生態をしているが、頭には冠の様な飾り羽があり、ベルクートよりも一回り大きい。また、より明るい赤褐色の翼を持つ為、「バルバロッサ(赤髭の王)」の異名を持つ。

 頭上の冠の様な飾り羽の用途は不明であるが、雌を呼ぶためのシンボルではないかと考えられる。

 子育ては樹上の巣で行い、ペアと生涯を共にする。産卵は平均して1ペアにつき2-5回であり、繁殖力は低い。非常に子育てに熱心であり、子供の独り立ちまでは、巣に近づく他の動物を激しく攻撃する。

 そのため、雌を巡る争いは非常に激しく、相手が死ぬまで先端の嘴と鋭い足の爪で滅多刺しにする。

 狩りは雄の仕事であり、雄はその冠をはためかせ、空を自在に飛び回る。森に響き渡るアドラークレストの甲高い鳴き声を聞くと、他の生物は一斉に逃げだす。


 魔法は、概ねベルクートと同様であるが、特徴的な魔法として、体温を瞬間的に引き上げ、雪を溶かす魔法を使う。雪の中には獲物の動物が隠れていることが非常に多く、奇襲に失敗した被食者を確実に自身の手に収めるために、雪に隠れた被食者を引き摺り出すための工夫であろう。


 ヒトとのかかわりは、主に狩猟のターゲットにされる。ハンターはアドラークレストを撃ち落とすと確実に剥製にして保存するという程珍重され、高い人気がある。


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