表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/176

川向かいの同胞へ 12

 真夜中にもかかわらず、全く眠気を感じないのは、漂う男達の脂の臭いの為か、あるいは、落ち着きを無くさせる雑多な武器の擦れあう音の為か。僕は何度も寝返りを打ちながら、エルヴィンと男との間をうろうろと動き回っていた。

 フランは特別に動じる様子もなく、静かに寝息を立てている。個人的にはそれはそれでどうか、と思ってしまうのだが、自身の体たらくを見ると、何もいう事が出来ない。

 とはいえ、息を潜める男達のフランに対する視線はやはりかなり気になり、僕は時折咳払いをしては寝返りを打ち、男達の気を逸らすことに努めた。


 要するに、全く心の休まる余裕がない。エルヴィンやフランの呑気な寝息の音が信じられない程、状況は逼迫しているように思われた。僕自身、周囲に警戒心を抱く必要がなかったため、不注意なところがあるのだろうが、フランのそれ、特に男性に対する警戒心の薄さは、稀に度が過ぎると感じる。


 僕はなかなか寝付けないまま、汗臭い深夜の寝室の物音に耳を澄ます。男達の寝返りによって起こる地鳴りや、咳払い、時折フランに視線を送る男達の、小さなため息など、雑多で無遠慮な生活音があちこちで響き渡る。


「……よ……ろ……」


 突然、耳元で、まだ若い男の声が響く。その声が先程僕達の応対をした男の声であることは直ぐに分かった。僕は身を竦め、声の方向に寝返りを打つ。男は僕に背中を向け、少し震えているようだった。


「……そ……ろ……」


 囁くような声は全く聞き取ることが出来なかったものの、それが良い兆候を示すものでないことは容易に判断できた。


 僕は姿勢を伸ばし、小さな欠伸を噛み殺す。男の声はそれきり聞こえなくなったが、背中の震えは彼が目を覚ますまで続いていた。



 朝焼けの茜色は森の中には届かず、薄暗く息を潜めた僕は汗ばんだ服に風を通し、大きな欠伸を漏らす。澄んだ空気は昨晩の汗臭さを浄化してくれるが、苔生した地面とごつごつとした岩肌の薄気味の悪さは、鬱蒼とした森の深い闇と併せて、益々気分を落ち込ませる。


「準備はできたか?行くぞ!」


「おう!団長!」


 昨晩寝食を共にした約半数が馬車を囲い込むようにして整列している。単純に護衛という言葉で表現するには、些か自由な隊列だが、声の太い男達の大胆な返事から生み出される活気は、僕が見馴れた近衛兵達の優れた統率と遜色のない迫力がある。


「それでは、団長、皆様。ご案内宜しくお願いします」


 エルヴィンの言葉に、栗色の髪をした団長は不機嫌そうに鋭い視線を送る。


「……お前は俺達の仲間じゃないだろ」


 エルヴィンは面食らい、中途半端な笑みを残したまま硬直する。森のざわめきに助けられ、団長の声を聞いた如何にも屈強な男が、馬車と団長が跨る馬の間に割り込む。


「お手数をお掛けしますが、団長の事はルプス、とお呼びください」


 割り込んだ男の声は意外にも高く、口調も見た目に反して穏やかなものだった。エルヴィンは気を取り直し、謝罪の意を一杯に込めた表情をする。


「仰る通りだ、失礼いたしました。ルプス様」


 通称ルプスはふん、と鼻を鳴らし、ぷい、と向き直る。彼は背中には体格に似合わない巨大なハルバートと、エストーラでは最新式、プロアニアでは型落ちの小銃を腰に帯び、乱暴に馬を蹴る。馬の甲高い嘶きは森中に響き渡り、周囲の鳥が飛び立つ。

 なんてことを、と思わずにはいられないのは、逃亡者故だろうか。余りにも不注意な出発に、エルヴィンは思わず顔を顰める。


 しかし、ルプスは凄まじい暴れ馬を難なく乗りこなし、件の乱暴な操作でずんずんと進んでいく。前後左右に蛇行する凄まじい速度に、馬車が追い付けるはずもない。狭い森の中を身軽に通っていく騎馬部隊に対し、僕達の乗る馬車は車輪が外れそうなほどのがたつきを擁しながら、何とか追いかける。


 御者台に身を乗り出すと、エルヴィンの表情がみるみる仕事のそれに変わっていくのが分かる。蔦の絡まった木々や、樹洞から顔を覗かせるスキオウロスが残像になるほどの速度で通り過ぎていく。

 僕は荷台の縁にしがみつきながら、その壮絶な速度を体感する。それでも徐々に背後からにじり寄られる感覚に、最早恐怖しか感じられなかった。


 ルプスが突然手綱を持つ手を離し、小銃を引き抜く。安全装置の音とほとんど同時に、弾丸が発射される。重厚な煙が、風を切る馬に煽られて霧消する。背後に迫る軍団も彼に倣い、殆ど反射的に発砲する。それに合わせて、僕が震えあがった狼、或いはラートナーの呻き声が響く。胡散臭い傭兵団は、阿鼻叫喚の中を、速度を衰えさせることもなく、颯爽と駆け抜けていく。


「……うわぁ」


 眼下に広がる血だまりの泥濘を、馬車が踏みにじる。僕は思わず声を漏らし、首を轢かれた狼の死骸を見送った。


「顔出すと死ぬぞ!」


 僕に対して、傭兵が怒鳴る。僕は顔を引っ込め、パニックになるヤトを抱きしめた。


 どれほど時間が経っただろうか、馬車の速度に合わせて動くようになった傭兵団は、雑談を楽しみながらひょっこりと顔を出す猛獣たちを撃ち殺す。野生生物をこうも遠慮なく撃ち殺すというのは、中々みられない光景だ。現に、轍は血の泥濘となり、車輪からは生臭い臭いが漂い始めていた。乾いた血の臭いに、フランは眉を顰めながら鼻をつまむ。エルヴィンもやややつれて見えた。


 しかし、突然ルプスの馬が止まる。示し合わせたようにぴたりと足を止めた軍団は、皆一様に表情を強張らせた。


「お出ましだな、派手にやりすぎたか?」


 ルプスは口の端で笑う。背後の傭兵一人が脳天を撃ち抜かれる。


「お前ら、ちょっと外れるぞ!死ぬなよ!」


 団長は楽しそうに呼びかける。仲間たちも、変わらず楽しそうな掛け声で返す。


「おう!」


 同時に、傭兵団は再び加速して森の中に身を隠した。


 馬車は一切の迷いなく、ルプスの馬を追いかける。そして、傭兵団には目もくれず、追手たちは馬車を追いかけた。しかし、銃声に合わせて、荷台に弾丸が貫通する。数発の弾丸が僕のこめかみを横切ると、フランは凄まじい悲鳴を上げた。僕は鉄板代わりの鎧をかき集め、荷台の縁にバリケードを作る。貫通する弾丸はそれでもあり、鎧に穴が開く音が響き、鉄の焼ける匂いが燻る。


「しつこいんだよ!」


 ルプスは背後を確認せずに発砲する。僕が肝を冷やして頭を隠すと、脳天を撃ち抜かれた追手の一人が落馬した鈍い音が響いた。

 転がる死体は声を上げる間もなく、仲間の馬に引きずられる。


「おいおい、結構タフじゃねぇか!」


「なぁんでそんなに楽しそうなの!!」


 フランが叫ぶ。エルヴィンは一言も言葉を放たず、姿勢を丸めてルプスを追う。


 背後からの銃声に、仲間たちの怒号が響く。彼らは木々の隙間から発砲し、何人かの追手を撃ち殺した。四人ほどの残党は、くるりと方向転換し、森の中へ消える。傭兵団員たちは歓声を上げたが、肝心の護衛対象の馬車は、穴だらけだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ