川向かいの同胞へ 7
‐同刻、ベルクート宮‐
「ふぅ……。くたびれたね」
シーグルスは余裕の表情で呟く。誰一人として、彼の言葉に頷く者はいなかった。
部屋は葬儀場のように静まり返り、誰一人同意する者もいなかった。彼らの額には汗が滲み、唇がぶるぶると震えてさえいた。
議場に集まった人間の数は始めの半数にまで減少していた。将軍、宰相、外務大臣、大蔵大臣、産業大臣が残り、議席を埋めていた。
「反逆者たちは全て絞首台の下で、衆目の下に晒しました。ワインの売れ行きは上々で御座いました」
大蔵大臣は資料を持つ手を震わせながら報告する。卓上のワイングラスが揺れ、音を立てる。シーグルスは大臣を労うように微笑んだ。
将軍は一つ咳払いをすると、手を挙げた。シーグルスの視線が彼に向かう。
「エストーラ領ハングリアにおいて、市長が窓外に投擲された件についてですが……」
「厳罰を。以上だ」
シーグルスは穏やかな口調で答える。将軍は目を泳がせながら、恭しく頭を下げた。
「承知いたしました。逆賊は残らず粛清いたします」
「話し合いが通じないのならば仕方ないよね」
シーグルスの微笑みに対して、一同が苦笑いを浮かべる。冷や汗を滴らせた将軍は、再度深い礼をして、着座した。
「エルドの件はどうなっているのかな?」
シーグルスの視線は宰相に向けられる。彼は震えあがる体を何とか動かして立ち上がり、冷や汗をかきながら微笑む。
「はい、はい。現在、調査中ですが、エーゲンベルト伯が現在探りを入れているところです。暗殺の動きについても報告を受けております」
宰相の言葉に、シーグルスは一瞬険しい表情を浮かべる。宰相は言葉を詰まらせながら、調査の詳細を伝えた。
「エーゲンベルトからの報告は、概ね陛下の予測通りで御座いました。足跡をたどった結果、現在はホスチア付近にいるようです」
粛々と事実を伝える宰相に対し、シーグルスは歯を見せて笑った。
「ほう、それはいいね。彼を速めに見つけ、説得を急ぐように伝えておいてほしい」
「……畏まりました。そのように指示を」
宰相は頭を下げる。シーグルスは微笑を湛え、穏やかな口調で答えた。
「ありがとう。ねぇ、皆、もう少し、砕けた感じでもいいんだよ?」
「お、恐れ多いです。我々は陛下の部下なのです。お心配りは大変有難いのですが……」
産業大臣が答える。薄暗い議場を照らす蝋燭の炎は揺らぎながら一同の手元を照らし、詳細な資料が纏められた資料だけを浮かび上がらせる。真っ白なテーブルクロスを真っ赤に染めた炎越しに、大臣達は薄ら笑いを浮かべるシーグルスの姿を認めた。
「そうか、君たちは、そう言う距離感が心地いいんだね……」
議場が沈黙に支配される。ガタガタと歯を合わせる音が響き渡り、冷や汗が茜色に照らし出される。シーグルスは唸り声を上げると、吹っ切れたような笑みを浮かべた。
「じゃあ、仕方ないね。君たちは優秀だから、信頼しているよ」
宰相がえずき始める。将軍は目を泳がせながら、小さく息を漏らす。硝子製のベルクートの瞳が蝋燭の灯りを反射して輝く。
シーグルスは沈黙を確認すると、満足げに頷き、立ち上がった。その瞬間大臣達は肩をびくつかせる。シーグルスは微笑んだままでゆっくりと議席を回り始める。背後を取られた大臣は決まって震えあがり、誰一人として声を発しない。唯一ポーカーフェイスを決め込もうとしている将軍だけが、微かな汗を滴らせるまでに保っていた。
「さて、今日はもういいだろう?そろそろ『外交』も進めて行かないとね……」
外務大臣を残して、全員が立ち上がる。シーグルスに対して恭しい礼をすると、彼らはそそくさと立ち去っていった。
二人が取り残された部屋に、扉の閉じる厳かな音が響く。外務大臣は冷や汗をかきながら、中空に目を泳がせる。
丁寧に埃を払われた後の議場には、炎の光を遮るものはない。外務大臣が目を泳がせていると、茜色の中に浮かび上がる微笑は、猟奇的な犬歯を微かに見せている。
「……あの、陛下。何か?」
彼の張り裂けんばかりの心臓を止めたのは、背後に突然現れたシーグルスだった。目前から姿を消した彼の主人は、背後から彼の耳元に顔を近づける。
「王冠の進捗はどうかな?」
「その、あの……失敗です」
外務大臣はたじろぎながら言う。シーグルスは柔和な笑みを浮かべたまま、耳元に吐息がかかる程口を近づける。
「残念だね。いっぺんに処分できるかと思ったんだけど……。原因は?」
「……その……実際は、表面上は『殺した』ことになっているようなのですが。亡骸が確認されていない、火刑に処される前に射殺され、衆目に晒されていない、エーゲンベルト伯爵からの報告、諜報員からの情報によると、エルド様だけでなく、フランチェスカと二名とも生存している疑いが強いです」
シーグルスは静かに頷くと、ゆっくりと腰を戻し、後に手を回して玉座に歩く。その後姿を確かめ、大臣は苦しそうに唾を飲み込む。
「……アドラー宮ごと焼こうか」
「い、いけません!陛下!リスクが高すぎます!」
「……そうだね。リスクは高いだろう。それを何とかするのが君の仕事だ」
大臣の目が泳ぐ。彼の瞳孔が開き、ガタガタと震えあがる。
シーグルスは目を細め、「返事は?」と顔を突き出す。大臣は恐る恐る首を縦に振った。
「よろしい」
シーグルスは屈託のない笑顔を彼に向ける。大臣が引き攣った笑みを何とか返すと、シーグルスはゆっくりと退室した。
「悪魔……悪魔……」
大臣は声を震わせながら目を見開き、張り付いた笑みのままでぶつぶつと呟き続けた。




