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異世界動物記 ‐あるいは、もう出会えない君たちへ‐  作者: 民間人。
第二章 魔女の呻きはキィキィと
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魔女の呻きはキィキィと 17

今回は、若干グロテスクな表現がございます。苦手な方は読み飛ばしていただくことをお勧めします。

 翌朝、朝食を食べ終えた僕は、早速近づいてくるフランチェスカに手を引かれるまま、彼女の父の部屋へと向かった。

 彼女は貴族らしく廊下を走ることは無く、昨夜に見せたような妖しい微笑も見せることはなかった。ただの、僕の見馴れた宮廷の女性らしい振舞いだった。

 屋敷の当主の書斎は、比較的質素なものだった。扉はニスが塗られた濃い焦げ茶色をしており、装飾などもない非常にシンプルなものだ。フランチェスカがノックをすると、覗き穴からリヒャルトがのぞき込み、かなり手際よく扉を開けた。その素早さが、愛娘が訪れた父親の心境をよく表していた。

 

「おぉ、フランチェスカか。訪ねてくるとは珍しいな」

 

 リヒャルトは目を細めて独特のニヤつき方をする。気を緩め切った肩はよく見ればなで肩だった。彼は、公式の場での立ち振る舞いに非常に気を遣っているらしい。

 

「お父様、エルド様に町を案内してもよろしいでしょうか?」

 

「おぉ、そうか。そうだね。よし、馬車を寄越そう」

 

「お父様、お気遣いはありがたいのですが、私達二人でも行けますよ」

 

 父は少し残念そうに眉を顰め、肩を落とした。フランチェスカは静かに首を垂れ、もじもじしながら言った。

 

「勿論、お父様の提案はとても嬉しいのです。でも……」

 

「しかし二人きりとなるとやはり不安だ、誰か大人を付けようか……」

 

 父親としてもっともな心配だろう。さらに、跡継ぎ候補もついているのだから、慎重すぎるほど慎重な方がいいのは間違いない。僕は後ろから身を乗り出した。

 

「ならばエルヴィンはいかがでしょうか。僕の見立てでは、信頼に足る大人です」

 

「おぉ、そうか。では、頼んでおこう。昼食は屋敷でとり、暮れまでには帰るように」

 

 僕とフランチェスカは、殆ど同じように、最敬礼をする。

 

「はい、お父様。有難う御座います」

 

 リヒャルトは満足そうに何度も頷いた。そして、彼は背後に待つ仕事の山を一瞥し、少し残念そうに言う。

 

「ではー……。私は、仕事に戻るからね」

 

 彼はそう言うと、名残惜しそうにフランチェスカを見つめながら、扉を閉ざした。

 フランチェスカはしたり顔で僕を見る。使用人がいない事も確認済みらしく、彼女はスタスタと歩き去ってしまった。

 

 取り残された僕は、つい溜息を零す。誰が聞くでもない空気の振動は、僕の口の中だけをじんわりと温めた。

 


「さて、行きましょうか」

 

 フランチェスカは豪華さとは無縁の使用人用の服を着て現れた。僕が驚きと戸惑いを感じたのは当然だが、それ以上の衝撃を受けたのはエルヴィンだったようだ。

 煌びやかな装飾もなく、スカートですらない。メルヒェンで出会った厩で読書をする少年と殆ど変わりなく、目深に被ったキャスケットは、無理に入れられた髪の毛の為に酷く膨らんで見えた。一応は女性用の物らしく、ズボンの裾とシャツの袖はいずれも少し丈が短く、少しだけ肌が露出している。

 

 愕然とする二人に対し、彼女は冷静にこう言い放った。

 

「何をしているの?案内するのだから、動きやすい方がいいでしょう?」

 

「いや、案内するというのは、まさかとは思いますが、その……」

 

 エルヴィンは何かを察したらしく、非常に聞きづらそうに彼女に訊ねる。

 

「えぇ、工場よ」

 

「えっと、何を言っているの、この子は?」

 

 僕はエルヴィンを見上げる。味方になるかどうかも分からない人間に、わざわざ自分たちの技術を晒すなどというのは、余りにも軽率ではないか。いくら政治に疎い僕であっても、簡単に分かる事だ。驚きの余り言葉を失ったエルヴィンは、口を開けたままで僕に視線だけを送る。

 

「さぁ、行きましょう!ホスチアの瞬きが待っているわ」

 

 彼女は普段よりも三割増しの声量を出し、意気揚々と馬車に乗り込んだ。暫く硬直していた二人は、顔を見合わせたまま、互いに首を横に振る。

 彼女が馬車に乗ってしまうと、駐車場がひどく広く感じられた。

 

「……行きましょうか」

 

 エルヴィンは頭を抱える。僕は彼の心労を察しながらも、それを拭い去るだけの言葉を持ち合わせてはいなかった。

 

「う、うん……」

 

 エルヴィンは大きなため息を吐き、首を掻きながら馬車へと向かう。僕はその後ろ姿に一抹の不安も抱きながら、彼を追いかけた。

 

「あら、遅かったじゃないの」

 

 フランチェスカは悪びれる様子もなく、足を組んでいる。僕は彼女の骨盤事情を何となく心配しながら、胃を摩りつつ操縦するエルヴィンの後姿を見ていた。

 

「……君は自由だね」

 

 馬車はゆっくりと動き、少しずつ加速する。浮浪者のようなぼろ布を纏った人々が虚ろな瞳でバラック小屋から現れる。足元のおぼつかない集団は、黙々と看板のない食堂へと進んでいく。その最後列には身なりのいい男が二人おり、左には彼らを繋いだ手錠と縄、右手には鞭を持つ。馬車は豚や鶏が信号の前で彼らと共に待機している様を通り過ぎた。

 

「あれは人間よ」

 

「見れば分かるよ」

 

 僕は馬鹿にされたのかと思い、やや語気を強める。しかし、彼女の視線は窓の先の人々に向かっていた。その瞳は潤んでおり、窓外の曇天でも輝きを反射する。

 言葉通りの意味に解釈してしまった自分に後悔する。交通整備員が通行を指示すると同時に、馬車は彼らから遠ざかっていく。

 

 エストーラの人々は、プロアニアの技術にばかり目が行きがちだ。それが値千金の価値があるという事も、僕達はよく理解している。

 しかし、プロアニアは新技術の開発の為だけに、移民に寛容なわけではないのかもしれない。この光景を見ると、そんな気がして仕方がなかった。

 

 幾つかのバラック小屋を通り過ぎ、やがて大きな広場が見えてくる。エストーラであれば、このような広場には客寄せの声や大道芸人への大喝采があるのだが、しかし、ホスチアは降り注ぐ煤煙に閉ざされた視界の為か、疎らに人を認めるばかりだった。

 広い広場の中央はアドラークレストを中心に据えた天文時計がある。プロアニアのゼンマイ仕掛けと言えば他国に類を見ない高精度のものであるが、いざ中に隠されてしまえば、その性能の良さは、表面の均整が取れた煉瓦の群れに隠されてしまう。

 広場の時計のすぐ横には晒し台がある。煙の異臭に隠されて感じる事は出来ないが、床には滴り落ちた血の跡を見ることが出来た。僕が思わず息を呑むと、フランチェスカが足を組みかえた。

 

「晒し台は初めてなの?」

 

「あるよ、首を切ったこと」

 

 僕は即座に答えた。エストーラは貴族の家系でも群を抜いて慣習を重んじる。騎士はその昔、争いの際に容赦なく相手を殺す練習として、子供に斬首刑を執行させていたという。僕もこの旧来の伝統を受け継ぎ、一度だけ斬首刑を行ったことがある。

 受刑者の罪状は叛逆罪だった。それは異端の烙印を押され続けた聖典派の活動家の一人で、各地で扇動を行い、暴動を誘発させたと言われる危険人物だった。

 僕はそれ以来剣をほとんど持たなくなった。剣の鍛錬の時には城を抜け出して民衆の中に群れ、帰宅と同時にひどく叱責を受けたものだ。帯刀が許される年頃は人によるが、僕が未だに帯刀をしていない原因の一つが、この鍛錬不足に起因することは疑うべくもない。

 斬首刑は、下手な執行人によって行われる場合、不幸なものとなる。近年はギロチンと呼ばれる処刑用具もかなり普及したものだが、エストーラではいまだに、鍛錬を兼ねて斧に頼ることも多い。

 罪人は最後に民衆に神の言葉をまくし立て、唸り声を上げ、拘束具を揺らしながら教会の堕落を訴えた。僕はその声に足が竦んで暫く刑を執行できなかった。

 やがて口と全身を抑えつけられた罪人は、斬首台の上に抑え込まれる。僕は大きな斧を持ったまま、暫く立ちつくした。

 

 その後、執行人用の覆面の中へと聞こえてくるものは、民衆の怒りだった。

 宗教や聖典派への怒りではない。速く処刑を見せろという類のものだ。こぶしを握り、手を振り上げた民衆のコールによって、広場が活気に満たされると、僕の手は震えだした。その時の罪人が囁いた言葉が、未だに耳から離れない。

 

「貴方に罪はない。為すべきことを為しなさい」

 

 僕は斧を強く握った。血走った眼は人々には見えなかっただろう、遂に処刑人が動くぞと期待の眼差しが向けられる。広場は歓声に包まれた。

 震えた手は衆目に晒されていただろう、それでも、僕には止めることが出来なかった。

 斧を振り下ろした瞬間、首の骨が当たる音が響き渡った。僕は何度も斧を振り下ろす。広場に響き渡る歓声と共に、僕の心臓の鼓動が加速する。全身に鳥肌が立つ。動脈が切れて血が吹きだすと、それは黒い執行人の服についた。

 何度斧を振りかざしたかは分からない。しかし、最後には飛び散った血が染みついた執行人の黒装束に、点々と跡を残していた。

 

 息を切らせて周囲を見渡すと、大歓声に混ざって僕に「首を見せろ」とブーイングが飛ぶ。僕は暫く真っ白になった頭の中を整理し、斧を床に放り、彼の首を持ち上げた。同時に、広場の民衆は振る舞われた酒を掲げて飲み干す。歓声はピークに達した。

 そのあとどうなったかは、よく覚えていない。気が付けば、僕はベッドの上に吐瀉物をまき散らしていた。

 血の匂い、肉の断たれる感触、骨の砕ける音。そして何より、衆愚のお祭り騒ぎ。広場の奇妙なほどの一体感は、言葉では表現できないものだ。脳をかき回される感覚に対する恐怖から、僕は剣を振り下ろすことが出来なくなっていた。

 

「そう。なら、平気ね。男の子だものね」

 

 フランチェスカはそう言って晒し台を見る。馬車の速度が先ほどよりも少し速くなった。

 僕は、黙って俯く。僕が唯一、群衆に紛れることを恐れた瞬間は、こびりついた血の匂いと共に霧の中に消えて行った。


今回の要約


フランチェスカに工場へ案内される最中、広場で魔女の晒し台を見つける。

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