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異世界動物記 ‐あるいは、もう出会えない君たちへ‐  作者: 民間人。
第二章 魔女の呻きはキィキィと
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魔女の呻きはキィキィと 14

 人類の叡智の集積と言えば、図書館、教会、大学、そして建築ギルドと相場が決まっている。人間は厳しい環境を開拓することによって自身の有利な環境に変化させ、高度で多様な文化と技術を駆使して、文学、数学、芸術を発展させる。建築ギルドはその中でも、最も実用的かつ総合的な技術の集積であり、文の図書館、大学、教会と比較しても遜色のないほど、様々な建築技術が数学・芸術の両輪を発展させてきた。

 その建築ギルドが最も憧れるのが、宮殿と教会建築への参加だ。

 ホスチアに聳える巨大な宮殿、ルーデンスドルフ家のアドラー宮は、確かに建築ギルドの持つ技術の贅を尽くしたものだった。


 アドラー宮の名は、ホスチアに入城した初代ルーデンスドルフ家当主、ホルスト・フォン・ルーデンスドルフが、異教徒との戦いへの勝利を記念して建立した、アドラークレストの凱旋門にちなんでいる。頭部に生えた赤く逆立った長い毛が王冠を思わせるアドラークレストは、ルーデンスドルフ家の象徴として、そして皇帝位の野心の象徴として解釈されており、ホルストは実際に皇帝位を獲得して見せた。

 待望叶ったホルストだったが、しかし、その王冠を子供に譲ることは叶わなかった。彼の跡継ぎは多くの有力諸侯に疎まれる存在となり、さらに激しさを増す異教徒との戦いに疲弊したルーデンスドルフ家も、容易に御することのできる皇帝スケープゴートを求めた。結局、当時もっとも操作しやすいと考えられていた有力者に、白羽の矢が立てられた。それこそが、僕の先祖である、「寝帽子」の悪名高いエルブレヒト・フォン・エストーラである。

 この男の話を少しだけすると、彼はもとより傍系であり、後継者としては直系と血が離れすぎていたのだが、首尾よく皇帝位についてからは、狡猾と呼ぶべき外交に対する無関心によって、却って周辺諸侯を長期にわたって疲弊させたのである。その結果、彼は、自ら殆ど何もせずに、帝国内の権力を盤石にしたのである。戦わず、種を蒔き、そして花を「摘む」事によって。当然、僕達エストーラ一族と、ルーデンスドルフ一族の確執は相当に大きなものである。


 閑話休題。アドラー宮の情景に戻ろう。アドラー宮は、まず、早速先祖の系図を描いた巨大な「家族の樹」で僕達を出迎える。数々の名君、名将を擁するルーデンスドルフ一族のそれは、その幹から枝分かれした枝葉の先の先まで、精悍な顔つきの後継者たちで埋め尽くされている。

 少し顔を上に向ければ、アドラークレストを模した彼らの紋章が掲げられている。

 よく手入れされて埃一つないフローリングの床はピカピカと輝き、それのみで天井からの照明を反射させている。

 そして、その天井の照明自身も、蝋燭ではなくガス灯であり、ぶら下がったカンテラの中では、黄金と錯視するような眩く黄色い光が輝いている。しかも、それは蝋燭と違い、風に吹かれて明かりがぶれることもないらしい。

 このオレンジの灯りが照らす紋章から飛び出したようなアドラークレスト像の威容は、正しく皇帝の威厳に相応しい屈強さと逞しさを堂々と見せつける。

 そう、アドラー宮は玄関一つにおいても、優れた最先端建築なのである。


 玄関から中央の廊下を直進すると、歴代当主の肖像画が掛けられた「肖像の道」が続く。相当に脚色されたであろう彼らの肖像は、どれも逞しい髭を蓄えた威厳ある中年の当主であり、その丸々とした瞳の光はいずれも寸分違わず僕達を見つめている。


 廊下を直進すると、巨大な二本の支柱に支えられた、分厚い扉が現れる。


「少々お待ちくださいませ」


 案内役はそう言うと、扉を二回ノックし、中からの返事を待つ。男の野太いが弾んだ声が返ってくると、案内役は守衛二人と僕達をその場に残し、中に入っていく。


 如何とも表現しがたい気まずい雰囲気が漂う。守衛は当然無愛想であり、目深に被った兜は益々暗い影を作っている。

 僕が緊張を抑えるために小さく深呼吸をすると、エルヴィンは静かに僕の背中を押す。僕は頷き、社交会に向かう表情を作った。


 扉はゆっくりと開かれる。眩い光が僕の表情を歪ませるのを手伝う。恐る恐る目を開けると、眼前には鏡のように光を反射する白い壁と、大理石の床、そして真っ白な巨大照明に照らされた「光の間」が広がっていた。


 ルーデンスドルフ家の現当主、リヒャルト・フォン・ルーデンスドルフは、その部屋でもっとも光が強い照明の真下に鎮座し、カイゼル髭を自慢げに摩る。髪を中心で分けた癖のない真っ直ぐな金髪は、如何にも貴族らしいキューティクルがあり、ほうれい線はくっきりとしていたが、この照明の中でも、それ以外の皺はそれほど目立たない。目尻に小さな小皺があるが、年相応というにはかなり整った顔立ちと言える。筋肉も適度にあり、中年特有の落ちて太った様子はない。

 そしてこの男の機嫌の良さが、いずこから来るものであるかは容易に予想もできた。エルヴィンは跪いたが、僕は最敬礼をもって彼に対峙した。


「お初にお目にかかります、リヒャルト卿。私は、エルド・フォン・エストーラと申します。」


「これは、これは、ご丁寧に。エルド皇子。私が当主のリヒャルト・フォン・ルーデンドルフです」


 彼は今にも吹き出しそうな含み笑いで答えた。僕は冷静な笑顔を作り、大仰に部屋を見回す。


「ヨシュアの光と称される、白い瞬きをこれ程見事に表現された部屋を、私は見たことがありません。聖なる肉体の中枢に相応しい玉座ですね」


「そうでしょう、そうでしょう。ふふ、いや、しかし、エルド様の住まわれる古風な城の美と言うものも、大変に、素晴らしいものと思いますよ?」


 リヒャルトは嘲笑交じりに言う。僕は首を横に振り、恥じらうように微笑んで見せた。


「階段が高くて非常に不便しております」


 リヒャルトが膝を叩いて笑う。耐えかねて漏れ出した哄笑は、恐らく普段の彼が長らく抑え込んだ感情の爆発なのだろう。一族の勝利を確信した笑い声の甲高さは、ヨシュアの光を模倣するという、挑発的な宮殿の当主に相応しいものだった。

 彼は二、三度咳払いをして、表情を正す。


「失礼、失礼。私も誉れ高き皇帝陛下の一族が、こうして、こう、我が宮殿に、足をお運びになぁるこっとを……っっ」


 やはり笑いが治まらないらしい。確執の根深さについては先に述べたが、これ程馬鹿にされると、流石に不愉快になる。それでも敢えて非難することはかえって状況を悪くするので、僕は努めて平静を装って答えた。


「私も、大変感激しております。こうして王国№2のリヒャルト卿の宮殿に入城できるなど、そうそうある事ではありませんから」


 一瞬で彼の笑いが引っ込んだので、僕は思わず吹き出しそうになる。皇帝一族ともなると、他国からの多くの誹謗・中傷や皮肉にも耐えなければならないが、彼が皇帝になるにはそこを直さなければならないだろう。

 彼は咳払いをして表情を戻し、僕をしっかりと見下ろした。


「……失敬。しかし、皇子が亡命とは一体何事ですかな?私も古くからの縁があってこそ、是非ともと考えたのですが……。」


 要するに、内部事情を知り、僕をどう利用すべきか考えているのだろう。首尾よくいけば、エストーラ一族から皇帝の座を奪取できると考えているらしい。

 もっとも、その点に関して、僕はシーグルス兄さんを侮るべきではないと考えている。


「なに、ちょっとした家族喧嘩ですよ、どこにでもある事です」


 あまり隠匿しすぎると、却って深追いされるので、この程度にとどめておくことが無難だろう。彼はそれを聞き、やはりある程度満足したらしい。カイゼル髭を摩りながら、「ふぅむ……」と唸った。


「確かに家族喧嘩はどこにでもあるもの、私自身、覚えがあります」


「そう、どこにでもある家族喧嘩ですよ」


 僕は答えた。彼はこれだけの情報で、十分僕の事情を理解したらしい。彼自身の経験則からも、こうした「家族喧嘩」は日常的にあったのだろう。僕は薄っすらと笑みを浮かべつつ、彼を見る。


「ならば、その若さでこれ程礼儀作法を弁えるエルド様を、私としては応援したいところです。一先ずは、ごゆっくりとお休みください。夜にはささやかな会食もご用意しております」


 彼は口の先で笑う。僕は深く頭を下げた。


「それはありがたい。私自身、恥ずかしながら旅で疲れ果てております。丁度、エルヴィン卿のように」


 リヒャルトは、すっかり素面に戻った。エルヴィンは長らく跪いたままで動いていない。彼は小さく咳払いをし、勝利の美酒の良くない後味を誤魔化しながら言った。


「……面を上げよ」


 エルヴィンはやっと頭を上げる。僕は少し申し訳なく思いながらも、内心での笑いは抑えられなかった。

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