魔女の呻きはキィキィと 5
階段を上る最中、蝋燭のない灯りと言うものがこれ程明るいのだという事実に目を丸くしていた僕は、きょろきょろと周囲を見回していた。
蝋燭の炎との大きな違いは明かりが限定的な物ではない点だ。この黄色い灯りは部屋中と言えば大げさだが、かなりの部分を照らし出すことに成功しており、読書のために蝋燭を点火させるとよく生じる灯りの揺らぎが比較的少ない。柔らかなこの光はいくらでも楽しむことが出来そうだが、中々そういうわけにもいかない。
というのも、302号室は三階の出口からすぐのところにあり、向かいに301号室、隣に304号室がある。要するに、つやのあるフローリングと明るいランプに目を見張っていると、すぐに目的地に辿り着いてしまうのだ。
僕は名残惜しいような気持ちを抱きながら、歩幅の広いエルヴィンの後ろを速足で歩く。すれ違う人々と軽い会釈を交わしながら302号室に辿り着いた。
三階の廊下も殆ど他の階と変わりなく、殺風景な中に黄色い照明とチェストが定期的に並び、いくつかの部屋にはいくつかのポストが付けられている。302号室にも同様のものが上下に二つあった。
「それでは、今日は遅いですから、手早く寝支度を整えて休みましょうか」
エルヴィンが鍵を開けながら言う。僕は彼の背中に向けて頷いた。
「はい」
「なるほど……」
302号室は飾り気の少ない部屋だった。カーテンは相変わらず不相応に長いが、白い壁に囲まれ、ゆったりとした広い机、ランプの程よい明るさ、二つのベッドと床という、非常に過ごしやすい空間だった。
僕は机の下の引き出しを開ける。引き出しには、聖典が入れられていた。僕は荷物をおろし、久しぶりのそれを開いてみる。
天と地を双子とした神が創生の根幹となしたのは、人間だったという。神は人間と、植物と、獣と、魚と、虫を生み出し、各々がその役割を果たすことを命じたという。植物には、空気を満たす役割を、獣たちには植物を増やしすぎないように、魚には水を動かす役割を、虫には、あらゆる動植物に不快をばらまき懲らしめる役割を、人間には、世界の管理者としての役割を与えたのだという。
かつての僕の生きた世界も、同様のものだったのだろうか。今となっては分からないことだが、もしどの世界の聖典も似たようなものであれば神の事を信じざるを得ないのだろう。
そうした残酷な事実に何となく萎えてしまい、僕は聖典を閉じる。聖典を机の下に仕舞うと、自然と苦しい吐息が漏れた。
聖典の入れられた引き出しの上段には、髪を梳くための櫛が入れられている。特別に高いものではないが、非常に行き届いたサービスと言える。櫛には非常に細かく「持ち出し厳禁」と記されており、このサービスが非常に厄介な問題を抱えているのが分かる。
僕は引き出しを開け終えると、それらを慎重に閉め、改めて周囲を見回す。ベッドの上にある羽毛布団はふかふかと膨らんでおり、綿の偏りもあまりなさそうだ。改めて、エルヴィンが僕を国賓として迎え入れようと考えていると言う意志が伝わった。
……もっとも、それはエルヴィンの事情である。プロアニア王国の総意ではない。僕は緊張感からくる心臓の微かな加速を止めるため、ヤトを抱き上げる。優しい温もりとわさわさとした毛の感触が袖越しに伝わる。次第に心臓が落ち着きを取り戻すと、ヤトがタイミングを見計らったように僕の手から抜け出した。
歩くというよりは飛び跳ねるように、床の上を動き回る。上から見ると綿花が風に吹かれて跳ねているようでもあり、穴を掘りたいのか時折前肢を床にこすりつける。爪を立てていないことから、特に何を言うでもなく観察していると、ヤトはベッドの上に飛び乗ろうとする。
僕が抱えてやり、ベッドの上に乗せると、その場で足を畳み、目を閉じた。
僕もベッドに仰向けに倒れる。自然と深いため息が漏れた。
自然と目に着いた天井の殺風景な様に驚く。
長旅は初めてだ。ラートナーがこれ程恐ろしいものとは知らなかった。これから先はもう少し普通の道を通るのだろう。それでも、野生動物に出会うかもしれない。天敵がいない生物の天敵は常に人間だけだったために、他の動物に向けられる恐怖が身に染みると、緊張感が増す。
「植物にとっては、お前も捕食者だもんな」
ヤトは背中を膨らませ、縮め、寝息を立てる。規則的にその毛玉が動く姿にはつい顔を綻ばせてしまうが、改めて自然と言うものの恐ろしさ、城壁と人混みの安全性を知る。
言いようのない安堵感に身を任せ、僕は茫漠としていく視界を閉ざす。自然と遠のく意識に身を委ねると、驚くほど速く眠りに落ちていった。




