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異世界動物記 ‐あるいは、もう出会えない君たちへ‐  作者: 民間人。
第二章 魔女の呻きはキィキィと
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魔女の呻きはキィキィと 4

 南方交易都市とプロアニアを結ぶ巨大なトンネル地帯の先に、バイアンの町はある。バイアンはプロアニア第三の都市であり、霊峰シュッツモートの麓に座する南方の玄関口である。


「……城壁は厚くて低い。その代わりに至る所に法陣が組まれている……。不思議な感じだ」


「そこに気付くとは……。さすがは王族、若くてもしっかりと勉強しておられる」


 バイアンの城壁は火器から身を守る為に高く積まれたノースタットのそれより幾らか低い。それは、この町が集団の力を発揮しにくい入り組んだトンネルを仕切る無数の城門と、風圧で敵の砲撃を山肌へと吹き飛ばす無数の法陣によって守られている為である。

 分厚い城壁は内側の法陣発動用のトリガーを守る為にあり、赤屋根の家々を守る為のものではない。城壁を崩そうとすれば内部への攻撃は叶わず、内部への攻撃のためには分厚い城壁に守られた法陣を崩さなければならない。

 山岳を駆け下りるにも法陣の解除が必要不可欠であり、巨大な山脈と法陣の相性も抜群に良い。


 また、風圧ではじき返した砲撃は山肌を転がり落ち、城壁の手前にある巨大な濠に落ちる仕組みとなっており、この濠の下には砲弾を回収する為に巨大な吸引口が設けられている。ここから地下にあると言われる鉄器保管所へと送られる仕組みとなっているらしい。

 この砲弾を加工することによって、バイアンの防衛は成り立ち、そのままバイアンの製鉄産業となってプロアニアの財産を潤す。「吝嗇家の王国」とも呼ばれるプロアニアは、こうした徹底的なローコスト化・効率化の為に、魔術不能が人口の殆どを占めるという弱点を補っているのである。


 特徴的な城壁を抜けると、先進技術の多くを生み出したプロアニアにしては旧時代的な白と赤の家々がひしめき合う街並みが広がる。大通りと思しき南北の関所を貫く道は荷馬車の行列で埋め尽くされ、異国情緒あふれるプロアニアの「背広(民族衣装)」の人々が往来する。彼らは背の高くつやのある帽子や、首回りを巻くネクタイなどを身に着けているほか、手に杖をかけたり、パイプを咥えたりしている。

 窓に掛けられた花壇には色とりどりの花々が育てられ、白く味気ない町に一さじの色をさしはさんでいる。山岳地帯にあった深い霧はバイアンにもかかっており、幾つかの製鉄所が高い煙突から濛々と煙を吐き出している。

 煤煙に咳き込む人々はハンカチを口に当てて道を急ぎ、交通整備員の制止を振り切って目的地へと逃げ込む。馬車の急停車に舌打ちをする人は決まって背広を着ており、咳き込んでも速度を変えない人々も同様である。


「バイアンの町は変なにおいがしますね……」


 僕がそう言うと、エルヴィンは無言で自分のポケットからハンカチを取り出し、僕に手渡す。僕は礼を言ってそれを受け取り、口元を抑えた。


 機械的で味気ない町並みは立ちこめる霧と煤煙で隠され、まるで囚人の行列の中にいるような規則的な交通に思わず背筋が伸びる。

 ヤトは霧の中に何らかの瘴気を感じたのか、鼻を動かすのをやめ、耳を畳んで僕の腹と向き合って蹲る。丸い尻尾がピクピクと動く姿は愛らしいが、怯えきった姿を見ていたたまれなくなった僕はヤトの背中を摩って落ち着かせる。ヤトは折りたたんだ体を僕に寄せ、でこを腹に押し付ける。


 馬車は煤煙の町を駆け抜ける。幾つかの十字路を抜け、大通り沿いの宿に馬車を泊めた。よく教育された厩番の少年が先導し、停める位置を指定する。エルヴィンはそこに馬車を止めると、少年にチップを渡す。彼は恭しく頭を下げ、如何にもプロアニア人らしい真面目な表情で控室に戻っていった。

 僕は御者台を下りると、彼の後姿を見届ける。ワイシャツとサスペンダー、スラックスにローファーという落ち着いた服装も、霞みがかったこの町に溶け込むにはちょうど良い。椅子に腰掛け、小説を片手に肘をつく様は、何となく知的にも見えた。


「それでは、行きましょうか」


「はい」


 僕達は、横長で狭い窓を多く持つ落ち着いた雰囲気の宿に向かう。僕の目立つ服装も、エルヴィンの周囲に溶け込んだ服装も、いずれも霧と煤煙の中に消えて行った。



 宿のロビーで真っ先に目に止まるのは、床すれすれまでの長さがある窓とは不釣り合いのカーテンである。締め切られた部屋の中は薄暗い屋外と比べても沈んだ雰囲気が漂い、長いカーテンを開けられていなければ重苦しさに堪えられなくなりそうだった。

 暖炉を囲むように幾つかのソファが置かれている。小さな丸い机を囲むそれらは、吊るされたランプの黄色い灯りに照らされている。


 入り口の目の前にある階段の先は落ち着いた黄色い灯りで照らされており、塗料の塗られた手すりが優雅さを演出する。


 エルヴィンがフロントに近づく。彼が受付のベルを鳴らすと、制服を着たホテルマンが早歩きでやってきた。彼が丁寧な礼を終える前に、エルヴィンは訊ねる。


「お部屋は空いていますか?」


 ホテルマンは爽やかな笑みで答える。


「お二人様ですね?はい。一部屋か二部屋か、いずれをご希望ですか?」


 エルヴィンは僕を見る。僕は肩を持ち上げた。


「どっちでもいいよ」


「では、一部屋で。あ、そうだ、動物は……」


 エルヴィンはヤトを一瞥しながら答える。ホテルマンは「勿論、ペットもご一緒にどうぞ。畏まりました」と答え頭を下げると、先にエルヴィンに受付表を差し出した。


「恐れ入りますが、お名前と人数、および宿泊日数をお書きくださいませ」


 エルヴィンはフロントに三つほど置かれたペン立ての一つからペンを取り、必要事項を記載する。僕はその間手持ち無沙汰に部屋を見回した。


 整頓された明るい部屋、落ち着いた雰囲気、ソファの質の良さなど、国賓級とは言えないが、ホテルの質自体は悪くないように思う。僕の事を意識してこの宿を選んだのであれば、彼は体裁をある程度気にするタイプの人間なのであろう。


 エルヴィンが必要事項を書き込んでいる間に、ホテルマンは部屋の鍵を持ってくる。「302」と書かれた長いアクセサリを付けた鍵だ。

 エルヴィンがペンを置くと、ホテルマンは頭を下げる。


「ご確認いたします。エルヴィン・フォン・ゲンテンブルク様、翌日までのお泊りでよろしかったでしょうか?」


「はい」


 エルヴィンの答えに、ホテルマンは軽い会釈と共に小さく「有難う御座います」と返す。鍵を両手で大切に持ち上げたホテルマンは、これをエルヴィンに手渡しながら、笑顔を見せた。


「一部屋ですと25ペアリス・リーブルになります」


 エルヴィンはプロアニア王の発行する銀貨一枚を差し出した。ホテルマンはそれを確認し、秤でフロントの金庫にある銀貨と重さを測る。重さの確認を終えると、彼は笑顔で返した。

「有難う御座います」


「あと、プロアニア王国外務省名義で領収書も」


「畏まりました」


 ホテルマンは慣れた手つきで領収書を作ると、一度自分で確認し、判を押してエルヴィンに手渡した。エルヴィンはそれを大事そうに財布の中に仕舞う。


「お客様のお部屋は302号室です。どうぞごゆっくりとお休みくださいませ」


 エルヴィンも紳士的な会釈で返す。僕もそれに倣い、少し遅れて顔を下げる。ホテルマンは柔和に微笑み、僕達を見送った。


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