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私は歌う、オオウミガラスと梟を。

 空を覆う汽笛が、兄さんを飲み込んでいったのと同じように、僕達は再び、この黒い蛇の腹の中に乗ることになった。今度はフランと僕と、ジェーンだった。


 城壁の向こう側から、鉄格子を持ち上げてうねる蛇体がホームに停車する。僕は持てるだけの財産全てを持って、エルヴィンやルプス達に見送られる。


「それじゃあ、また」


「えぇ、またお会いしましょう」


僕はエルヴィンに手を振った。最初の彼との別れとは違い、僕の胸は不思議なほど穏やかな幸福に包まれている。僕は一度踵を返し、数歩歩いて、再びエルヴィンのもとに駆け寄った。


「きっと、会えるよね」


「会えるかどうかの約束は出来ませんよ。もうあなたは、プロアニアの人質ではないんです」


「そうだね。じゃあ、元気で」


「えぇ。エルドも」


 僕は彼と握手を交わし、その手でルプスと傭兵団に握手を交わす。


「お世話になりました」


「おう、達者でな」


 ルプスは噛み煙草をしながら微笑む。傭兵団一人一人に握手をし、僕はそれぞれから激励の言葉を受け取った。


 最後に、僕はサクレと向かい合う。彼女は静かに両手を後ろで組み、僕を見上げている。


「私とはもう会わないよね」


「……うん、元気で」


 彼女は屈託のない笑顔で返した。僕は彼女と握手を交わす。その手は何処か冷たく、温度のない言葉と同じほどに心に凍みた。

汽笛が鳴り響く。僕は急いで汽車に乗り込む。顔だけを乗り出して、手を振る彼女達を見つめる。大きな汽笛が再度鳴ると、機関車はゆっくりと動き出した。もくもくと不定形の煤煙を上げる蒸気機関車が、鉄の上を滑る音と共に、ノヴゴロドから遠ざかっていく。

僕はその姿を目に焼き付けようと、必死に身を乗り出した。汽車は城壁を通り抜け、土色の地面が全体を覆いつくす。開かれた鉄格子はやがて閉ざされ、僕の旅の終幕を告げさせた。


 ‐ずっと、ずっとのどかな田舎でよかったの‐


 本当だね。本当に、その通りだ。それはずっと、僕達が望んでいたものだ。そしてやっと、僕は手に入れたんだ。僕は桟を強く握る。


ノヴゴロドの周囲を囲うように、森と、干潟とが広がっている。

 飛び交うハギウチがヴォルエプル湖沼を覆いつくす。

暗い影になった土の色は深く、薄く張った水の上は泥土の深いにおいがした。

 僕はノヴゴロドの低い城壁を見送る。遠ざかり、地平線の彼方まで消えるまでずっと、走馬灯のように記憶全てが蘇った。


 差し伸べた手と、失ってしまった時間とを積み重ね、今を生きる人々の温もりに触れ、揺れ動く時代の渦に足を取られそうになった。

 走馬灯の最期には頭痛がして、件の白昼夢が訪れた。


 果たせなかった思いの全てを、今生にかけよう。そう心に誓ったことを、思い出した。隣にはフランがいる。僕の言葉を待っているのだ。


「フラン」


 僕は彼女の方を見ないで、その手を強く握った。遠ざかっていく景色が、再び涙で滲む。


「何?」


「僕は、あの時果たせなかったことを果たしたいんだ」


 彼女は静かに首を傾げる。激しい風に首が持っていかれそうになっても、僕は構わず遠ざかる景色だけを見つめ、彼女の方を見なかった。


「僕の我儘を聞いてほしい」


 手が強く握り返される。激情に思わず胸が軋んだ。震える唇が、視界を奪う涙が、歓喜の瞬間と絶望の瞬間を交互に見せる。幻のように遠ざかってしまった時間が、再び蘇る事を信じて、僕は強く、その手を握った。


「僕の子供を、産んで下さい」


「やっと、気づいてくれたのね。本当に、鈍感なんだから」


 僕は静かに首を振った。


「気づいていたけど、そうじゃないよ」


 他ならぬ、これは僕の為だ。フランは僕の言葉を待ち、暫くして手を胸元で合わせて目を細める。


「喜んで」


 遠く青空は澄んでいて、針葉樹林の輝きは目に優しい。僕は涙を拭い、それと共に脳裏に浮かぶ白昼夢の情景を消し飛ばした。


 さようなら、大事な君。もうずっと出会いたかったままの、絶対に出会えない誰か。オオウミガラスの物語は、ここで終わってしまうだろう。

だけど、安心してほしいんだ。僕は昔よりずっと、君の事を強く愛しているよ。この出会いをくれた君の事を、忘れたりなんかしない。忘れられるわけがない。

僕は誓うよ。他ならぬ君のために誓う。僕が抱えきれない様な大荷物を背負っても、僕は再び、君と同じ間違いを犯さない事を誓うから。

僕は顔を持ち上げる。さぁ、ここから始めよう。人間ホモ・サピエンスの物語を。



挿絵(By みてみん)

ヒト

学名:Homo sapiens sapiens

 約20万年前から10万年前のアフリカで誕生し、約6万年前に他地域に移動した、現生動物である。

 現状では唯一の直立二足歩行をする哺乳類である。高いコミュニケーション能力や手先の器用さなどが特徴であり、他の霊長類と比較して多産多死であり、尻尾は持たず、体毛が退化している。

 頭部が丸く、大脳が発達している点が特徴的であり、ナックル・ウォークは一般的にせず、また、親指が手のひらと向かい合う。


 最大の特徴は広範な分布であろう。他の生物と比較して、あらゆる地域での生息を可能としており、適応能力が非常に高い。

 しばしば他の生物の絶滅に関与する事もあり、現在では「もっとも繁栄している種」の一つであると解されている。

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