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黒と白の境界 17

 僕は受け取った拙く愛らしい絵を見る。雀のような鳥と猫が、にっこりと微笑みながら並びあっている。背後には燦々と照り付ける太陽が赤い光線を放ち、木々が生い茂る。獣道のような細い道を囲う折れた背の高い雑草から、恐らく山間の道なのであろうと推察される。僕はペンを取り、パースを取りながら下書きをする。


 僕も長い間動物の絵を描き続けてきた一端の絵描きである。拙い絵であろうとも、その描写が何を示しているのかを読み取り、正確に書き直すことなど造作もない事だ。可愛らしいその絵を引き裂くような描写を書くことは憚られたが、それでもあくまで写実的にそれを描く覚悟を持って、心を鬼にしてペンを取る。


 雀のような生き物は実際の雀をもとに、絵に合わせてその輪郭を微調整する。土によく似た色の羽毛も一枚一枚丁寧に絵をかき、正面を向ける。

 小さな鳥の後ろにいる猫は、大きなぶちのある猫であり、にこにこと笑っていたが、敢えて無表情に鳥の背後から飛び掛かるような姿勢を書いた。仲睦まじい様子は排除し、獲物を狙う鋭い眼光と、楽し気に狩りをする姿を描く。仮に生き残る為に彼女を狩っていたのであったとしたら、この猫に罪はないが、それでも、ここに書くべきものはその鋭い眼光であろうと考えた。

 しかし、「戯れる」ように見えるという事は、恐らく傍から見ればじゃれ合っているように見えるという事である。そこで、あくまで鳥にも猫にも必死さや悍ましさを残すことなく、あくまで自然な状態で描こうとした。


 空が白む。目を擦り、大きな欠伸をした。僕は蝋燭一本をぜいたくに使い、その絵をかきあげた。


 ふと小さな木窓開けて外を見ると、既に農夫たちが動き始めていた。農夫たちは犂を用いて土を耕し、或いは、麦穂の中に入ってその世話をしながら、気だるげに白んだ空のあかりを受ける。僕は傍に昨日の少女を見つけ、席を立つ。大切な絵を抱きかかえ、彼女のもとへ向かった。


「ねぇ、君」


 僕の声に、少し眠そうな少女が顔を上げる。半分閉じた目尻には小さな目やにが付き、足をふらつかせながら眠たそうな笑みを浮かべた。


「お兄ちゃん、おはよう」


「うん、おはよう。昨日のお礼、あげるね?」


 僕は昨日の絵を手渡した。少女はそれを見るなり、目を瞬かせながら、感嘆の声を上げた。


「お兄ちゃん上手!凄い、凄い!」


 少女は興奮気味に僕に詰め寄り、嬉しそうに体を揺する。余りにも嬉しそうに笑うので、僕は多少照れくさくなって頭を掻き、思わず顔を綻ばせた。


「ねぇ、お兄ちゃんは妖精さんなの?どうして私の夢を知っているの?」


「僕は妖精さんじゃないよ。でも、君の絵がとっても上手だったから、それをもとにして絵を描いたんだ」


 僕は屈み込み、彼女の頭を撫でる。彼女は照れくさそうに笑う。そうかと思うと、一転して切なそうに目を細めた。


「ありがとう、お兄ちゃん」


 僕はそれがどういった意味であったのか分からなかった。どことなく大人びて見える微笑みは一瞬で、彼女は楽しそうに麦畑の前に駆けていく。僕は立ち上がり、その後姿を追った。

 彼女はスカートをふわりと持ち上げて振り返ると、可愛らしいふっくらとした頬を一杯に持ち上げた。


「お父さんに自慢してくる!」


 僕は呆然と立ち尽くした。彼女は風と共に麦畑を掻き分け、どこかに消えて行った。

 僕は耳を塞ぐ。ノースタットの喧騒とは違った、いじらしいような騒めきと、静かで優しい歓談の声。恐ろしい麩吹きから飛び出す麩をかき集める音や、放牧された動物たちの糞の臭い。集った蠅が僕の前を通り過ぎ、濡れた土のにおいを届ける。

 風車が風を受けて回り、教会の鐘が高く、高く響き渡る。それは天に住まう神々に届いているのか、快晴の空は山間から眩い太陽を覗かせた。

 僕は暫くその光景を見届け、完全な青空が顔を覗かせた後で、踵を返した。



「有難う御座います。お世話になりました」


 エルヴィンは丁寧に頭を下げ、別れの挨拶を交わす。村人と人のよさそうな村長は、同じように首を横に振った。

 村は麦を炒ったようなにおいがほのかに漂い、朝食の支度をする人々が麦粉の調理を始めていることが分かった。潰れた豆などを手土産に積んでもらい、この村の余りの親切さに僕はかえって何か事情があるのではないかと疑ってしまう。エルヴィンは二人と握手を交わし、銀貨、干し肉、護身用のナイフを一つずつ、鎧用のレギンス一着をそれぞれにプレゼントすると、荷馬車に乗りなおした。


「それじゃあ、気を付けて」


 久しぶりの客人に興奮気味の彼らは、名残惜しむように荷馬車を囲い込んでいる。エルヴィンは彼らに笑顔で手を振り、馬車を発車させる。僕は荷台から顔を覗かせ、遠ざかる村を目に焼き付けた。


「お兄ちゃん!絵、大事にするね!!」


 少女が僕に手を振る。僕は落涙を抑えながら、遠ざかる少女に向けて小さく手を振った。

 小さな村はすぐに遠ざかっていく。霞みがかった山の景観に飲み込まれて薄れていく穏やかな光景を、僕は呆然と見届けていた。


 郷愁。もう戻れない時間を思い出す。

 思えば、僕はノースタットの人々に甘えていたのかもしれない。そのツケが回り、ここまで追い立てられたのかもしれない。村で嗅いだ麦の香り高さに、美味いバタールのにおいを思い出す。僕は余りにも、面影を探そうと足掻く癖があるらしい。


「名残惜しいですか?」


 エルヴィンは操縦しながら僕に聞く。僕は俯き、消え入りそうな声で答えた。


「少し……」


「また暫く山道です、難しいかもしれませんが、気持ちを切り替えて下さいね」


 エルヴィンは前を向いたままで穏やかに言った。麦の香りは既に遠くに行き、僕は葉を齧るヤトを抱きかかえ、蹲った。


挿絵(By みてみん)

スチーフンイワサザイ

学名:Xenicus lyalli


 ニュージーランド、スティーヴンス島にかつて生息していた鳥。飛べない鳥の一種であり、スズメの仲間に分類される。

 一匹の猫によって絶滅した、と言われている種だが、実際には複数の野猫が人間によってもたらされたことによって狩られたと考えられており、正確な言われではない。実際に、その猫による狩猟の後にも、幾つかの標本が確認されている。

 絶滅の経緯としては、灯台守の飼い猫が脱走し、この鳥を狩って帰宅したことに端を発する。それが新種であると判断された後には、価値ある標本として本土に送られ、ロスチャイルド家の目に止まったことで、高額で取引がなされた。

 そして、1896年の標本を最後に、確認されなくなった。


 なお、補足説明であるが、野猫はのちに島の環境破壊の原因として嫌悪され、島から駆除されることになる。20世紀中ごろには猫も島から排除したとされている。

 同種の生息域に人間が侵入したという形跡はそれほど多くなく、猫の繁殖が主たる絶滅の原因であると言える。

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