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異世界動物記 ‐あるいは、もう出会えない君たちへ‐  作者: 民間人。
第六章 虹と大空を手に入れて
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虹と大空を手に入れて 42

 ジャバウォックの猛り狂う様を背後に、僕達は兄さんを拘束して町に戻る。高い針葉樹林からは時折雪が零れ落ち、明るみ始める空の青を阻む。そして進む事数時間、僕達はやっと空の高さを思い出したのだった。


 エルヴィンの後ろに乗った僕は、様々な暖かいもの、例えば鉄の中に温かい湯を入れた湯たんぽと言うらしいものや、ライターの細々とした火などにあたって暫く言葉を失くしていたが、光が一気に虹彩を貫くと、目を細め、歓喜の涙を零した。


「エルド、よく頑張りましたね。後は彼らに任せて、私達はこれからの話をしましょう」


「エルヴィン……これまでの話もしよう」


 僕は温かい湯たんぽを強く抱いた。体の芯まで冷え切ったからだが、その温もりを求めていた。エルヴィンは一瞬言葉を失くし、そして微笑んだ。


「えぇ。しましょう。沢山、たくさん、話しましょう」


 それから僕は、声がかれているのも気にせず喋り続けた。ケヒルシュタインで出会った竜の話、サクレに命を狙われたときの事、蒸気船での酷く寒かった経験、ムスコールブルクの人々の温かさと、我儘さ。そして革命の抑止には失敗した事、政権は変わったがそのまま政府の体制は維持されている事、ノヴゴロドでの出来事……どれもこれも、言葉にするととても陳腐なように思えた。


 土色と雪の色が混ざって埋もれた道をずっと進み、穏やかな丘陵や、薄い氷を張った湖に集まる、動物達の穏やかな様。けたたましい鳴き声とは裏腹に、世界は酷く穏やかで、僕の言葉だけが高く、高く響き渡る。


「……しゃべりすぎちゃった」


 心の底から笑った。ずっと張りつめていた心が解け、フランと過ごした楽しかった時間も、エルヴィンと過ごした懐かしい時間も、湖に張る氷よりも輝いて思えた。

 水の上を歩くハギウチが氷の中に首を突っ込む。バタバタと水飛沫が起こり、水中から魚が出てくる。外の冷気に当てられて、魚はすさまじい速度で力を失っていく。


「……エルド、本当に、貴方はよくやったんですよ。きっと皆さまが褒めてくれるに違いありません。お話に出てきた奴隷の少女も、きっと見つかります。神様が、貴方を放っておくことは無い」


「悪魔に認められた魂が、かい?」


 兄さんの声だ。全ての銃口が彼に向けられる。彼は失笑しながら、複雑骨折と臓器が破裂したかと思われる体中の青あざ、肉の飛び出た傷口などをぐったりと荷台につけている。


「兄さん。僕は、貴方に害をなすつもりはなかったんです。ただ、僕は貴方から逃れたかっただけです」


「……すでに害をなしているじゃないか。プロアニアにエストーラの不都合な真実を振りまき、ムスコール大公国での最高のチャンスを失わせた。ここまで人の思いを踏み躙っておいて、何が「害する気がない」だ?笑わせないでくれ」


 兄さんの口から酷い罵倒が出るのは初めて聞いた。兄さんは身を起こす事も出来ず、息も絶え絶えながら、僕に向けて非難の視線を送る。荷台が揺れて呻き声が鳴ると、流石に彼は顔を天井に向けた。


「兄さん。僕が穏やかに暮らすために、兄さんは邪魔でした。これから、一切の干渉をしてこないというのなら、僕はこれ以上の妨害はしません」


「どうだろうね。真相はまだ分からないだろう」


 兄さんはそう言って目を逸らす。僕はこれ以上言葉を交わす事は不要だと、彼から視線を逸らした。


 ノヴゴロドの低い城壁の上では、兵士が雪をおろしている。ムスコールブルクよりは薄い雪の層がばさばさと音を立てて滝のように落ちる。その度に湖沼の渡り鳥達が、羽をばたつかせて飛び立つ。彼らはそのまま干潟に戻ると、再び呑気に水中に視線を下ろして歩く。

「シーグルス陛下。貴方は優れた人かもしれませんが、エルドもまた、優れた人物であると断言しましょう」


「エルヴィン……?」


 エルヴィンは背中を向けたままだ。目的地だけを見つめ、淡々と、抑揚のない言葉を続ける。


「この明暗を分けたのは、まぎれもなく、貴方がそれを怠ったからです。つまり、私達を人間と見なさなかった事……イェンス閣下の名前を憶えていなかった事です」


「へぇ、貴方とは初対面だが、随分と偉そうな口を利くものだね。エルドは確かに優秀だ、それにイェンス閣下も優秀だった。私もまた、一人の人間を尊重しているよ」


「それは違います。貴方は一人の人間という道具を重宝しているに過ぎない。軽々しく、彼らは優秀などと、貴方は言うべきではない。」


 エルヴィンの言葉は冷たかった。兄さんは再び失笑し、そして目を瞑った。暫く沈黙に支配され、やがて、ノヴゴロドの城壁は目前まで迫った。


「さぁ、長旅、お疲れ様でした。そろそろ、これからの事を話しましょう」


 エルヴィンの言葉は明るかったが、その声は酷く後ろ向きだった。


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