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異世界動物記 ‐あるいは、もう出会えない君たちへ‐  作者: 民間人。
第六章 虹と大空を手に入れて
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虹と大空を手に入れて 34

「いやぁ、参ったな。こりゃあ……」


 ルプスは実に冷静な笑みを浮かべながら、周囲に蔓延る魑魅魍魎達を見据えている。傍らで震えるイェンスは、祈りの口上を唱えながら、天高く聳える鐘楼に手を合わせている。


 ルプスは傭兵団員全員を叩き起こし、町の隅々に至るまでこの魑魅魍魎の動向を調べつくし、サクレとイェンスの頼りにならない連中を引き連れて、市壁の防衛に当たる兵士達に声をかけて回っていた。魑魅魍魎はその度に一斉にこちらを見たが、ルプスは全く動じないまま兵士達を急ぎ城壁から引き摺り下ろす。

 警戒心を露わにしながらも、兵士達の行く手を阻む事で手を焼いている暴徒はルプスに向けて舌打ちをした。やんややんやと勧告をする兵士の向こう側を見る反政府勢力の群れと言うものは、彼には実に愉快に映った。

 血相を変えて近づく魑魅魍魎を軽くあしらいながら、手を出そうとする者には小声で罪を耳打ちして回った。伝達をして回った門は全て閉ざされ、兵士達も参事会館の救援に向かう。静まり返った城壁を見上げながら、ルプスは続けて独り言を呟いた。


「こりゃあ、あれだな。護衛任務始まって以来の大仕事だろうな」


「楽しそうね」


 サクレは冷めた視線をルプスに向ける。彼はにやにやしながら「いやぁ?」と返し、無防備にもライターで火を灯し、煙草をふかし始めた。

 脳天を貫くような鮮烈な刺激が失われて久しいルプスにとって、この混沌は確かにそれなりに愉快な見世物ではあった。世界一幸せな国に抗う民衆達の姿は、世界でも有数の閉鎖的国家出身者にとっては実に自由で馬鹿馬鹿しく、微笑ましいものである。

 例えば、彼の無防備を狙って銃口を向ける者が城壁を廻る環状道路にいるのだが、彼が真剣な眼差しで狙いを澄ますのと同じほどに、引き金を引くのを躊躇う様は彼には心地よい。自分の雇い主と同じかそれ以上に純粋な気持ちを保ったままで育てられた若者に向けて、彼はエールを送る気持ちで紙煙草を放った。


「お前らはこういうのにつくづく向いてねぇよなぁ。羨ましいぜ、俺は」


 彼はそう言って意気揚々と歩き出した。サクレはそれに遅れて後に続く。戸惑うイェンスの襟をルプスの手が強引に引っ張ると、その場には非日常の喧騒だけが残った。若者は銃を地面に向けて立ち尽くし、盾で銃を弾きながら暴徒を押し戻す兵士の後姿を呆然と見つめた。


「俺達、そんなに、我儘かな?」


 紙煙草を持ち上げると、くしゃりと歪んだパッケージに鷲の紋章が付いていた。そこには「徴税金込み」との文言が記されているが、この若者にはそれが何を意味するのかも分からないままだった。



 剣を以て剣を制するのは容易い事だ。自分が相手の剣よりも強ければいいのだから。ペンでペンを制するのもまた然り、どれだけ相手を捻りつぶせる美文を書けばよいかは明確だからだ。しかし、剣でペンを折る事は、遂にルプスには出来なかった。羊皮紙よりも固いメモ帳の絵は、彼の心に一抹の郷愁を生み出した。

 それもついに冷めてしまうと、彼は普段と同じように非常に楽観的になり、また快楽主義にもなった。郷愁は心地よい気持ち悪さを生み出してくれたが、彼にとってはそれも今の幸福程は大きなものではなかった。


 傭兵稼業と言うものは、如何に略奪をして稼ぐかの、市民と彼らとの戦いに他ならない。首尾よく稼ぎつくした時には今の命に最高の報酬を授け、その時々の喜びに酔いしれる。またその逆であれば、臍を噛みながら蕪を齧り、酒と煙草で茶を濁す。そうした彼の生き方は多くの人々にとって脅威であって、多くの人々がこの脅威から逃れるために闘いを避けたがるのも又道理であった。


 ノヴゴロドの朝日が昇ると、潮が引く様に町中から暴徒が消えて行く。まるで呪いが解けたかのようにごく自然に、当たり前の日常に戻っていく。ルプスは実に楽観的に、この事態を考えていたし、事実そうなった。しかし、彼の雇い主が何処かに消えてしまった事に気付くと、思わず参事会館の花瓶と言う花瓶を割ってしまいたい衝動にかられた。


 彼がそれに感づいたのは、参事会館から運び込まれる負傷者に自分の主人がいないかを確認しながら悠々と大通りを歩き、参事会館に戻った直後であった。

 朝日が昇り、教会の鐘が鳴ると、兵士達も日常業務に戻りたがって強引に暴徒を壁に押し戻そうとし始める。コボルト奴隷を乗せた馬車が「暴動」のさなかに強引に道を通り過ぎると、牧師然とした者から順番に、この暴動を抜け出していく。それがルプスのねらい目なのだと、彼が頭に顔を叩きこんでいる間に、多くの人々は兵士に押し戻されて銃を落とし、途端に臆病風に吹かれて逃げ帰ってしまった。こうなると兵士達も何もすることが出来ない。彼らはそれを追いかけて出来る限り拘束すると、もろもろの持ち場に戻っていった。


 ひとまず彼の依頼主は死体ではないことに安堵しながら、参事会館へ戻ると、今度はけたたましい叫び声が聞こえた。


「エルド様!エルド様はいらっしゃいますかー!」


 その言葉を聞いて最初に崩れ落ちたのはイェンスだった。突然頭を抱えて震えだし、唸り声を上げて膝から崩れ落ちる。涙が深い灰色に変わるのを見て、ルプスは嫌な予感に胸をざわつかせた。


「おい、これはまずいんじゃないのか?」


「終わりだ、きっとシーグルス帝に攫われたのだ!あぁ、私は今初めて、私の首に関わる大失態を犯したのではないか!?」


「どうするの?心当たりはある?」


 サクレはルプスの手を引く。ルプスは湧き上がる不安感をいつもの微笑で抑えながら、煙草を取り出した。


「こんな時に一服!どうしてそういう事!」


「ちょっと黙ってろ!こいつで落ち着かせてくれ!」


 団員が戻ってくると、ルプスが噛み煙草をしながら参事会館の騒動を眺めてくる様を見て、慌てて彼の指示を仰いだ。彼らは決まってそうしながら集結したので、ルプスは遂に煙草を放り、イェンスを無理やり持ち上げる。


「おい、何か心当たりはねぇか?」


 イェンスは首を横に振る。ルプスはイェンスの首締め上げた。


「何か心当たりはねぇかって聞いてんだろ!」


「とりあえず落ち着いて!」


 サクレの悲鳴のような怒号に、ルプスは「黙れ!」と血管を浮き上がらせながら叫ぶ。心のざわめきがおさまらないままニコチンが行き届き、頭が冷静さを取り戻し始めると、ルプスは途端にイェンスを突き飛ばした。イェンスの短い悲鳴が響く。それと同時に、彼は自分の不甲斐なさを態度で隠すようにして、自分の宿へ逃げ帰った。


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