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異世界動物記 ‐あるいは、もう出会えない君たちへ‐  作者: 民間人。
第六章 虹と大空を手に入れて
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虹と大空を手に入れて 24

「そうだ、エルド。さっきイェンスとかいうのと話したぞ」


「えっ?」


 ルプスは参事会館に入り、開口一番に告げた。フランは静かに眉を吊り上げる。皺を作った眉間がルプスを凝視していた。


「ノヴゴロドの主教と話していたな。あの様子じゃあ、どっちと取るべきかまでは判別できなかったが」


「まずはその報告が先ね。会議室の鍵を貰ってくるわ」


「止めとけ。今日はこいつの部屋で話すぞ」


 ルプスはフランを制止する。声音はやや浮ついていたが、表情は真剣そのものだった。フランは髪をかきあげ、「そうね。それがいいわ」と同意する。僕達は一先ず幾つかの椅子を借り受け、それを部屋に運び込む事にした。



 僕のすっかり息が切れた様を、各々が冷ややかな目で見つめている。


「椅子一個でそこまで息切れするか?普通」


「す、すいません……。ちょっと休みたいかな」


 旅でごつごつとした岩肌を枕にする事には慣れたが、元よりない体力を補いきれるほどの運動はしてこなかったようだ。それでも、前よりは体力がついているのだろうと思うと、僕は余程恵まれた家系で育ったのだろう。


 全員分の椅子を運び終え、それぞれを円卓を囲むように設置すると、快適な休憩室は窮屈な会議室に様変わりした。結局フランと僕は椅子を囲むのを諦め、ベッドに腰かけて話を聞く事にする。読書台を間近に寄せ、インクが飛ばないように細心の注意を払いながら、ペンを壺に浸す。黒いインクがメモ帳の上にすこし滲む程度になったところで、僕は呼吸を整える。


「すいません、お待たせしました」


 厳かに筆を持ち上げると、ルプスは鼻を鳴らして笑う。


「書記官みたいだな」


「元皇子だからね」


 僕はさらりと答える。一先ずは冗談より聞くべき事があるだろう。ルプスは僕の様子をまじまじと観察し、息切れが完全に途切れると同時に、囲まれた透明の円卓を見回しながら話し始めた。


「まず、あいつは主教と何らかの関係があるのだろう。俺にはその辺はよくわからねぇが、小耳に挟んだのは『エルド皇子が教会の近辺を通ったら、イェンス閣下が話したいと言っていたと伝えてくれ』と言う旨の申し出をしていたみたいだな。伝書板をそれぞれ持っていたが、まぁ、それがどの伝書板かまでは俺には分からなかった。その後はきょろきょろしながらコーヒーハウスへ向かったから、恐らくあいつも情報を欲しているんだろう」


「その後、私達を認めてすぐに退店しようとしたところで、ルプスが呼び止めたの」


 サクレが身を乗り出す。ルプスは黙って頷き、煙草に火を点ける。


「あいつは始めは焦ってたが、自分が失言をしそうになるとすぐに引っ込めて虚勢を張り出したぜ。貴族ってのは食えねぇな」


 煙が吐き出される。表現し難い苦い匂いが微かに部屋に充満する。ルプスは勿体ぶるように、黙って煙草をふかし続けた。


「それで?どんな話をしたの?」


「私はシーグルス帝の下から逃げてきた。確かに盗聴器を取り付けたのは私だが、それは彼の下から逃れる口実に過ぎない、とな」


 ルプスは簡潔に説明すると、それ以上の事は言わなかった。ルプスの言い分が正しければ、イェンスは兄さんから逃れてこの町で僕と接触しようと試みたことになる。そして、恐らく彼は、自分の身元が保証されることを期待してこの町に入ったのだと。盗聴器を設置した後で僕と接触しようとしたのは、恐らく自らの手元に盗聴器を持っておくと危険が伴う事を理解したためだ。つまり、彼が声をかけるときと言うのは、この盗聴器で兄さんに自分の意志が筒抜けにならない事が最低限保証されるときだ。

 理にはかなっているが、行動が行動だけに、いまいち信頼感が薄い。

 僕は周囲を見回す。一同がそう思っているらしく、余りにも都合のいいイェンスに対する不信感から、眉を顰めたり、首を傾げて思考を巡らせている。そのまま暫く沈黙が続いた。


「いまいち信用ならないわね。盗聴器を付けている時点で……」


 フランが言うと、全員が小さく頷いた。僕も同じように呟いたが、イェンスへ対する過剰な不信感はなかった。


 彼は昔から、都合のいい人間だったように思うからだ。兄さんのクーデターの件も、恐らく兄さんを絶対に「殺せない」という事実から協力して従う事を決めたのだろうし、そのくせ革命直前まで父さんとの関係は常に良好だった。彼は還俗した父さんの事を真に信頼のおける人物と考えていたからこそ、直前まで父さんとの関係を切らなかったのだろう。そして、それ故に簡単に裏切る事も出来たのだろう。


「……『殺される』と考えたんだね」


 僕の言葉に注目が集まる。僕は一つ咳払いをし、視線を逸らそうとしたが、円卓には嫌でも目線が付きまとう。仕方なく読書台の上に置かれたメモ帳を見つめながら続けた。


「イェンス閣下と言う人物は、兎に角昔から権力に執着するところがある。だけど、彼は生存戦略としてそういう事をする人物で、良くも悪くも忠実なんだ。父さんとの関係は本当に良好だったし、同時に兄さんとの謀も同じように忠実に従ったんだろうと思うよ」


「ますます信用ならねぇな」


 ルプスの発言に反論するように、サクレは冷静に言う。


「どうだろう。逆に言えば、私達と接触してきた時点で、その人はもう味方なんじゃないかな」


 どちらの意見も耳を傾けるべき意見だと思う。兄さんは既に彼の裏切りの兆候を掴んでいる可能性がある。それは、星の秘跡によってノヴゴロドの様子を投影できている可能性があるからだ。

 それでも、盗聴器が有効に機能しない場所を選んで話しかけてきたのだとしたら、一縷の望みに身を委ねた、彼なりの賭けであるとも考えられる。

 イェンスは権力の犬だったが、その本質はより良い、より快適な「生き方」を求めていたのだから、やはり殺されかねない場所に留まりたくなかったのであって、こと「生きる」と言う意味においては、僕の側に着いた方が「安全」と判断してもおかしくはない。その意味では信用できるからこそ、国際問題を避ける目的ではあったものの、あの場で処分しなくてよかったと思った。


「はぁ。この件は保留かぁ?」


 気だるげなルプスに対して首を振る。


「いや、明日、教会に行ってみるよ。ルプス」


「……あぁ、そうかい。背中は任せろ」


 ルプスが不敵に笑う。僕は頷き、フランの方を見る。フランは首を横に振った。


「私の方は、収穫無しね。少し残念だけれど。そちらは?」


「僕は、図書館で調べていた、秘密結社と風車小屋からの救済修道会の関係があるかもしれない、と思う」


 僕は調査結果を簡単に説明する。フランやルプスは、僕の疑いに対して理解を示してくれたのか、説明の際に逐一かぶりを振ってくれた。


「そう、宗教団体である以上は、政府は簡単に手を出せないのね」


 フランは唸り声を上げる。ルプスは煙草を持つ手を軽く振りながら、灰がちになった煙草の先でフランを指し示す。


「逆に言えば、そこを叩ければ無力化できるんじゃねぇか?」


「それはそうだけど……。あ、それもかねて教会に?」


 フランは僕を見る。僕は黙って頷いた。

 フランは暫く沈黙していたが、深い溜息と共に「手際がいいのね」と漏らす。それは皮肉のようにも聞こえたし、称賛のために漏れた溜息のようにも聞こえた。

 その後、ジェーンの報告結果によって凄まじい量の盗聴器を回収したことが発覚し、これが秘密結社の仕掛けたものであるという線はほぼ消えた。サクレはルプスの報告が間違いない事を重ねて報告したうえで、今日の報告会は終了した。

 夜の帳が完全に落ち、外出には報告が必要な時間が近づいたため、罰金を取られないようにルプスとサクレは急いで部屋へ戻る。僕は暫くメモを纏めて、深い満足感と共に小さなため息を吐いた。


「もう寝る?」


 フランがそう言って、ランプの明かりに手をかける。ゼンマイ時計を見たら、既に十時を回っていた。


「そうだね、お休みなさい」


「えぇ、おやすみなさい」


 フランは柔和に微笑むと、部屋の明かりを消し、ベッドに横たわる。ベッドに腰かけていた僕も筆記用具を仕舞うと、衣擦れの音を気にしながら、丁寧に身を委ねた。暫く沈黙していたジェーンはやっと椅子から降り、部屋の片づけをして隅に蹲るように眠り始める。


「明日は教会か……」


 僕が呟くと、真っ暗な部屋の隅でジェーンが寝息を立て始めた。

 今はあれこれ考えても仕方がない、そう思い、ゆっくりと目を閉じた。


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