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異世界動物記 ‐あるいは、もう出会えない君たちへ‐  作者: 民間人。
第六章 虹と大空を手に入れて
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虹と大空を手に入れて 18

 太陽が昇り、市場が開場し、日々の営みが産声を上げる頃、ルプスは奴隷の少女を連れて参事会館にやって来た。今日は縄も手錠も当然なく、彼女の手首には痛々しい結縄痕だけが残っている。ルプスも手をぶらつかせながら、時折胸ポケットを漁る仕草を取るばかりだ。

逃亡の余地もない、護衛の必要もない少女を連れ歩くのは、大層暇なのかもしれない。大きな欠伸が彼の退屈さを物語っていた。

 町の盟主たちはすでに一足早く大会議室に足を運び、ロビーには僕達と受付、警備員、監視官だけだった。奴隷の少女の顔色は出会った時よりは幾らかましになっているようで、彼女自身も自覚し始めたのか、僕やフランを見ると恥ずかしそうに控えめに手を振ってくれた。ルプスは彼女と言葉を交わせないので、半ば強引に連れていく事しかできないが、特別疲れた顔も見せていないので、恐らく抵抗もされなかったのだろう。

 或いは、それが生まれついての奴隷という事なのかもしれない。人間に貴賤の差が無いという虚構に惑わされるのはムスコール大公国の民衆だけで、誰もが出自や才能によってそのあり方を定められているのが普通だ。それに対して、僕達がどうするべきだ、などと騒いだところでどうしようもないのだ。


「気分はどう?よく眠れた?」


 僕は出来る限り気さくに話しかける。ルプスが笑いをこらえているように見えたので、僕は少しだけ彼を睨みつけた。彼はそれに気づいてもなお、口の端を持ち上げたままで僕を見る。


「私、には、勿体ない、ベッドでした」


 彼女は嬉しそうに笑う。黄ばんだ歯が彼女の日常の苛烈さを物語っている。僕は彼女の頭を撫でてみる。防御態勢を取らない辺り、奴隷なりに大事に扱われていたのだろう、とも推察された。

 先ほど貴賤の差がないなどと言ったが、僕はそれを肯定するわけでもない。それが仕方のない物であることは認めざるを得ないが、出来る限り平等に扱う事自体が、嫌なわけでもないのだ。ただ、僕や彼女にはそう言う生き方が出来なかったというだけである。

 

「それは良かったわ。一先ず、ここに座って頂戴」


 フランは柔和に微笑む。少女は席に着くと、足をぶらぶらと動かしながら、フランの顔をまじまじと見つめる。奴隷身分にとっては優しく扱われるという感覚自体が不思議なのかもしれない。


 彼女は小首を傾げ、可愛らしく僕達の指示を待つ。僕は彼女に続いて席に着き、やや前屈みに近づいた。これから指示する事の危険性について考えると、やや躊躇いを感じてしまう。僕はお茶を濁すように、些細な話題から入ることにした。


「今日も寒いね」


「私は、あったかい、です」


 彼女は微笑む。ずきり、と胸が痛む。僕は暫く押し黙る。少女は僕の指示を待っている。ぶらつかせた足が前後に動くたびに、僕の躊躇いは増していった。

 しかし、それ以上に語る言葉も思いつかなかった。


「ねぇ、おめかしに興味はない?」


 フランの言葉に、彼女は首を傾げる。純粋に意味が通じていないのかもしれない。


「貴方はすごくかわいいから、お化粧したらすごくきれいになると思うの。どうかしら、試してみてもいい?」


 そう言うと、彼女はとても威勢良く、「はい!」と声を上げる。それは奴隷が指示を受けるのとは少しだけ違っており、少しだけ安心した。


「そうよね。きっと綺麗になるわ。エルド、お部屋借りてもいいかしら?」


 二人は期待の眼差しを僕に向ける。仮にこれが演技なのだとしたら、フランはやはり劇団員に向いているだろう。僕は頷く。


「う、うん」


「ありがとう、行きましょう」


 フランは膝を払い、スカートを整えながら立ち上がる。その仕草も宮廷人らしい洗練された動きだ。


「ありがとう、ございます、ご主人さま」


 少女はフランよりも丁寧に頭を下げる。僕は後ろめたさの混ざった苦笑いで返した。


 フランは少女と手を繋ぎ、仲睦まじげに僕達の部屋へと向かう。その後姿を追いかけていると、ルプスがニヤリと笑った。


「行かないのか?」


「いやぁ、いくらなんでも……」


「エルド、部屋の鍵持っているの貴方でしょう?」


 フランが僕を呼ぶ。僕は慌てて鍵を取り出し、彼女の後を追った。彼女は鼻を鳴らして笑い、満足げに歩き出す。しかも、僕の鍵を受け取ろうともしない。追いついた僕が何度か背後から呼ぶと、彼女はふぅ、と一息ついて、向き直った。


「貴方もついてきなさい、と言う意味なのだけれど?」


 フランは少女には聞き取れない言葉で言った。少女は不思議そうに首を傾げる。僕もやや当惑して少女とフランを交互に見る。


「えぇ?でも……」


すると、フランは先ほどよりも深く溜め息を吐き、僕の方に手を差し出した。僕が意味も分からず狼狽えていると、フランは小さく「鍵」とだけ言った。僕は慌てて鍵を差し出す。


「いいからついてきて頂戴。こういう時こそ話が捗るのよ」


 彼女は僕から鍵を受け取ると、今度は僕の背中を叩き、部屋へと歩き出す。僕は慌ててその後を追いかけた。終始愉快そうなルプスの笑い声を背中に受けながら、僕達は自室に戻る。二人の女性はとても楽しそうにしており、僕だけが取り残されたような、不思議な心持ちになった。


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