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異世界動物記 ‐あるいは、もう出会えない君たちへ‐  作者: 民間人。
第六章 虹と大空を手に入れて
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虹と大空を手に入れて 7

 ムスコール大公国第三の都市ノヴゴロドは、この国では珍しく豪雪のない地域だという。ムスコール大公国に夏季がないわけではなく、極端に短いだけだというのは良く知られている事だが、常冬の都と呼ばれるように、どうしても漂泊された世界だけが脳裏をよぎってしまう。

 しかし、目の前にあるのは、緑と石畳の上に薄っすらと雪がかかるだけの、ごく普通の城塞都市だった。

 周囲をぐるりと囲む城壁はムスコールブルク程ではないが低めで、機関車が駅に着くまでに、その高さが屋根を覗くことが出来る程度の物であることが確認できた。

 城壁の落とし扉が持ち上げられると、町の雰囲気の違いも明確になった。

 プロアニアの灰色を思わせる、くすんだ古い煉瓦の道、町中を彩る様々な彩色の硝子を嵌められたガス灯、手信号で交通整備をする人は毛皮のコートの代わりにトレンチコートを身に纏い、馬車が行きかう道に轍は無い。玉葱型のドームを擁する建物がこの都市の主教座教会で、それ以外の建物の多くは黒塗りの木造建築だ。

 古来より雷神オリヴィエスを崇拝するムスコール大公国は、古い集落ほど、教会や建築物を低く建てようとする習慣があった。それは落雷を神の怒りと畏怖した彼らの、もっとも古い信仰の跡であり、光の主神ヨシュアと他の神々よりも猛々しいオリヴィエス神を奉ずる為に身を寄せ合った彼らの知恵でもあった。

 それを思うと、ムスコールブルクは歪な都市だった。ムスコールブルクは改築を繰り返して西方世界化したため、様々な文化が入り混じっているが、ノヴゴロドはより、古くからのムスコール大公国に近い都市なのだろう。ノヴゴロドには古くから代々受け継がれた建物が立ち並ぶ、静かで、洗練された雰囲気がある。

 しかし、中身は全くもって進化していないわけでもないのも、この都市の面白い所だ。高価な建物はそのままの形で使われ続けているが、機械化は相当に進んでいるようだ。人々はゲンテンブルクでも見られたような様々な機械‐例えば、走る鉄馬と、水圧で動く全自動紡織機のようなもの‐を用いて、快適な私生活を送っている。硝子越しに見た程度では分からないが、ノヴゴロドの人々は、知識の甘い蜜を存分に吸いながら生活しているらしかった。


「伝承に名高きノヴゴロド、雷鳴とペチコートと神話の都市」


 フランは降り立ってすぐに、突然そうつぶやく。見れば、どうやらパンフレットを読み上げているらしく、それは汽車の中で車掌から購入した物らしかった。

 流石にムスコール大公国も奥地となると彼女の知識では追いかけられないのかもしれない。例えば、ヴォルエプルを知っていて、ではその土地を知っているのか、と問われれば、それは答えられないだろう。エストーラからすれば、プロアニアほど閉鎖的な国は他にないが、文化圏が全く違うわけでもない。そうなると、自然と耳に入ってくる情報もある。ノヴゴロドがそうでない事は、フランの様子を見ても明らかだろう。

 僕は駅のホームを見渡す。長いベンチが疎らに設置され、駅員が降車する人の切符を回収するために待っている。記念に持ち出そうとする者は例外なく兵士の御用になるらしく、武器こそ出さないが強引に手を叩かれて回収される。ムスコールブルク程穏やかではないらしい。

 駅で降りると次の機関車まで半日ほどかかるらしい。


「いやぁ、いい旅が出来ましたぁ!」


 芸人は大きく伸びをする。そう言えば名前を聞いていなかったと気が付く。


「あの、お名前をお伺いしても?」


 芸人は意外そうに顔をきょとんとさせ、直ぐに満面の笑みを作った。


「えぇ、旦那さん。そうですね!俺はトルドリューポフって呼ばれてるんですよ」


「とるど、りゅーぽふ」


 奇妙な名前だ。ムスコール大公国の名前はそう言ったものが結構多い。僕は自分の名前を名乗る。彼は握手の代わりに手に持った楽器の弦を震わせ、音階を順番に弾いて見せた。音階を順に弾くにも感情が現れるのか、彼のそれはいかにも弾んだ様子だった。


「では、また。次の機会にという事で」


「はい。有難うございました」


 僕は彼と握手を交わし、それぞれ真逆の道を進んだ。彼は大衆食堂の立ち並ぶ、大通り外れの脇道へ、僕達は市参事会のある大通りへ。


 ノヴゴロドの外観は黒塗りの木造住宅が立ち並ぶさまだが、大通りには石組みの建物も少なからず存在していた。異国情緒のある玉葱ドームの教会や、大学、そして市参事会の会場である、参事会館だ。

 参事会館の入り口には天秤を掲げるオリエタスと、雷を手に掴み槍のように投げようとするオリヴィエスの二柱が佇んでいる。天秤は理性と平等を、オリヴィエスは祖国への愛と秩序の為の報復を、それぞれ表しているのだろう。参事会員と思しき人物が建物の前で煙草をふかしながらあれこれと語らっているのが窺えた。その身なりは良いが貴族と言う風でもなく、彼らが都市の有力者に過ぎないのだという事は容易に理解できた。


「都市の運営は参事会が行う。参事会の有権者(本節において参事会員)は、以下の者を指す。一、同市参事会が設置されている地を管理・運営する貴族の当主及びその長子又はその代理人、二、聖職者のうち、司教を務める者であって、市参事会より信任された者、三、親方・組合長・商館館長その他これに類する実質的最高経営権者であって、3500金リーブル以上の総所得を持ち、それに応じた所得税を支払っている者」


 フランがつらつらと述べる。ムスコールブルクの法規だろう。参事会に関する法律まで調べていたようだ。


「要するに、都市運営は貴族じゃなくても出来る、という事だね」


「まぁ、この辺りは何処も同じようなものね」


「強いて言えば官僚制度の違いかしら。市参事会も完全な自治と言うわけではないでしょう」


 それはそうだ。市参事会の役割は重要な裁判の裁定であり、城壁に囲まれた都市内部の運営を行う組織だ。国家の要人が決めた法を破るようなことは許されないし、そうでなければ国家としての締め付けが極端に緩い。そんな国は今まで見たことがない。


 僕は深呼吸をする。一先ず彼らに挨拶をしなければ、この都市の調査など出来ようもない。

 意を決して歩き出そうとしたその時だった。

 まさに僕の目の前を通り過ぎたのは、厳つい男と、彼に引き回されるように町中を回るぼろ布の少女だ。


「女奴隷なんかどう売れってんだ……」


 ぶつぶつと男が呟く。思わずそちらに視線を送ると、俯いたままの少女が手錠に括り付けられた縄の結び目をじっと見ている。彼女を取り囲むように歩いていたもう一人の男が、少女の顔を覗き込む。


「唇が青いぜ、こいつ。こりゃもう殺処分かもなぁ」


 思わず瞳孔が開く。僕は向きを変え、男達のもとへと早足で近づく。教会は市場会場の鐘を鳴らす。同時に騒々しい喧噪と共に、肌着のような服の子供や青年や、亜人、特にコボルトなどを立ち並ばせた店舗の幕が上げられる。僕は看板を読み上げる。


「『ムスコール大公国公認奴隷商会 就人会 ノブゴロド支部』……」


 その中に、先程すれ違った青い唇の少女の姿も認められた。


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