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異世界動物記 ‐あるいは、もう出会えない君たちへ‐  作者: 民間人。
第六章 虹と大空を手に入れて
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虹と大空を手に入れて 5

 事情を話す男の言葉は、かなり訛ったムスコール語で、やや聞き取りづらかったが何とか状況は理解できた。


「それは、えっと……。サクレが御迷惑をおかけしました」


 僕はムスコール語で返す。フランは何処からか辞書を取り出し、僕達の会話を追いかけている。僕のゆっくりとした語りはともかく、男の饒舌は流石に追えないだろうと時折視線を送っていると、フランは諦めて小さく溜息を吐いた。肩があからさまに落ちる。男はフランの様子を気にして、やや訛りを気にしながら、ゆっくりと話し始めた。


「いやぁ、申し訳ない。東の生まれでしてね。あんまり西の言葉は話しづらいんですよ」


「分かります、分かります。僕もムスコール語は難しくて、簡単な会話しかできませんね」


 神聖文字で書かれることの多い公文書などならば辞書さえあれば解読できるが、母国語や俗語を完全に把握できるほどの知識は流石にない。エストーラとプロアニアは母国語も同じであり、日常会話にも読書にもさほど難しくなかったが、文化も環境もまるで違うムスコール語の発声などはかなり難しい。辞書も万能ではないので、フランが苦慮するのも仕方ないし、男が西側の言葉を話せないのも仕方ないのである。


 演奏の後にもアンコールも受け、僕の金貨一枚も微増という中々の成果を上げた彼は上機嫌で、少しだけ暖まった僕のポケットマネーから互いにホットミルクを交わし合う。


「それにしても、素晴らしい演奏でした。あれほど楽しいヴォルエプルもなかなかありません」


「いやぁ、俺はどうも楽しく演奏する事しか能がないようでして」


 彼はそう言って頭を掻く。オフモードに入ったらしい彼は再び訛りの強い母国語で答える。彼は続けざまにしみじみと車窓を覗き込む。


「ムスコールブルクはいい国ですねぇ。皆チップを投げて下さる」

「いい人が多いですよね」


 僕は笑顔で返す。彼は楽しそうに頷き、ホットミルクを啜った。


「なぁんで!いいでしょう?」


 サクレに目を向ける。見れば、ルプスが座席から身を乗り出すサクレの袖を引いていた。ルプスは眉間にしわを寄せ、力任せに彼女を拘束する。


「我慢しろって、あぶねぇの!変なやつ連れてくるしよ……」


「まだ奥の方見に行ってないもの!コボルトさんたちとももう少し話がしたいの」


 サクレは頑として聞く耳を持たない。ルプスはサクレを引き上げ、自分の膝の上に押し付ける。サクレが抵抗するたびに、手錠がキンキンと鳴く。それがルプスの顔に当たる。


「だぁぁ、うるせぇ!鬱陶しい!」


「あらあら、楽しそうね」


 騒々しさに顔を綻ばせることが出来る、一等車の人々の余裕綽々とした様子は、他国ではなかなか見られないだろう。僕もつられて笑みを零す。


 雪は徐々に浅くなっていく。芸人は絃を弾き、景気の良い音を片手間に奏でる。浅くなった雪景色の先に、巨大な水溜まりが現れた。


「……湖沼帯だ」


 白銀の世界に唐突に現れた水溜まり。浅く、土の色と雪の色の混ざる濁った水。その上に立つ、大量の鳥の群れ。

 ケー、ケーと鳴く背の高い鳥の名は、チー・チェリオ・フィッシュ、つまり『脚長鳥魚』という奇妙な名前だが、一般的に、『クレン』と呼ばれている。僕が筆を執ると、芸人は目を細めて窓の外を見つめ、感嘆する。


「エンゲヅルたぁ、景気がいいや」


「エンゲヅル?」


「知らないんですかい?エンゲヅル。こっちじゃあ、縁起がいいんですぜ」


「僕達はあれを、チー・チェリオ・フィッシュと呼びます」


 芸人は難しい顔をする。エンゲヅルというのは俗称なのだろうが、聞いたこともない名だ。僕は再度浅い干潟に目を向ける。エンゲヅルと呼ばれた鳥は、長い脚を優雅に動かしながら水をかきあげる。餌を見つけると、嘴を水の中に突っ込み、刺すようにしながら魚を突き上げた。エンゲヅルは飛び散る水飛沫と共に、徐々に力を失っていくばたつく魚を、嘴の上で向きを整える。そしてそれを飲み込むように口に放り込むと、何事もなかったかのように再び水の上を彷徨し始めた。

 そんな鳥が、巨大な干潟の上に大量に存在している……。僕はその光景を絵に納めようと必死に筆を動かすが、余りにも多い鳥の数に追いつくことが出来ない。そうしているうちに、機関車は煙を上げて通り過ぎていく。景色を少しずつずらしていく乗り物に追われ、我を忘れて筆を動かす。


 やがて車内アナウンスが干潟の解説を始めた。

 ヴォルエプル湖沼帯は巨大なヴォルエプル川と、それに沿って雪解け水が形成した湖や沼などを内包する地域である。この干潟はその中でもとりわけ巨大であり、白銀の世界と青の世界の狭間にあるものである。徐々に気候が温暖になり、ノヴゴロドが近づくにつれ、この干潟のような巨大な水溜まりが増えていくのだという。

 ムスコールブルクは海に面した三角州の上にその都心を置く都であり、このような干潟を多く擁するため、もしかしたらエンゲヅルとは以前にも出会っているかもしれない。僕はそんなことを思いながら、案内を聞き、絵を描いた。

 エンゲヅルは兎に角細い。脚は棒のようで背が高く、首も長く、嘴も細長く、肉付きのいい場所は腹と胸だけだ。このような生き物が存在するという事実も興味深いのだが、彼らはある一定の期間だけ、ある一定の地域に生息し、次の季節には別の場所へ移動してしまうという「渡り」を行う生物である。比較的寒い地域に移住するようだが、彼らは沼、湖の浅瀬や、河川干潟、河口干潟など、水が豊富な地域に住む事が多い。寒さの厳しいムスコール大公国の中では比較的温暖な、ノヴゴロドやムスコールブルク周辺の干潟やヴォルエプル湖沼帯に生息するのも、ある意味では当然と言えるかもしれない。


『間もなく、貨物駅・ヴォルエプル湖沼 ヴォルエプル湖沼で御座います。御用の方は、駅員にお申し付けくださいませ』


 肌寒い車内にアナウンスが再び響く。干潟を背景に臨む貨物駅が姿を現した。周囲を気にしてか、やや規模の小さい貨物駅で、小ぢんまりとしたホームに、狼の毛皮製のコートを身に纏った商人達が押し寄せている。彼らの手には自分の装飾具よりもずっと高価な毛皮を詰めた袋があり、真っ赤な顔をして汽車が近づくのを待つ。甲高い汽笛と共にエンゲヅルたちが飛び立つと、商人一同も一気にホームに押し寄せた。

 周囲が騒がしくなる。ムスコールブルクとノヴゴロドという、大都市を繋ぐ駅のうち、最もノヴゴロドに近い駅という事で、それだけ人が多いのだろう。乗降駅と貨物駅を分ける判断は、この人の群れを見た後だと納得がいってしまう。乗車券が買えない駅、などという奇妙なニュアンスのある駅だが、入場券で十分に稼げるならばこれ程いい駅もないだろう。


 車掌が僕達のもとに近づく。僕は彼を呼び止めた。


「すいません。干潟を見てきてもいいでしょうか?」


「構いませんが、駅のホームからは出ないようにお願いいたします」


 車掌はそれだけ述べて、出場券と書かれたものを取り出した。それを僕に差し出すと、「1金リーブルです」と答える。


「えっと……これで大丈夫ですかね?」


 僕は困ってしまった。リーブルによる計算は広く知れ渡っているとはいえ、通常の銅貨では安くても2金リーブルから3金リーブルが多い。ムスコールブルクで流通しているリーブル硬貨は、銅貨で4金リーブルだ。僕が今持っているのはカペル銅貨と呼ばれる西方で広く流通するカペル王国製の銅貨で、概ね5金リーブルである。それよりも安い銅貨を僕は持っていないし、恐らく思いつかない。

 車掌はそれを受け取ると、天秤を取り出し、空中に固定する。恐らく、プロアニアであればこれも機械化しているだろうが、魔術不能が多くないムスコール大公国では、そこまでの必要を持たなかったのかもしれない。車掌は僕の渡した銅貨の柄を確認して置き、重りを二つ取り出し、大体の重さを確認すると、「有難うございます。こちら、お釣りです」と言って鞄から小さい銅貨を取り出した。


「あ、え。有難うございます」


 僕の声が聞こえていないのか、車掌は直ぐに立ち去ってしまう。僕はその小さな銅貨を眺めながら、呆然としていた。芸人が顔を覗かせる。


「四分銅貨ですね、それは。まぁ、ムスコール大公国にいる人らが、計算しづらいからって作った最小の硬貨ですよ。俺の見立てだと、大体1金リーブルくらい?ですかねぇ」


「そうなんですか……。いや、ごめんなさい。なんだかすごく小さかったので」


 僕がそう言うと、隣でフランがくすりと笑う。僕が視線を送ると、「私は知ってたわよ」とだけ言って四分銅貨の一つを手に取った。


 駅舎が近づく。ホームの商人達がその顔までしっかりと視認できるようになる。一等車全体が慌ただしくなる。いよいよ目当ての駅という事なのだろう、彼らは荷物の中から荷受証券をいくつも取り出し、それを整理し始める。大きな汽笛が再度なり、巨躯が唸り声を上げて停車した。


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