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黒と白の境界 13

 僕が目を覚ますと、既に馬車は白んだ谷の中にあった。周囲には薄暗い、鬱蒼とした森があり、いつでも馬車は野生動物の餌食になりうる。僕は飛び起きてエルヴィンのいる御者台によじ登った。


「おはようございます」


「……ちゃんと、寝ました?」


 彼は笑顔で答えた。


「仮眠ならば、三時間ほど」


 僕は硬直した。この男は、移動の為に危険な森の中を突っ切り、更に十分な睡眠もとらずに馬車を操縦しているのか。僕は急ぎ彼に詰め寄った。


「大丈夫ですか?本当に、休んだ方が安全ですよ!」


 僕が手綱を握るその手を引っ張る。エルヴィンは恥ずかしそうに俯き、馬を鞭打つ。馬は唸り声を上げ、速度を上げ始めた。

 僕がバランスを崩すと、彼はすかさず手で受け止める。ガタガタと車輪が石を巻き込む振動で荷台は激しく上下し、ヤトが御者台に飛び出した。

 僕はヤトを受け止め、目を瞑る。激しく動く荷台の中では、鎧がこすれ合い、激しい金属音が鳴り響く。強者が鎬を削る際には、きっとこんな激しい音がするのだろう。無論、僕はヤトが落ちないように抱きしめる事しかできない弱者だが。


「い、一体なんですか!」


「狼の群れがいますねぇ!まきますよ!」


 エルヴィンは更に速度を上げる。僕は目を細めて森の中を見る。森の中に光る瞳が複数見られる。薄暗い森の中に更に目を凝らせば、それが犬のような生き物であることが分かった。僕は目を瞑る。


 爆走する馬車は荷台の鎧を薙ぎ倒しながら一気に速度を上げる。軋む車輪と馬の悲鳴は鎧の崩落する凄まじい音にかき消され、鎧の音と共に、群がる森の中にあった複数の眼光は一気に霧散する。

 馬車は速度を維持したまま小石の散乱する谷を駆け抜ける。

 目まぐるしく変わる「変わらない光景」に、言いようのない恐怖心を抱く。高鳴る心臓の鼓動がヤトに伝わったのか、彼も不安そうに足をばたつかせた。爪もない生物だが、その屈強な脚力に、僕の膝には強い衝撃が伝わる。


「大丈夫だよ、大丈夫だよ」


 僕は縮こまりながら、必死にヤトの腹を撫でる。ヤトには通じるはずのない言葉は、自分を落ち着かせるための物でもあった。


 馬車は、速度を徐々に落とす。やがて常識的な速度になると、馬車は荷台を軋ませながら体勢を立て直す。


 荒い呼吸を整える。あまりの速度を風で感じ、息苦しさに過呼吸になっていた僕は、標準速度にこれまでにない安堵感を感じる。落ち着き始めたヤトを荷台の中に話してやり、ヤトの足蹴りによりひりひりと痛む両腿を摩った。


「……大丈夫ですか?」


「あんまり、大丈夫じゃないですね……」


 エルヴィンが速度を緩めようとする。僕は声を荒げた。


「止めないで!」


 エルヴィンは驚き、目を見開く。僕は全身に立つ鳥肌を抑え込むために蹲った。再度呼吸を整え、震える声で返す。


「近くに狼がいると……怖いので……」


 エルヴィンはきまりが悪そうに前を向き、普段よりも少しだけ速度を速めた。


 谷間を進んでいくと、森が徐々に深まっていく様がよく観察できる。御者台で手帳を開きながら、徐々に緑色が濃くなる山並みを観察する。

 遠くに鳥の囀りが聞こえる。見たこともない常緑樹には、小さな赤い果実が実り、それに群がる灰色の鳥が嘴でそれを啄む。その嘴は、扁平であり、僕が見てきた烏などの嘴と比べると厚みがない。僕は無意識に手帳を開き、その嘴をサラサラと書き込んだ。鳥特有のよく張った胸筋は、激しい翼の動きに合わせて小刻みに動く。しっかりとした首筋は、果実を貪る為に素早く前に突き出される。僕はその速度に目が追い付かないままで、憶測を交えながらその姿を書き留めた。

 馬車の速度が緩んでいることに気付き、僕はエルヴィンを見る。僕がペンをおろすと、馬車はゆっくりと速度を上げ始めた。


「すいません……」


「いえいえ」


 暫く膝に手を置いたまま、沈黙する。暫くして、背の高い大木が目の前に現れる。エルヴィンは僕の方を向き、穏やかな笑みを浮かべた。


「さて、少し休みましょうか」



 僕はヤトを放し、巨木の樹洞の中に身を縮めた。

 エルヴィンは干し肉を齧りながら車輪の点検をしている。僕はヤトが鼻をひくつかせ、草を食む様を眺めていた。


 暫くヤトの様子を眺めていると、僕の足元に小さな影が現れた。僕はそれに気づき、視線をおろす。

 小さな体と、体の大きさほどの太く長いしっぽ、つぶらな瞳と気持ちよさそうな茶色い体毛を持つ、鼠のような生物が口をもぐもぐと動かしていた。


「スキオウロス……」


 直ぐにそれをスケッチする。スキオウロスは樹上生活を中心に、木の実などを主食とする魔物の一種だ。その小さく愛らしい風貌から、僕のお気に入りの動物の一匹でもあった。この魔物は毛皮として重宝されており、中の肉は捨てられてしまうことが多い。

 猟師達はこの生物を狩る為に高い場所に樹洞のある背の高い木を斧で切り倒し、逃げてきた彼らを一気に捕まえる。繁殖力が高く、一つの樹洞に多くの子供と共に住むため、一度に大量のスキオウロスが捕まることが多いのだという。


 僕はその姿をしっかりと描き留め、手帳を仕舞った。スキオウロスは僕に対しては警戒心を抱いていないようで、ちょこちょこと靴の上を這いまわったり、木の実を咀嚼したりしながら、僕の周りを歩き回った。


 エルヴィンが調整した車輪を勢いよく回す。車輪は先ほどの威勢を取り戻した。屈み込んでいたエルヴィンは手を払うと、大きな声で僕を呼んだ。


「そろそろ行きましょうか」


 僕は涼しく気持ちのいい風が通る樹洞の中から出て、ヤトを抱き上げた。徐々に深くなる鬱蒼とした森の片隅で、スキオウロスは落ちた木の実を齧っていた。


 僕が荷台にヤトを乗せると、ヤトは倒れたプレートアーマーに潜り込み、その中に雑草を引き込んでいる。それがヤトの本能的な行動であることに気付き、僕は穏やかな気持ちになった。

 エルヴィンが手綱を握り、馬に指示を出す。馬はゆっくりと加速しながら、荷馬車を引いて地面を蹴り上げる。車輪は嬉しそうに軋みながら、地面に轍を刻み始めた。

今回の魔法生物


スキオウロス

胡桃や団栗を好む、体長20cm-30cmの小柄な魔物である。その生態は栗鼠に近く、樹上での生活を得意とする。果実などの他の生物では取りづらい食料を主食とすることから、対抗種が少なく、繁殖力も高い種である。冬眠に備えて地面に食料をため込む習性があることから、植物にとっては優れた果実運搬者である。この性質が植物の群生に大きな影響を与えており、スエーツに限らず、多くの地方の山林に見られる。

魔法は使用しないとされているが、植物型の魔物を食するために魔力を保管する器官があるようである。一説では、栄養素の不足する冬季に、冬眠中の捕食に対する対抗策として、静電気を盛んに発生させるのが、魔法ではないかと言われている。長い毛が擦れるために生じる単なる静電気であるのか、魔法によって放電しているのかは定かでないが、いずれにしても、相当に優れた防御手段のようである。

ヒトとのかかわりでは、主に毛皮としての人気がある。肉は硬く小ぶりであるため、棄てられてしまうことが多いようである。


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