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異世界動物記 ‐あるいは、もう出会えない君たちへ‐  作者: 民間人。
第五章 ビロードの毛皮を求めて
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ビロードの毛皮を求めて 28

 教会の前に断頭台が立つ。組み立てる人々は皆身なりも良く、怒号の群衆は各々思うままに批判を行う。それが誰から誰へと向けられたものなのか、混ざり合ってよく聞き取れない。低く分厚い曇り空と、冬のさめざめとした空気が、張り詰めた緊張感と高揚感に支配される。貴族達は黙ってその時を待つ。刻々と近づく正午の鐘に、人々の歓喜の歌はどんどんと大きくなる。食卓の白いシーツに似た雪の光が、組み立てられた断頭台の刃に反射する。鈍く輝く刃の下には丸い穴が開き、今日の主人を今か今かと待つ。

 冷え切った体を摩ると、ルプスが背中を叩いた。勢いあまって壇上に上がりそうになるのに、誰かが声を上げる。一瞬広場が静まり返ったかと思うと、直ぐに沈黙は雑踏にかき消される。

 振る舞われたワインは教会のものだ。今だけは、無償で振る舞われる。それを目当てに前へと押し進むぼろ布を纏った青年は、刑場など見向きもしない。見世物小屋は金持ちの道楽、と言ったところだろう。

 施しに与った人々を冷ややかに見つめるオデール卿は、よく見れば貧乏ゆすりをしながら、断頭台の上に立っていた。ヤーキムの死刑宣告の主文を記した羊皮紙を手に、時々口元を緩めていた。

 ついに執行人が台の上に立つと、会場は熱狂に包まれる。もはやこの場所は誰かの生活の場所ではなく、快楽に飢えた獣の巣だ。彼方此方で上がる歓声と怒号、雪解け水が足元を流れ、雲が晴れるほどの熱気が広場に一気に充満する。

 ルプスが合図をすると、傭兵達が石を手に持つ。


「これより、ヤーキム・ルキーチ・ローマノヴァの処刑を執り行う。受刑者は前へ」


 質素な服に身を包み、両腕を拘束されたヤーキムが壇上に上がる。その表情は無表情で、感情を消し去った虚ろな瞳で、人々の罵声を受け入れている。

 そして、僕の劇団が動き出した。ヤーキムの足元に石や雪の礫を投げたのだ。

 罵声に満たされた劇場に、傭兵達の楽しそうな罵声が強く響く。


「人殺し!人殺し!」


「教会と並んで食うケーキはうまかったか?」


 陳腐でがさつな傭兵達のあおりは、僕の想像した以上に完成度の高い、いや、低い代物だった。人々がコールをし、雪合戦が始まる。ヤーキムに向けて投げられる雪の礫は、冷え切ったムスコールブルクでは一層深い痛みを伴ったものとなる。ヤーキムは顔中が雪まみれになっても無表情で、顔色一つ変えない。執行人がその趣向の赴くままに、ヤーキムを断頭台の前に立たせ、礫が良く当たるようにした。


 劇場のボルテージが最高潮に上がると、僕は壇上に駆け上がる。執行人の制止を振り切り、人々の雪の礫をその身に受け、ヤーキムを庇った。ヤーキムは初めて表情を崩し、「何をしている!」と悲痛な声を上げる。


「あいつも仲間だ、なげろなげろ!」


 僕の劇団員たちがはやし立てる。ますます激しくなる雪の礫に、体の芯まで冷え切った。唇が切れ、指が切れ、勢いに負けて顔が紅潮する。彼方此方が水にぬれ、益々体中の熱が奪われた。


「貴方達には見えないのか!ヤーキム卿が齎した、光の数々が!」


 痛みに耐えながら叫ぶ。誰一人耳を貸すことなどない。彼らは当然のように、「見えないね!」そう叫んで雪を投げる。


「この人は確かに優秀ではありませんが、殺されるほど邪悪じゃあない、その証拠にほら、教会も文字を教え、職業安定所は人々の為に開かれている!」


 どれもこれも、ヤーキムの功績などではない。それでも、彼は非効率的なそれらを壊さずに保っていた。それが成果でないなどと、誰かが決めつけていいものではない。そして、彼らの怒りが最高潮に達すると、僕に向けて、雪から石が代わりに投げられた。


「エルド……!」


 フランの声だ。僕はそれでも小石を受け入れる。まずは腹に鈍い衝撃が、古傷が痛む腕や足も容赦なくさらされる。頭から血が滴り、意識が朦朧とし始めると、執行人もついに慌てだし、民衆を宥めようとする。しかし怒号は収まらない。暴走した熱気は頂点に達した。


 そして、ケルヒャーがゆっくりと立ち上がった。


「静まれ、羊たちよ!」


 広場が静まり返る。静かだが怒りの籠った威厳に満ちた声だった。

 ケルヒャーは断頭台の前に立ち、深く頭を下げ、天に祈りを捧げた。そして、膝をつく僕の指に塗油を施すと、再び民衆を見下ろした。


「ここに黙ってみておれば、何たる醜態、嘆かわしい!紳士諸兄はいつから蛮族になり下がったのか?あの愛と希望に満ちたムスコールブルクはどこへ行ったのか?もしや、昨晩の吹雪も諸君らに頭を冷やせとの神からの警告だったのではないか?」


「煩い、吝嗇家の肥え羊が何を言う?」


「肥え羊だと?金など欲しければくれてやるわ!」


 ケルヒャーは広場に何かを放り投げる。それはキラキラと輝きながら、宙を舞う。鍵の柄には「寄進料の鍵」と記されていた。


「無垢を傷付ける君達が人殺しを罵倒するなど、馬鹿げているぞ!聞こえるか?」


 勢いが消し去られ、ざわめきが起こる。困惑し顔を見合わせる人の中には、ヤーキムの顔を見上げて罪悪感に手を合わせる者も現れ始めた。


「あれこれと、都合の良い解釈ばかりでよく癇癪を起せるな、諸兄は。私は聖職者だ、最低限、人や物を無暗に傷付けるようなことはせんよ。分かるかね?今ここで膝をつく少年が、何故膝をついているのか?いま断頭台が置かれているのはなぜか。それらはすべて、諸兄らが仮想敵に向けて投げたものの為だよ。そうだろう、『人殺し諸兄』!」


 がらりと空気が変わる。オデールは突然手を止める執行人と民衆達を見比べる。貴族の一人が拍手をすると、それが貴族から議員へ、議員から民衆へと伝播する。そして、「中止しよう」のコールが巻き起こると、オデールは周囲を見回しながら、彼らに合わせ始めた。


 大多数が納得する結末、それが「正しい」かなんて、曖昧なものだ。僕は割れた頭を押さえながら、静かに断頭台を降りた。


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