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異世界動物記 ‐あるいは、もう出会えない君たちへ‐  作者: 民間人。
第五章 ビロードの毛皮を求めて
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ビロードの毛皮を求めて 24

 いち早く状況が伝わるのは宮殿と教会のはずだ。僕達はまず、二手に分かれる事にした。初めからフランを宮殿に残して情報を集めるのも一つの手段だったが、フランは顔も地位も、限定的であれオデールに割れている。この事態を受けて彼女を一人にするのは危険が伴うので、一旦はルプスらに宮殿の状況を集めてもらい、僕達はコランド教会に潜み、広場の様子を確認する事にした。


 ヤーキム死刑宣告の報を知ったムスコールブルクの人々は俄かに沸き立った。

 群衆は文字を読む事に最上の喜びを噛みしめながら、ヤーキム卿の処刑を告げる貼り紙を覗き込む。ゴミ虫のような乞食達は今日もいそいそとゴミを集め、広場に人が群がる様を見て顔を歪めて笑う。彼らは金の生る木を見つけて喜び、烏合の衆は自身の尊厳を踏み躙る諸悪の根源を断つことに期待の眼差しを向ける。

 これ程望まれた宰相の処刑は歴史上類を見ない。まして、大福祉国家として知られるムスコール大公国で生じるなどと、誰が信じることが出来ただろう。そして、恩恵を受けてきた人々がそれを拒絶することなく、受け入れたままで喜ぶなどと言う狂喜だ。それはさながら気狂いが恩師にナイフを突き立てるようなもので、それに冷ややかな視線を送る人などどこにもいなかった。

 降り注ぐ雪と仄暗い空の下に、革命の代役、オデールが姿を現すと、騒めきと共に期待の眼差しが向けられる。オデールは一つ咳払いをし、腰に手を当て話し始めた。


「忌々しくもわが国民の忠誠に反し、なお我欲に走ったヤーキム・ルキーチ・ローマノヴァは、その不誠実故に命を終える事になる。見よ、諸君らの願いはここに果たされるのだ」


 ブーイングと歓声の入り混じった声が広場に響き渡る。空を覆いつくす暗雲は無情な細雪を大地に積もらせる。群衆の言葉はそれぞれに混ざり合い、ヤーキムの同類を罵る者、ヤーキムの敵対者を歓迎するものが、それぞれ責任を問い合う。どいて、どいてと群衆の間を縫う乞食は、足元のゴミを拾い上げる。何者も、広場で黙る者はなかった。


「それで、どうするの。死刑は決まったんでしょう?」


 フランが冷ややかに広場を見下ろす。広場のよく見える教会の一角から眺めると、群衆の姿は気味の悪いいぼによく似ていた。


「決まったルールは変えられない。塗り替えるのは、ルールの力だ」


「ルールの力、ね」


 フランは公国の重要な法律を集めた、公国六法をなぞる。薄い紙だけで作られた簡素な書籍で、威光を示すような装飾は一切ない。フランは机にもたれ掛かる。そして、冷たい教会の床に足を滑らせながら、指先で溝をなぞっている。


「もう決まったことを覆す方法、それはたった一つ」


「法自体の間違いを指摘すること、だ」


 それが出来るのは国民と、そして彼らに選ばれた裁判官だ。皇帝も、議会も、その決定には逆らえない。その為には、国民の心を変える必要がある。僕は広場を見下ろす。カラン、カラン。公示人のベルの音がする。集まった人々は、オデールが従えるミトラよりも偉大なベルに注目する。公示人の言葉は、ただ、罪状を繰り返すだけだ。


「それほどの短時間で出来るというの?心を変える事が?」


 フランは当然の疑問を口にする。その手で公国六法を閉じ、目を細める。僕は公示人が繰り返す言葉を聞きながら、舞い落ちる灰色の雪を目で追いかけた。


「出来るさ、きっと」


 この国は大福祉国家、ムスコール大公国だ。家族の樹を手繰り寄せるエストーラでも、神の写し身である花冠を奉ずるカペルでも、群衆を見下ろす煙突が支配するプロアニアでもない。この国を支配するのは、貴族、聖職者、有産市民、労働者、浮浪者まで含めた、全ての国民だ。だからこそ、最も単純な、純粋なところで共通する部分を有している。彼らに必要なのは娯楽と、少しの理解だけなのだ。


「問題はどこから始めるかだけど、きっとここから始めるしかない。教会は利権にも関わる問題だから、きっと協力してくれる。そしてもう一人のキーマンがマトヴェイだ」


 フランは黙って頷く。広場の群衆は徐々に日常に戻りつつあり、彼らの残したゴミを乞食達が奪い合う。その騒々しさは、カーニヴァルに沸き立つ故郷によく似ていた。


 そんな時、教会をズカズカと歩く音が響く。それが聖職者の物でないことは直ぐに分かり、僕は身構える。

 足音は徐々に近づき、僕達を正確に捉えていた。それは僕達にとっては吉報と言うべきだったかもしれない。何の抵抗も受けずに、彼らがまっすぐに僕達に向かってきているのだから、敵である可能性はそれほど高くない。案の定、その声は聞き覚えのあるがさつな男の声だった。

 傭兵団員が扉をノックもせずに開ける。彼は僕達の顔を見るなり、「坊、宮殿はいつも通りだぞ」とだけ告げ、さっさと扉を閉ざす。僕達は顔を見合わせ、頷いた。


 貴族と官僚を必然的に巻き込む事になるこの公開処刑は、彼らの心を動かし、国民の心を動かす事が重要だ。時間はそれほどない。僕は直ぐに踵を返した。


「ごめん、フラン。出来る限り時間を稼いでくれる?今、君だけがオデールに干渉できる」


 フランは重い腰を持ち上げ、腕を組んで窓の外を眺める。公示人と共に立ち、自らの正当性とヤーキムのネガティブキャンペーンを続ける彼を見おろすと、彼女は深く、心底呆れた風に溜息を吐いた。


「気障な男は貴方よりよっぽどちょろいもの、簡単よ、そんなのは」


「お願いします。僕はケルヒャー猊下とウゴール猊下に挨拶をしてくるから」


 フランは少し急ぎ足で僕を素通りすると、すれ違い際に「私が煽ったのにも原因があるものね」と呟く。僕は拳を軽く握り、軽く目を瞑った。


「フラン、やめよう。あの時は僕も軽率だったんだ」


 召使のしたり顔が思い浮かぶ。あの失態がなければ、彼らが急ぐこともなかったかもしれないのだ。フランだけのせいではない事は明らかだし、時間の問題だっただろう。それに、過去に戻れるわけではないのだから、起こってしまった事態を解決するしか方法がない。

 フランは少し足を止め、振り返って微笑んだ。


「ありがとう、行きましょう」


「……うん」


 いまはただ、危険を覚悟で足場を固めるしかない。多少強引にでも、僕達が動くべき時が来ていた。


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