ビロードの毛皮を求めて 14
夜明けのオレンジ色と共に、ガス灯が消灯される。興奮冷めやらぬ僕は寝起きの体で勢いよく布団を退け、着替え、これを誰かに見せたい衝動を抑えられないでいた。
「今日は無事かぁ?」
僕の支度が終わった頃に、ルプスの間の抜けた声が響く。如何にも眠そうだ。日の出前から仕事をする国王等もいる貴族社会ではむしろ遅い方なのだが、傭兵団は寝ずに業務をする事もあるはずなのに眠いのだろうか、という素朴な疑問を抱く。彼らの生態は未だに良く分からないところが多い。
ルプスは着替えを終えてコートを羽織った僕を見て、嫌らしく微笑んだ。
「今日は未来博士じゃないのか?」
「あんな服で出歩いたら、凍死してしまうよ!」
僕は少し歪んだネクタイを整える。ルプスはつまらなさそうに相槌を打ち、部屋の中を物珍しそうに眺める。僕は服装が整ったのを確認し、ルプスに昨日生まれた渾身のアイデアを披露する事に思い至った。
「ねぇ、ルプス。昨日、少しだけいい案を思いついたんだけど……」
僕はそう言ってメモを差し出す。ルプスは眉を顰め、如何にも面倒くさそうに用紙を見つめた。
ややあって、彼は顔を引っ込める。そして、次にはマトヴェイと共に顔を覗かせた。
「神聖文字なんか分かんねぇよ、タコ」
「あっ、そうだよね……」
ルプスは一応傭兵団長であり、俗語ならば理解できるはずだが、神聖文字は確かに読む必要もない。少し配慮が足りなかったようだ。
マトヴェイが僕のメモにさらりと目を通すと、二、三度頷いて、僕に視線を送る。僕は緊張し、背筋を伸ばした。
「貴族の税制優遇措置に問題の焦点を絞り、これを解決しつつ納得感のある結論を出そうとした努力は見られますね。しかし、これだと民衆は「結局は金か?」とまた暴れ出しそうです」
「そうですか……。そうですよね。出過ぎた真似をして申し訳ありません」
僕がそう言うと、マトヴェイを首を横に振る。彼はメモ帳を丁寧に四つ折りにし、内ポケットに仕舞った。
「いえ。確かに、中間層の感じる不公平感と言うものは、革命の一要因だと思います。これは少し調査をしてみる必要がありそうですね」
「調査?」
僕が聞き返すと、マトヴェイはルプスに目配せをする。ルプスは何かを察して、大げさな溜息を吐いた。
「まったく。ムスコール大公国の貴族様は何でこうも丸腰かねぇ……」
マトヴェイは政策をプロアニアの言葉に書き換え、その用紙をルプスに回す。ルプスはそれを一瞥し、僕を見て再びため息を吐く。僕は自分が攻められているような感覚を抱き、つい首を垂れた。
「んじゃ、ちょっくら行ってくるわ。今日は宮殿から出るなよ?いいな」
ルプスは僕に念を押す。僕は小さく頷く。顔を上げるとすでにルプスはおらず、代わりに革袋を持ったマトヴェイが柔和に微笑んでいた。
「すいません。僕が勝手なことをしたせいで」
きまりが悪くなり謝罪すると、彼は金貨の重みで垂れ下がった麻袋を仕舞いながら、首を横に振った。
「経費で落としますよ」
彼はそう言って僕に紙を差し出す。「領収書」という事らしく、金額と署名の部分だけが空欄となっていた。僕はマトヴェイの顔を見る。実に良い笑顔で、僕は領収書を持つ手を挙げて、奥へと引っ込んだ。
いままで、僕は署名と言うものを余り意識してこなかった。自分の署名を残すという事実の重みだけは理解していたし、だからこそ、ステラの署名を自分の契約書の中に書かせたのだが、自分が契約書類に自分の責任で署名をする、という事は余りなかった。筆を持つ手が多少震える。勿論、何てことは無いことで、そこには理由として、傭兵団への給金と書かれ、先程マトヴェイが渡したと思われる金額が書いてあるだけだ。僕はそれに丁寧にサインをし、再び扉を開ける。マトヴェイはその紙を受け取ると、筆圧や筆跡を確認したうえで、小さく「はい」とだけ言った。
「ところで、今日は何をなさいますか?図書館であれば自由に使っていただいて構いませんが、議会の事もございますので、ヤーキム卿やイワーノス家の方々との接触は難しいと思います。かくいう私も業務が御座いますので、行動だけでも把握しておかなくては」
マトヴェイは領収書を丸めて書類用の鞄にしまい込む。僕は昨日のうちに件の案を挙げる事に夢中になっていて、今日の予定を立てる事を怠っていたことに気付いた。指摘されて初めて、心の底から恥ずかしい気持ちが芽生える。僕がもじもじとしていると、マトヴェイは笑顔のままで眉を顰めた。
「そうですねぇ。例えば、今日は貴族と交流を深める日にしてみてはいかがでしょうか。今後協力して貰えるように、ひとまず挨拶回りをしながら、情報を集めてみるなど」
「そ、そうします。じゃあ、今日は廊下をぶらぶらと散策しますね……」
「えぇ、それがよろしいかと。従者を付けますので、少々お待ちくださいませ」
マトヴェイは僕の返事を受けるや否や、かなりの早足で従者部屋のある方へと歩き始めた。宮殿内を走らないというルールは守りつつ、貴族特有の早足を獲得したマトヴェイが遠ざかると、背中から呑気な欠伸が聞こえた。
「なぁに、今日はお城でご挨拶なの?じゃあ、着替えるから待って」
フランはもぞもぞと起き上がり、髪を撫でる。一瞬厳つい表情に変わったかと思うと、すぐさま髪を梳き始める。普段の着飾った衣装とは違う、無防備な肌着姿は、女性らしい飾らない美しさを醸し出している。彼女は、入念に梳かれた栗色の髪の毛を靡かせ、時折振り、再び整える。髪の毛の通りがよくなるまでそれを続ける。真剣に髪を整える姿に、多少の罪悪感を感じた。
 




