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黒と白の境界 11

 ノースタットから離れると、僕は薄暗い荷台からやっと御者台に上ることが出来た。僕の膝の上には、暫く感じていなかった生物のぬくもりが感じられる。代り映えのしない草のにおいと、時折顔を覗かせるヤトは、車輪の音にかき消されて姿を消す。

 膝の上で大人しくしているヤトを抱きしめる。心地よい毛の感触や、人肌より少し高い体温が指先に伝わる。顔を埋めたくなるほどの気持ちよさにうとうとしていると、商人が馬を加速させた。


「……そういえば、自己紹介がまだでしたね。私、エルヴィン・フォン・ゲンテンブルクと申します。貴方は?」


「ゲンテンブルク……!」


 僕は反射的に距離を置いた。ゲンテンブルクとは、プロアニア王国の首都、ゲンテンブルクの事だろう。つまり、僕は自ら進んで敵国に拉致されたという事だ。

 僕のあからさまな反応に、彼は口元を持ち上げる。車輪がカラカラと鳴り、僕の故郷を遠ざけていく。彼は僕の方を見ることもなく、馬車の速度を上げる。


「いえ。坊ちゃん、御名まで言う必要もありません。私はこれからあなたを保護し、私の故郷であり、プロアニアの首都でもある、ゲンテンブルクへお連れしようと考えているのです。エルド様」


 僕は血の気が引くのを感じた。体温が下がり、どくどくと汗が溢れだす。恐怖と共に押し寄せる息苦しさに城を脱走する時の過呼吸がぶり返す。草木の香りが意識から消えると、ガタガタと鎧の鳴る音がひどく大きくなった。


「そんなに怖がらないでください。私達プロアニアは、エストーラの貴族ほど客人をぞんざいに扱いません」


「……何が、目的ですか?」


 無警戒に彼に保護されたことを悔やむが、今更故郷へも戻れない。唇が震えるのを噛んで無理矢理止め、出来る限り強い語調で言った。

 エルヴィンの後退した頭皮が眩しい。その微笑も、シーグルス兄さんを思わせる、恐ろしいほど明るいものだった。


「保護です。燻る対立の解決策を探るために、貴方とお話がしたいのです」


 要するに、エストーラから保護する代わりに、エストーラの宮廷事情が知りたい、という事である。僕はベルクート像を掲げるあの離宮での惨劇を思い出す。荒ぶる心臓の鼓動と共に、体中に血が巡り始める。頭に血が回り始めると、再びこの状況の恐ろしさが、論理的な形で再認識された。


 馬車の動きを遮るものは周囲にはない。止まらない車輪の音が、小石に躓きながら断続的に続いた。


 殺されるのではないか?そう思わずにはいられなかった。近いうちにはないだろう。しかし、遠からず用済みになれば殺される。

 あるいは、生かされたとして、傀儡となった僕はエストーラに反逆者として放り込まれるのだろうか。だとすれば、双方からの窮屈な思いに追い詰められはしないか。

 今戻ったとして、兄さんに殺されはしないだろうか。この選択の重みに、僕は吐き気を催した。


 暫くすると、エルヴィンは馬車の速度を保ったまま、主道を逸れていった。エストーラ国内の都市を伝う経路は閉ざされてしまう。僕は振り返り、御者台から抜け出そうと荷台に這い出そうとする。エルヴィンは僕の襟をつかみ、強引に傍に引き寄せた。反動によって荷台にヤトが放り込まれる。僕の理性を保たせる唯一の物は、薄暗い荷台の中に消えて行った。

 彼はきまりが悪そうに続けた。


「信用していただく必要はございませんが、これは一つのお伽話としてお聞きくださいませ」


 彼は深く深呼吸をする。彼は、ざぁ、と風が草原を揺らす波の音を懐かしむように目を細めた。


「故郷は美しく高い山々が連なる大地、叡智と希望に満ちた大地です。彼らは風に乗り、長い翅を羽ばたかせ、遠く、遠くへと渡っていきます。そう、このような恵みある大地を食い荒らすほどの巨大な群れを作った彼らは、次々と、丁寧に手入れされた大地を食い荒らしていきました」


 彼は何か昔を懐かしむように空を仰ぐ。僕は警戒心をむき出しにしたまま、ゲンテンブルクとは似つかわしくない、その情景を思い浮かべた。

 彼は馬のように小さく鼻を鳴らす。


「嗚呼、ここは美味いものが食える。快適だ、快適だ。彼らは口をそろえて言いました。それは毎年のように美味い野菜や穀物が育つ、恵みある大地だったからです。彼らはその恵みある大地を食い荒らすと、再び風に乗って何処かへと旅立っていきました。しかし、彼らは気が付かなかったのです。風に乗るたびに、徐々に消えて行く砂地、子を育てるための土地が失われて行っていることに」


 激しい風が吹く。青虫が一匹、目の前で飛ばされていった。その青虫の着地点に、狸に似た生物がいる。アナムジナと呼ばれるこの生物は、青虫を器用につかむと、口に入れて咀嚼し始めた。

 アナムジナは激しい風を突発的に起こす魔法を用いて、こうして降り注いだ青虫を捕食するのだ。彼は食事を終えると、直ぐに自分の住処である穴倉へと戻っていく。

 僕は、アナムジナが視界から消えると、エルヴィンを見る。その横顔は酷く悲しげであり、しかし如何にも諦めに満ちた、自嘲気味なものであった。


「……彼らは気づくことなく、地上から姿を消しました。……えぇ、自業自得と言うものです。何をするにも、消えゆくものは消えゆくもの。巨大な群れの中で大地を食い荒らしていた彼らは、静かに、ゆっくりとその群れの数を減らしていきました。彼らには罪がありません、そして、彼らを滅ぼした原因にもまた、罪がないのです」


 馬が速度を緩める。僕の表情も徐々に、同情に満ちたものに変わっていった。


「彼らは、人間を恨んではいなのですか?」


 僕は彼の横顔を注意深く観察する。彼は困ったように微笑む。


「さぁ、どうでしょう。気づかないうちに消えてしまったものに、恨むことなどできません。それに、それはお互いさまと言うものでしょうから」


 何かを言おうとしたが、喉元がつかえる。彼がこちらを向き、憔悴した笑みを浮かべている。

 懐かしい故郷の香りが残るノイブルクの草原地帯に、空を覆いつくす不気味な虫の群れの幻想が浮かび上がる。彼らは瞬く間に草原を食い荒らし、ヤトや、青虫や、アナムジナの巣を丸裸にする。そして、ノイブルクの風に乗り、ノースタットへと運ばれていった。


「貴方は、僕が人間を恨むことを、受け入れられませんか?」


 彼は意外そうに口を開ける。風に乗って消えた幻想の一匹が、彼の頭の上に止まる。それは慰めるように翅を広げて叩く。キィンキィンという機械音が響く。


「そうですねぇ。皆、そう言うものでしょう。許せないものを許せと言っても、土台無理なものです」


 先程とは違い、彼の笑みはシーグルス兄さんの笑みとは違って見えた。どことなく儚げで、誰かが思う程は不快には見えない。


「……連れて行ってください。僕を、貴方の故郷に」


 幻想の虫が、風に飛ばされて消えた。


挿絵(By みてみん)


 ロッキートビバッタ

 学名:Melanoplus spretus


 北アメリカ大陸の西部に生息した昆虫。アメリカでは大規模な虫害を引き起こした昆虫でもあるが、灌漑の発展に従って住処を追われたともいわれている。


 大規模な群れを作り、ジェット気流に乗って移動をしていたと考えられており、アメリカ北西部位置するモンタナ州には、このバッタの死骸を閉じ込めた氷河が見つかっている。

 絶滅の原因は判然としておらず、有力なものとして、灌漑の発展による産卵地である砂地が減少したことなどが挙げられている。一方で、実際には絶滅をしていないとする説もある。



 今回の魔法生物

 アナムジナ

 体長40cm程度の小型肉食獣である。ずんぐりとした体形は愛嬌があり、ペットとしても人気がある。道中ヒトが餌を与えることがあり、大人しく、環境への適応能力も高いため、旅の友としても人気がある。そのため、彼らはヒトをあまり警戒しない傾向があり、その性質を利用して毛皮製品のための狩猟も盛んにおこなわれる。

 名前の通り、地面の穴に生息する。この穴では魔物ではない狸と共生しており、互いにその生態、見た目も類似点が多い。穴の内部は入り組んだ構造をしているらしく、複数の出口がある。

 主食は地下のミミズなどであるが、落下した虫、希少な例ではヤトなどを捕食することも多い。狸とは分業をしているという見解もあり、私もヤトや自身の魔法によって落下した虫を巣に持ち帰る姿も確認した。

 魔法は殆ど用いないが、ヤトと同様の風魔法を利用することが稀にある。周囲にヤトがいない場合に、虫を落とすため、かなり退化してはいるものの、魔法器官が残ったのであろう。


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