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異世界動物記 ‐あるいは、もう出会えない君たちへ‐  作者: 民間人。
第五章 ビロードの毛皮を求めて
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ビロードの毛皮を求めて 4

 マトヴェイが開けた扉の先は、静かな光に満ちた執務室だった。壁には数多くの絵画があり、その多くは彼方の曇天を切り裂く雷や、青空を貫く雪山や、オレンジの街灯に照らされる街を描いた静かな絵だった。貴族らしくシカの剥製や熊の剥製も数多く飾っており、ベッドや椅子のカバーなどは革製のものだった。その為か、微かに獣のにおいが充満しているように錯覚させられる。

 部屋の主人と思しき人物の足元には、たくさんの楽器が置かれている。革製の丈夫な箱の中に収められたそれらは、丁寧に銀製の鍵をかけられ、静かに眠っていた。


「ようこそ、ムスコールブルクへ。プロアニアの皆様、私が宰相のヤーキム・ルキーチ・ローマノヴァと申します。女傑ロットバルトが弟、ローマン・ルシウス・イワーノヴィチの血を継ぐ、正統な後継者です」


「お会いできて光栄です。エルド・フォン・エストーラと申します。……エストーラ家の三男ですが、わけあってプロアニアにおりました」


 イワーノス家は、ローマン一族が枝分かれした以前に宰相を務めた、これもまた由緒正しい一族である。イワーノス家の名は結果的にロットバルト卿の系譜に、ローマン家の名は弟ルシウス卿‐ローマン卿と呼ぶべきか‐の系譜に受け継がれる事となった。本来であればロットバルト卿の正統な後継者に当たるイワーノス家がその役割を担うべきなのだろうが、ロットバルト卿が女性であった事が確認されている以上、本来であれば基本的に存在しない女系貴族となってしまった事が、彼女らの死後に問題となった。そこで、ロットバルト卿と近しい血縁にあるローマン一族により宰相の後継者を選出することとなった。

 一方で、イワーノス家は永世貴族としてその後も絶大な影響力を持った。

 新生してすぐに宰相一族となったローマン一族は、その後も半世紀以上に渡ってその地位を保つことになる。もっとも、ロットバルト卿の退任後も宰相を裏で教育していたのは弟ではなく、ロットバルト卿本人だという噂も聞くので、家系を分ける事に果たして男系か女系か以上の理由があったのかは不明である。


「それでは、イワーノス家とローマン家の血を継ぐ、という事ですか」


 僕は握手を交わし、親書を取り出す。ヤーキムはそれを受け取ると、蝋の紋章を崩さないように丁寧に封を開きながら、中身を確認した。


「えぇ。……と言っても、この有様です。外の騒動は既にご存知で?」


 青い瞳が紙面をなぞる。まるで話題作りの為かのように気軽に現状を語るので、少々驚いてしまう。


「先ほど確認しました。大変な事になっているようですね……。経緯をお伺いしてもよろしいでしょうか」


 ヤーキムが一瞬こちらに視線を寄越した。真っ青な髪よりもさらに深い、群青の瞳だ。


「えぇ……。きっかけは国民の福祉を向上させるため、公的なゴミの回収を始めようという規定を設けたことだったように思います」


 眉根を寄せてこそいるが、語調は不快そうではない。親書の内容に苦慮しているのか、僕へ説明するのが単純に面倒なのか、もっと別の理由か。城門を囲い込む騒々しい騒ぎ声も、ここまでは響かない。


「厚生省の管轄する都市衛生課がこれまでもゴミを回収してきたのですが、文明化の影響で、資源には出来ないゴミが徐々に増加してしまい、都市衛生課がこれまで行ってきた処分方法とは別に何らかの方法でゴミを処分する必要が出てきました。そこで、特定の場所に分別してゴミを置き、都市衛生課がそれを回収して回り、そしてそれを既定の方法で処分するというシステムを作ろうと考えたのですが……」


 ヤーキムは言いにくそうに口ごもる。頬の下で舌を回したのが分かった。彼は小さく溜息を吐き、再び重い口を開いた。


「その、乞食の方が反対しまして……。それから、教会への寄付や大学への支援金が政府と各機関への癒着ではないかという疑いが高まりまして、調査を行うと回答したところこのような暴動に……」


「えっと……」


 僕は少々困惑した。ムスコール大公国の場合、乞食にも一定の権利が与えられていることが前提となっているため、彼らの反対が政治に一応の影響力を持つことは間違いないのだが、「ゴミの回収方法を変える」というだけで人死にが出るほどの暴動が起こるのは、とても信じられなかった。その程度の事で、貴族は騒ぎ立てたりしないし、それが流行であるのならばすぐに取り入れるのが貴族だ。そして、それに反対する理由も、道端を寝床とする彼らにとっては快適になるのだから、ある程度メリットがあるのではないか。


「成程、仕事がなくなるわけですものね」


 フランが口を挟む。ヤーキムは頷いた。


「正直、この手の問題は以前にもあったのですが、今回は非常に大規模なものになっていまして、反政府組織同士が結託しているようなのです。イワーノス家からの情報ですので、信頼していいでしょう。私も政府として調査を続けているところです」


「……我々にできる事は何かあるのでしょうか?」


 僕は膝の上でこぶしを強く握る。万が一にも鎮圧してくれなどと言われたら、僕一人でどうこうできそうもない。勿論、説得してくれと言われてもそれはそれで難儀なのだが、そちらの方がまだ戦力的にも難しくはない気がする。自然と背筋が伸びる中、群青の瞳が僕をしっかりと捉えた。

 ヤーキムの視線はもっぱら僕の容姿を確認するようなものだった。机の下にぶら下がった地に足のつかない様や、細い腕や、白い肌を体を動かさずに確認する。そして、背後のルプス一行に視線を送り、最後にマトヴェイに親書を渡して腕を組んだ。


「ありませんね。せいぜいが、情報収集でしょうか」


「反政府組織や、国民の不満と代案に関する情報、ですかね……?」


 ヤーキムは口の端で笑った。目は笑っていない。


「流石に第三皇子ともなると話が速い。感服いたしました」


 彼は腕を組みなおし、やや前のめりになる。オレンジ色の灯りに照らされ、その白い肌が際立って見える。


「明日、貴方達は大公広場でプロアニアの使節としての挨拶をして頂きます。これは我が国に訪れた使節の方全員にご依頼している義務ですので、宜しくお願い致します。その後はご自由に行動なさってください。ムスコールブルクは随分と西方世界と違うでしょうから、様々な人と話し、町を巡るのも良いことと存じます。案内役としてマトヴェイを付けましょう。よろしいかね?」


 ヤーキムはマトヴェイを一瞥する。マトヴェイは穏やかな表情で頷いた。ヤーキムは満足げに微笑み、僕達を見る。


「……えぇ、ここは私達の力を信用していただいて構いません。ムスコール大公国の基本理念は『来るものと、栄えある民は殺さず、讃え合う』事にあります」


「はい。承知いたしました」


 僕は頷いた。あっさりと不要だと言われてしまったが、反論の余地もない。ヤーキムに合わせて、僕は静かに立ち上がり、深く礼をする。彼が差し出した手をしっかりと握り、プロアニアとムスコール大公国の友好を確かめ合った。


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