読者と「毒者」
他でもない、ここの惨状を記しました。
いきなりだが、ここで流行っているジャンルは3つある。「チート」「ハーレム」「異世界転生・転移」。チート、ハーレムを統合して「チーレム」という新しいジャンルで呼ばれることもある。これらはなろうで人気になる、書籍化する上で必須ジャンルとなっており、実際に月間、四半期、年間ランキングを見てみると大半が3つ全てを採用している。日間、週間ランキングはわからないが、概ねこのジャンルに汚染されているのだろう。
このジャンルを見た時点で読む気はしないが、食わず嫌いは良くないと思い手を出してみた。日間3位の作品で、異世界転移を題材としていたものだったが、1話から「ステータスオープン」と呼ばれる要素が出てきて、この時点でブラウザバックした記憶がある。ちなみに内容は全く頭に入ってこなかった。さすがにゲーム脳が過ぎるだろうと軽く鳥肌が立った。彼らはどのような経路で知識を得て小説に反映しているのだろうか。聞いてみたいという思いがある。自分は小説を読んで印象に残った部分は技法をまねようと努力する(文章技法、比喩、ジョークなど)。しかし彼らは紙媒体の小説すら読んでいないのだろう。言っておくが、自分は昨今のライトノベルを小説だと認めていない。あれは活字を印刷した何かである。何も得るものがない。何も印象に残らない。打ち切られるのも当然と思われる出来である。
そしてそれらを支える読者(以下毒者)が、このサイトにおける最大の癌である。彼らが書籍化を後押ししていると言っても過言ではなく、ランキングに毒物が上がってくる原因である。ランキングだけならまだいい。書籍化することによって書店の棚にも毒物が並べられる。彼らが嫌っている不良、チンピラと何ら変わらない性格をしている主人公を手放しで称賛し、「敵は容赦なく殺せ。一人残らず殲滅しろ!」「ハーレム要員の女の子は奴隷や身寄りのない孤児。だけど処女じゃなきゃいやだ!」「主人公が苦戦するのは駄目。葛藤するのも駄目。絶対的強者でなければいけない!」と自分たちに都合のいいキャラクター作りを強制。どう考えても歪んでいる。毒者は現実世界で一体どういう生活をしているのか。どういう仕打ちを受けていたらそんな性格になってしまうのか。寒気がする。嫌悪感を覚える。まともな性格をしていたらそう思うはずだ。
もしなろうからそういった要素を一切排除した作品が生まれ、ライトノベルの賞で出版の権利を得た場合、受賞した作者は小説家になろう出身とは言いたくないのではないだろうか。悪評が現在進行形で広まっており、人気のある作品も画一的な内容ばかり。「どうせなろうだから」という理由で手に取られることなく放置される可能性もある。そのようなリスクを避けるのであれば、小説家になろうから受賞した作品を削除し、何気ない風を装って出版をする方が損害が少ないように思える。これらは全て自分の推測だが、そういったことが現実に起こっても何もおかしくないのだ。元凶はなろうを腐敗化させた毒者であり、それにつけあがった作者も同罪である。
そして毒者に持ち上げられた作者に限って、このような賞に応募したがる。字数制限というものがあるはずなのだが、長い文章を書く能などあるはずもない。どうするのか。
あろうことか、ステータスで水増しするのである。
この事実を知ったとき、自分は頭を抱えた。どこまでゲームに侵食されているんだ。こいつら小説読んだことないだろう。なんで真剣に物事に取り組めないんだ。怒りを通り越して呆れた。真面目に地の文を書いて、登場人物をなるべく表情豊かにし、人間味を持たせようと努めている自分のやり方が間違っているのかと錯覚してしまう。こういう小説のような何かが量産されていくと、小説を執筆している自分が馬鹿らしくなってくる。宣伝しても、更新頻度を多くしても結果は同じである。
彼らは毎日更新をモットーとし、毒者もこれを望んでいる。毎日更新するというのは多少の質、矛盾を無視して行うことと同義なので、積み重なっていくとおのずと作品の質は低くなっていく。一部の週刊漫画と同じである。じっくり時間をかけて推敲し、矛盾を見つけて適切な着地点を見つけることによって質は上がっていくものだと思っているので、毎日更新ということ自体が愚行であると思うのだ。毎日更新しないと毒者が発狂することがあるらしい。どうやら彼らは週刊漫画も待ちきれないほどのせっかちさんなようだ。心に余裕を持つことで作品そのものを冷静に見つめなおし、自分たちがいかに低俗な作品に洗脳されていたのかを思い知るほどの知能もない毒者、実に哀れである。
ここまで書いてきたが、自分の好きな作品を好きなように書くところだと言われてしまえば反論の余地がなくなる。ここでは趣味で小説を書いている人も一定数存在する(自分含む)ので、全員がプロになりたくて書いているわけではない。しかし毒者は、アマチュア未満の作品を「自分たちの要望に沿っているから」「毎日更新してくれるから」という理由で祭り上げ、社会へ放流する。そのうち毒者の要望に沿うために、自分でも書きたくないような小説を書いていく作家が増えてしまうのかもしれない。ここはあくまでも小さなコミュニティだ。ここで受けたからと言って、書籍化されれば誰でも購入してくれるわけではない。ましてや今まで祭り上げてきた毒者も買ってくれない可能性も大いにある。無料だから読んでいる。金をかけてまで読む価値などないと言っているようなものである。
この文章を書いていても、漢字間違いや文章の矛盾に気を付けながらディスプレイとにらめっこしている。注意をしないとすぐに変換ミスが起こり、大恥をかいてしまうからだ。多少のミスを鬼の首を取ったように晒し上げる今のSNSに毒されてしまっているのかもしれない。毒者もSNS(主にtwitter)に住み着いているようで、ごみのような小説をRTしては拡散している。実に迷惑である。自分はああはなりたくないという反面教師にしている。
最後になるが、自分はこのサイト自体は嫌いではない。機能が見やすく、検索も早い。何より人が多いので、自分の趣味・趣向に合った人間を探しやすい。しかし、このサイトに散布されている小説という名の毒物は大嫌いだ。自分の黒歴史ノートを公開して、作者はどのような気持ちなのだろうか。そしてそれを読んでスカッとしている毒者はどんな表情でいるのだろうか。需要と供給が成り立ってしまっている以上、自分だけではどうにもならない。しばらくはこの状態が続くのだろう。
小説家になろうに幸あれ。もっと光を。