映しちゃダメな涙だってあるんです
最近の訃報を見て思ったこと
涙って、色々ありますよね。嬉し涙、悲しい涙、怒り涙など。涙には感情が表れていると自分は思っております。例えば夏の高校野球なんかを見ていると、敗戦した高校の球児たちが、涙ながらに甲子園の土を袋に詰めていく光景を毎年目にします。甲子園に出られただけではだめだ。ここまで来たからには優勝しなければ。しかし、志半ばで散っていく戦士たち。特に敗戦のきっかけになってしまった球児は肩をがっくりとさせて他の部員に慰められながら球場を後にしていく。これって、かなり絵になる涙だと思うんですよ、自分としては。
宝塚の合格発表もそうです。壮絶な倍率を勝ち抜いて念願のタカラジェンヌになる目標が出来た女の子たち。はしゃいで嬉し涙を流す姿は毎年のようにニュースで見ると思います。宝塚以外にも高校や大学の合格発表で、嬉し涙を流す学生は毎年数多くいます。これも青春なんだなあと、すでに大学に入った身としてはしみじみと感じています。
以上は公共の電波に流してもいい涙の一部です。他にもいろいろあると思うのですが、次に紹介するのは、映しちゃダメな涙の一例です。少しだけ自分としては「これは無いだろう……」という涙がありました。
ほかでもない、イニシャルK氏の訃報です。記者会見で歌舞伎役者である夫が登壇していたのですが、涙を浮かべた途端にカメラのフラッシュがこれでもかというほどバチバチ焚かれていたんですよ。それはもう、画面が真っ白になるくらいに。暗闇で見たらひきつけを起こすくらいに。マスコミの皆様は、「この瞬間を待っていた!」「俺たちはこういう顔を撮りたかったんだ!」と言わんばかりに容赦なく撮影していました。まるで、K氏が亡くなるのを望んでいたかのように。
彼らには人間の心が無いのかと思ってしまいましたね。不愉快通り越して呆れの感情しか湧いていません。自分はもともとK氏についてはあまり興味が無かったのですが、マスコミの過激な報道については目に余るものがあると思っていました。「俺たちは視聴者のために取材するんだ。早くKを見せろ」「視聴者だって絶対にKを見たいはずだ。俺たちの感覚は間違っていない!」こんな心の声が聞こえてきそうで、少し気味が悪かったです。歌舞伎役者の妻になるだけでここまで注目された人って、類を見ないんじゃないでしょうか。
「K氏のブログが更新」「少し元気な姿を見せました」と、少し過剰すぎやしないかと思っていた時期もありましたが、ステージ4の癌だったということで、夫も覚悟はしていたみたいです。ニュースを見た時、逝く時はあっという間なんだなと、かなり不謹慎なことを思ったものです。自分もマスコミに負けず劣らず畜生なこと考えているなと思いました。
結論としては、人が亡くなったのに、当事者の心の整理がついていない状態でカメラのシャッターを焚くのを止めろ。ましてやその人を待ち構えることなど言語道断、ということです。
共感してくれとは言いません。ただ、目を通してくれるだけでいいのです。
それでは失礼。