エピローグ
ミシェルは怒っていた。
閃光手榴弾が目の前に落ちてきて、一瞬だけ視界が奪われたこと。
これだけなら良かった。
だが、私は一人だけ置いていかれた。
別に、敵に追い詰められた訳でも、何か失敗をした訳でもないのに。
だから、決意するのだった。
帰ったら、エミリーに嫌がらせをしようと。
----
ある国の王女様が、亡命してきたという噂が手に入った。
それは、珍しく友人からではなく、閑職と有名な職場へ向かう足取りの、その最中に。
通勤途中の男女が話す。
曰く、隣国の王女様が、正式に我が国への亡命を認められたなどと。
そして、その王女は、有能がゆえに、その国で疎まれてしまったのだとも
国際法というものは無く、亡命はそれぞれ国家間でやりとりされる。
一時的に、国交という面では険悪な雰囲気が発生するが、それは国同士の外交で、政治的判断に基づいて処理される。
時に、経済制裁などが行われることがあるが、今回はそんな事はなかったそうだ。
それも、王女は『その国で嫌われていた』という噂もあって、嘘か真か、むしろ厄介払いのような扱いで、亡命してきたのだと言う。
「エミリー……お早いご帰還みたいですね。任務はサボったんですか?」
「何を怒っているの?」
私は、目の前の少女が怒っている理由に検討が着かなかった。
相変わらず、同僚であるミシェルが、私に話しかけてくる。
「とぼけているのかしら?私は、貴女に、置いていかれたのよ!」
「ん?本当に何のことを言ってるのかしら?」
この少女は、先週にあった出来事に対して、怒っているらしい。
それでも、私がそれに対して、何かコメントする訳にはいかない。
だって、私は『そんな所に居なかった』のだから。
「それより、ミシェルは遠くに行ってたんでしょ?だったら、お土産の一つもないの?」
白々しく私が言うと、そこがミシェルの限界だったらしい。
私の頭を掴んできて、ぎゅ―っと力を入れて押しつぶそうとしてくる。
「い、痛い。痛い。なにするんですか!」
殺意は感じないが、ミシェルの怒りは本物らしい。
痛みを与える為だけに、痛覚のあるポイントを正確に指圧してくる。
しゃれになっていなかった。
「ふぅ……ふぅ……。はぁ……」
しばらく、私の抵抗の末、ミシェルはついに体罰を諦めるのだった。
元々、情報官を束ねるリーダ的立場で、分析したり戦略を練ったりと、エリートコースを進むミシェルには、体力で負ける訳がない。
腕を掴み、動かせないように固定しておくだけで、ミシェルは興奮気味の表情を少し収めた。
「落ち着いた?せっかくの美人が台無しですよ」
「誰のせいだと……。ともかく、もう大丈夫です。離してください」
落ち着いて、椅子に座る気になってくれたらしいミシェルは、大人しくしていた。
そして、「独り言だけど」と前置きをして、独白のように行ってくる。
「作戦に不服があるなら、先に言って。手の内を探るのはマナー違反だけど、あんなに早く移動できるのなら、教えてよ」
私は、第二特室でも、特に最高戦力として、機密扱いを受けている。
そもそも、本来ならあんな国外の、政治情勢に影響の無い任務など、受ける方がおかしいのだ。
言えないし、言わない、これしか私に取れる選択肢は存在しない。
書類仕事をする、私のペン先が紙と擦れる音だけが室内に満ちた。
ミシェルは何をするでもなく、私の近くに座っているだけだった
今回の任務、血を見ることがなかった。
不満があるとすれば、そこだろうと私は思う。
私が唯一、楽しみを見出してしまった、血を見ることへの飢えは治まらなかった。
だからと言って、それを別の欲求で晴らせないという訳ではない。
今夜はお酒と、美味しい料理の一つでも食べようと、心に決める。
普段はミシェルが私を誘うのだが、お詫びを兼ねて私がミシェルを誘ってみる。
「今日、飲みに行かない?」
「……貴女のおごりなら、行ってあげないでもないわ」
魔法使いの暗殺者1 ―王女の亡命― 完